これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

見極めと見切りの大切さ

 


さいきん世の中が騒がしい。

 

まるで別次元での出来事のように 
一般人のあずかり知らぬところで進んでいる事態もあれば
日常生活では 一見、普段と変わらない平穏な時間のなかで
どこか奇妙な事件が 起こっていたりする。

 

いつも もどかしく思うのは
何事につけても
最悪の事態を想定してみることをする人が
周りに殆どいなくて
そういう想像をしてみる人のことを、小馬鹿にする風潮が
身近にあることだ。

 

たしかに 世の中に起こることも
自分自身に起こることも
何ごとも、そう簡単に全容や真実を
把握できたりはしない。

 

時間と共に変化していく状況や相関図は
生き物のように
その性質が元とは違うものに「育って」しまったりもする。

 

ある程度の時間をかけて
<事実>を集積しながら
注意深く観察して 考察を加えて初めて
見えてきたり、
浮かび上がって来る<真実>もある。

 

突発的なものももちろん 
私たちの周りには存在するけれど
たいていの物事には
たとえ誰も気づかなくても
その結果を予測できるような 先行する出来事が 
既に起こっていることが 現実には多い。

 

身近なことから、国同士のことまで、
これは全く同じ現象だと言える。

 

たとえば子供の 小さいと思える我儘を
「可愛がっていれば いつかこの子も
聞き分けの良い子になるだろう」 
と寛大に許していたら
その子が後に 手の付けられない暴君のような人間に育つとか。

 

あるいは
二度続けて、チャレンジしても
望んだ結果を得られない状況が起こったなら
三度目にもまた やはり失敗するとか。

 

目指しているものに到達できないのに
修正を加えたり やり方を変えず 
それまでと同じ挑戦をするのは
愚鈍なことに 私は思える。

 

少なくとも アプローチを変えて挑むべきだと 私は思う。
「そのやり方では結果を得られない」 という事実が 
そこにもう あるのだから。

 

今までのやり方ではだめだ と
厳しい目を向けて 修正を加え 対応するようにすべきだと思う。

 

けれど そうした姿勢は
対人間ということになると、
とたんに
博愛主義者と称する人たちや 人権を云々する人々が
一斉に異議を唱え始める。

 

確かに人は複雑で
同じ人でも その時置かれている状況によって
同じ物事に対しての反応が違ったりもするし
その人自身が「思ってもみなかった」行動をとってしまうことだってある。

 

その時間的猶予や 判断を保留する機会
愛情をもってなされる忍耐 は当然
あって然るべきだと思う。

 

けれど
人であっても 物事であっても
最終的に 冷徹な目をもって <見極める>ことは 
とても大切なことだと思う。

 

そして 状況によっては <見切って> 切り捨てることも
必要な場合だってある。

 


それぞれに 多岐にわたる悩みがある

 

この仕事を続けるべきか
この人と この関係を続けるべきか
この方法を再度検証する必要はないだろうか
この要求をのみ続けるメリットはまだ残っているか・・・・・・

 

人生のさまざまな場面に於いて
見極めと 見切りの判断が
必要とされているのに
普段 たいていの人たちは
ただずるずると
同じ状況に引きずられたまま 変わることのない苦しみを受けつづけ
日々を過ごしていることが多い。

 

それは
自分自身で 建設的な方向へ向けて
ものを考える習慣のない人が
陥りやすい傾向じゃないかと思う。

 

「この状況を打開するには」 という命題で
自力で環境を変えようとする意思をもって
ものごとを好転させるために自分の知恵やエネルギーを使うのではなく

 

誰か他の人からの助言や 判断や 助けを待つばかりで
自分では 嫌だと思っているその状態から逃れたり
それを止める術も持たずに ただ苦しみ続けてしまう・・・・・
まるで 無力な子供のように。

 

じぶんで 自分の置かれている環境や 状況を変えようとするには
とてつもない勇気と 気力と エネルギーが必要とされる。
自分にはそれをまかなえない と
人を諦めさせてしまう要因は多いのだろうけど
努力というものは
常に困難と 労力と 挑戦を
人に強いるものに 他ならない。

 

石の上にも三年 といったような格言にさえ
時間的区切りは とりあえずついている。
いつまでも<見極め>をせずに 
ずるずると同じことを続けていても 
そこに意義は もはや無いし 
自分自身も疲弊していってしまう。

 

同じように
嘘をつくことが習慣の 不誠実な人間に対して 
いつまでも辛抱強く 誠実さをもって対応することに
どれほどの意義があるだろう。

 

子供向けの童話なら 忍耐から教えられることもあるけれど 
現実社会で 他の人間の生活や生命がかかっているなら
ある時期を過ぎたら <見極め> <見切る> 判断を
しなければならない。

 

客観的に ものごとを見て 対処しなければならない。

 

いま 
恥知らずな貧乏国が 食べ物を恵んで欲しい と言う代わりに
なけなしのお金で 他国から技術や技術者を買い集め 
迷惑極まりないオモチャを振りかざし
お腹が空いてるんだ、美味しいものを食べさせろ と
騒ぎ立てている。

 

愚者を憐れむより 利用しようとする 
卑劣で 狡猾な者たちもまた
その騒ぎに乗じて 自分の私益を肥やそうと
陰に日向に その状況に入り込み 問題を複雑化させている。

 

「平和」という言葉は 美しく 確固としたものであるべきもののように
語られることが ままあるけれど

 

「平和」 というのは ただの「状態」であって
それを出現させるには 
条件を揃え
(それを保ちたいと望む)関係諸国間の 
政治力学的なバランスを崩さないよう
微妙で 繊細な調整を 
常に続けていく以外に
それを存続させ 維持させる手段はない。

 

「平和」は物理的に生まれ、保たれるものであって、
精神論では生まれ得ないのに
自称平和主義者たちは 
人間の心がけ次第で平和は生まれる
と説いて止まない。


愛が地球を、人類を救う という言葉を 滑稽に聞いたとしても
私は それが陳腐だとは思わないし
むしろ 積極的に信じている。

 

けれど そこに到達するには 私たち人間にはまだ 
長い時間がかかるということを 私は知っているつもりだから
世間知らずで 無邪気な正義漢が夢見るような理想論にはまだ 
引っ込んでいてもらうしかない と感じている。

 

「平和」は均衡、バランスがとれている場所にしか 出現し得ない。
球体の上に危なっかしく載っている、何角形かの薄い板でも想像してみて欲しい。

 

その中のいくつかの角に、大小ちがいのある重りがくくりつけられているとしたら
その板は バランスよく 球体(不安定なもの) の上に
均衡(平和)を保って 静かに載っていられるだろうか。

 

自分が望まなくても
人と対立して 状況と闘わなければならないことも
本来採りたくない態度をとらなければ 状況を好転させられない という事態も
この世界に生きている限り 起り得る。

 

直截的に言うなら

 

不誠実で 不真面目であることが明白な相手は そう見切って
無駄な対話を模索すべきではないし
中国、ロシア、朝鮮が 軍事力をもって均衡を崩そうとするなら
バランスをとるために 日本も同じものを揃えなければならないと思う。

 

繰り返すが「平和」とは、物理的バランスのとれた状態のことであり、
愛の心や理想論で どうにかなるものではないから。

 

日本に 潜在的な怖れを持つアメリカは 
戦後ずっと 日本に 日本自身を未熟な子供と信じ込ませ 
父親役をもって任じてきたけれど
戦後初めて
日本の「独り立ち」を 認めるような雰囲気になっている。

 

千載一遇といえるこの機会を
逃してはならないと思う。

 

将来 周辺の懸念が払拭されたあと
最後に
最終的に 
日本が 話をつけなければならないのは アメリカだけど
(敵対するという意味ではなく)

 

今は 協力の時だから
手を握り合うべき相手を見極めて
今の状況を 最善の方法で
将来のために 好転させる方向へ持っていかなければならない。

 

日本はいま 
バランスをとり 平和という状況を保っていくために
防衛力を強化して
周辺諸国との均衡を図らなければいけないと思う。
必要なら 我々は核兵器も持つだろう と 
「アナウンスする」ことは 実際的な効果を生むだろうとも思う。

 

もう対話の時期は過ぎた と明言してくれる声には励まされる。

 

その通りだと思う。
そして 対応がまだ間に合うことを祈る。

 

もし この子供の我儘さ加減は 将来面倒なことになるな と感じたなら
甘やかすのではなく その時点で 叱り、諭すべきなのだ。
育ってからでは 修正が効かなくなるのが世の常だから。

 

見極めと 見切りの大切さは
すべてのことに及ぶ。

 

 

 

 

南イタリアの田舎に日本人が行くと

 

初めて南イタリアのルカの故郷に二人で行ったとき、
夏で、
二人とも時間が取れる状態だったので、
4週間ほど滞在することにした。

 

ルカの実家に着いて ルカのお姉さんから聞かされたのは、
親戚一同が、私に会いたくて大興奮している
という話だった。

 

ルカが故郷を出てフィレンツェへ行って以来
彼は毎年、夏休みやナターレ(Natale「クリスマス」)に里帰りはするものの
恋人を連れ帰ったことはおろか、
話を聞いても、女っ気がまるでなさそうなので

 

実はゲイなんじゃないか、
いやたしか高校生のときに付き合ってた女の子いたぞ、
待て、ルネサンスの頃からゲイで有名なフィレンツェだぞ、
まさかあいつそこで覚えたんじゃ・・・ 
などと、
従兄弟たちに噂されてたんだそーだ(笑)

 

だから 「あの」ルカが、とうとう女の子を連れて帰って来るらしいぞ!
と 事前に親戚じゅうに連絡が回りまくり、
到着した日からもう、
あっちの親戚や こっちの親戚が会いに来てくれたり、
少し遠い町に住む親戚の家へ こちらから会いに連れて行かれたり、

 

私は誰が誰だかぜんぜん覚えられなくて、
でもとりあえず
「はじめましてー」
となるべく積極的に輪のなかに入って行って、
繰り出される質問には全て 丁寧に答えることに集中してた。
(「親戚」バージョンに加えて
「ルカの地元の友達たち」バージョンの集まりもあった)

 

私が外国人だってことも、
フィレンツェと違って
あまり外国人と接する機会のない田舎に住むイタリア人たちにとって
エキサイトするポイントだったらしい。

 

ヴァカンツァの時期には このエリアにも
EU内の外国人(ドイツ人とかフランス人)は来るけれど、
アジア人はこの町にも数人いる、出稼ぎの中国人くらいしかいないから、
「本物の日本人」を実見したことは、各親戚のご近所でも
それなりの話題になったりしてたそうだ。 
(パンダ状態・・・・)

 

そんな状況だから
日伊友好のため、私は頑張った。
私が彼らにとって 
<人生で初めて身近に接する日本人> 
だという責任の重圧が のしかかる。

 

何を頑張ったかって、
おもてなしで出してくださる食べ物は、
すべて美味しそうにいただくわけですよ・・・・

 

向こうはこちらが外国人だから、
「これ知ってる?」
「これ食べたことある?」
「これ美味しいわよ」
「日本にこんなのはある?」
と、楽しそうにいろいろと、しかもたくさん、 
どんどん食べてね♪ と出してきてくれる。

 

しかもまずいことには、美味しいものばっかりなの・・・・・

 

とくにブッラータBurrataなんて、フィレンツェじゃ聞いたこともなかったから
(後からフィレンツェでも売ってると知ったけど)
ブッラータとの出会いは 強烈だった。

 

なにしろそこは本場なので、
初めて 「ここの特産品だよ」 と出されて食べたときは
「ナニコレー!!!」
と、あまりの美味しさに感動。

 

しかも 自家製のフレッシュなブッラータを買えるお店が
ルカの実家の近くにもあって
お散歩ついでに 買ってきてくれちゃったりして

 

これもここの特産品のタラッリTaralli と おやつ(?)に出されたり、

 

ルカのお母さんをはじめ
親戚のおばさんたちも皆お料理が上手で、
特にルカのお母さんがつくる、ナスのラザーニャの「パルミジャーナ」が
美味しくて美味しくて、大好物になってしまうし。

 

そんな食生活で、私はいっぺんに4キロ体重が増えました・・・
田舎に到着して わずか3週間足らずで。

 

日伊友好のために断るわけにいかない と思い、
何でも笑顔で 「美味しいです♪」 と言いながら
出されるままに食べていたら、
人生でこんなペースで体重増えたことない・・・・
という体験をしてしまった・・・・

 

さすがにこれはだめでしょう、と思って、
ひとしきり全ての味は一度はいただいたわけだし、と、
その後は 丁重にお断りするようになりました。

 

4キロ増は落ち込んだ・・・・・ 
ルカは何も気にならないと言ってたけど。

 


私が気になるんです!

 


パンダって、大変なんだね!

 


イタリアでは「南の肥満問題」ということが言われているんだけど、
どう考えても(・・・以下略☆)

 

 

 

 

参考資料の記事:
luriha.hatenablog.jp

 

 

 

 

英霊の皆さまへのお盆のご供養

 

私は音楽が好きで
いろんなジャンルの曲を聴くんだけど

 

YouTubeで、こんなかわいらしい日本のグループと出会って

 

 この曲を楽しく、微笑ましく聴いていたら
とつぜん、

 

何でかわからないけど

 

遠いむかし、 
遠い外国の、馴染みのない 湿気や暑さに 苛まれながら
空腹や 肉体的、精神的な苦しみに 耐え続け
日本で帰りを待つ人々の 笑顔や安心を
一瞬でも守ろうと 闘ってくれていた人たちに

 

「聴こえますか?
明るくて、楽しそうな歌声でしょう?
あなたたちが 勝ち取ってくださったものですよ
日本はこんなにも 
平和で 幸せな国になりました」

 

って、
私を飛び越えて 
というより 
私の身体を通じて
その人たちに語り掛ける声が 聞こえたような気がしたので
(ヘンな話だとは思いますが★) 

 

8月15日にちなんで
お盆の日のご供養代わりに 
感じたものを UPしようと思い立ちました。

 

 

今日、TVで 記念式典も観たけれど
天皇陛下が 珍しく
手順通りではなく 
ご自分のお気持ちに従って 
時間をかけて その場にいらしたお姿を拝見して

 

おそらく

 

今上陛下として この式典にご出席なさるのは
今回のこれが 最後でいらっしゃるから

 

きっと まだ いろいろと 
今上帝として 
英霊だけでなく 市井の御霊たちからも
個人的に 受け止めたいことや
語り掛けたいことなどが 
もしかしたら おありなのではないだろうか・・・・・・
なんて 感じた。

 

一億総玉砕 の覚悟から
戦後の スムーズな復興への移行は 
あの日、
昭和帝が その肉声をもって
「耐えがたきを耐え 忍び難きを忍び」ましょう、と
直接 国民に
語り掛けられたからに 他ならない。

 

そうでなければ
各地で アメリカ兵に対する ひどい抵抗運動が巻き起こっていただろうと
私は思う。
(間違ってるかな?)

 

 

とにかく

 


現代の 日本の若者たちは
こんな風に 自分の好きな音楽や 文学、 勉強、 なんでも自由に
思い通りに
仲間たちと それを楽しめる 
平和で幸福な生活を 享受していますよ。

 

ありがとうございます。
ほんとうに、どうも有難うございます。

 

聞こえますか?

 

どうぞ、聴いて 楽しんでください。
あなたたちが 守ってくださった命たちが こうして繋がっています。
私が歌っているわけではないけれど(笑)
ご供養代わりに
ご紹介したいと思いました。

 

 


もちろん、このグループの皆さんは
そんなつもりで歌っているわけじゃないことは知っているけど

 


彼らの可愛らしい、すてきな歌声を 楽しんでいただけたら良いな って
そう思いました。

 

 

あのころ 好きなことも出来ず戦場に居た 若者だった あなたがたに。 

 

 

 


合掌。

 

 

 

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ちなみに。他に好きでリピしてる彼らの曲はコチラ♪

 

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以前の関連記事:

 

luriha.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

 

過去の亡霊

 

さいきんフラッシュバックがひどい。

 

何の変哲もない日常生活のなかで
悪意のない 誰かの言葉
誰かの行動
私自身にではなく 赤の他人に起こった出来事
時には ドラマか映画の1シーン

 

そんな他愛もないものから

 

私が自覚していないところにある、なにかのスイッチが
偶然 押されると
遠い昔に感じて 
それからは忘れたつもりでいた 
あるいは 静かに心の奥深くに抑え込まれていた
ある負の感情が
眠っていたマグマのように クツクツと目覚め始めて

 

タイミング良くというか 悪くというか
つぎにもうひとつ なにかその物事に関連したことが起こったりすると
感情が
もう私のコントロールを離れて 爆発してしまう。

 

そういう時はたいてい
ひとりで家にこもる。
誰にも会わずに 
電話やメッセージにも 気付かないふりをして。

 

後で何とでも言えるから。
ごめん、寝てた。
ごめん、さいきん携帯の調子が悪くてさ。

 

子供の頃
私は「お姉ちゃん」だったから
代表して 叱られる役割で
代表して 何かを言いつけられ それを弟たちに伝達し、やらせる役割で
家の中では いつも緊張していた。

 

わたしたちが小学生のとき
都心から 郊外のマンションへと引っ越した。
その真新しいマンションのキッチンには
外国のドラマに出て来そうな 大きな備え付けのオーブンがついていて
アメリカ映画で見るみたいな
すてきなお料理が作れるんじゃないかと わくわくした。

 

その家へ引っ越した日の午後、
近所の大型スーパーへ 家族みんなで買い物に出掛けた。
私はもう気持ちが浮き立っていて
ママとお揃いの できたら 可愛いフリルのついたエプロンをつけて
生クリームや フルーツを載せたケーキを作ってみたいと夢見て
丸いケーキ型や 泡だて器なんかを 売り場で見つけてきて
「ママ、これ」 と 少し照れながら 母に差し出した。

 

母は見るなり
「なにそれ、要らないわよ。 ケーキなんて、あんた作れないでしょ?
私はやらないわよ。 作りたいなら一人で作りなさい」

 

私は元にあった場所に それらを返しに行った。

 


こっちは 中学にあがった頃のことだったと思うけど
私の学校は ミッションスクールだったので 土日が休みで
その日、休日の午前中、 父と弟たちはみんな外へ出かけて
家には母と 私だけがいた。

 

ベランダに近い床に座り込み 私は本を読んでいて
母は ダイニングテーブルに新聞を広げて 読んでいた。

 

良いお天気で 鳥のさえずりが聞こえていた。

 

ふと見ると ぷっくりとした可愛いスズメが うちのベランダに降りてきていた。
ちょんちょんちょん と 小さなステップを踏むように ぴょこぴょこ飛び跳ねて
くちばしで 床をついばんでいた。

 

かわいい♡
そう思って 母にもこの可愛い子を見せてあげようと思って
「ねえ」 
と、スズメを驚かさないように 控えめに 
でも 早くしないと逃げちゃうから 声にちからを込めて呼びかけた。

 

母からは うんともすんとも 何の返事も
何の「音」も 返って来ない。

 

「ねえ、ママ」
私はスズメを見つめ続けながら もう一度呼びかけた。
ママに見せるまで このスズメを逃がしたくなくて
もし私が見つめ続け 目を離しさえしなければ この子は逃げて行かない気がして
ママ、はやく。 逃げちゃうよ?
そう思いながら でも少し焦りながら 呼びかけた。

 

「んー?」 でも 「なあに?」 でも、 なんでも良かったんだ。
ママが 私が呼びかけたことへ なんらかの反応を
返してくれさえしたら。

 

自分が人に なにか言葉を投げかけたとき
それが相手に届いて 向こうからも 何か反応が返ってくる、
その時間的な「間」というものには たいてい リミットがある。
数秒~十数秒くらいの。

 

そのリミットを過ぎても 相手から何も返って来ないと 
納まるべきところに 納まるべきものが 収まってない という気持ち悪さや
調和を乱されたような 不快感が残る。

 

無視された という、悲しみが襲ってくる。

 

母は沈黙を続けた。

 

「ねえってば!」
三度目に呼び掛けたとき、私の声は苛立っていた。
どうして返事してくれないの?
そう母には言わなかったけど 心ではそう問いかけていた。

 

母はやっと返事をくれた。
「なにようるさいわね! さっさと言いなさい!!」

 

私は一瞬 殴られたようなショックで固まる。 

 

もう 可愛いスズメはどうでもよかった。
母の強い声に驚いて 飛び去ってしまったと思う。
私は無言で素早く立ち上がり、
本をつかんで、ドスドスと
ワザと足音を立てて部屋へ行き、ドアを閉じた。
バタン! と大きな音を立てられないドアであることが うらめしかった。

 

薄暗い部屋のなかで いっしょうけんめい呼吸を整えた。
泣くもんか。
ぜったい、泣くもんか。
あいつなんかに 私は泣かされない。

 

でも すぐに限界は来る。
はっと息を吐き出すと同時に、涙もあふれ出る。
せめて声だけは、音だけは漏らすまいと
必死に声を押さえ込み 早く「これ」を終わらそうと 
私は息を整えることに集中した。

 

夕方になり、父たちが帰ってくる
夕食の支度を手伝いなさいと もうすぐ私に言ってくるはずだ。
その時が 唯一無二のチャンスだった。
私がいまどんな気分でいるかを 彼らに知ってもらう
唯一無二のチャンス・・・・・

 

ノックも無しに 急にバタンとドアが開けられ、
「何やってんだ、お母さんを手伝え!」 と 父が顔をのぞかす。
「やだ!」
ふだん小声でしか話さなくて 小さいころから
「もっと大きな声でお返事しなさい」と言われがちな私が 大きな声で反抗した。
なんでだ って聞いて欲しかったから。
どうして嫌なんだ? って。

 

理由があるの。 訳があるんだよ。
昼間、お母さんにこんなこと言われたの。
かわいい小鳥をみて、いっしょに 「かわいいね」 って、
そう言って、笑顔を交わし合いたかっただけなのに。

 

でも誰も 私の気持ちなんかに関心を持たない。

 

「おまえはどこまで我儘なんだ、ほんとに出来損ないだな!」
父はそれだけを言うとキッチンの母のところへ行き
「なんだあいつは!」 と 文句を言っている。
「ごはん要らないんでしょ」 母は落ち着いて そう答えている。
もちろん 皆と一緒にご飯なんて 食べたい気持ちにはなれなかった。
お腹も空かなかった。

 

家族全員がお風呂に入り終わると
私はこっそりと部屋を出て、お風呂場へ入る。
ドアに鍵をかけて 
家族たちがTV番組を夢中で観ていることに安心して
シャワーのノブをひねる。


家では顔にシャワーを当てて、よく泣いていた。
いちばん「開放的に」泣けたのは、顔にシャワーを当てながら泣く時だけだったから。
運が悪いと
「水道代を考えろ!」という声が、ドアの外から聞こえてきたけど。

 

 


本当は 一度はもう こんな子供時代のことは忘れていた。
どこかでヒーラーをしているという女性と
そんなことは何も知らずに話をしていて、
偶然 私の子供の頃の話になって 
(いつの間にか自分のことを語らされてたカンジ)
その人が
「その頃のあなたが ご両親からいちばん聞きたかった言葉は何ですか?」
と質問されて、
少し考えたら
「どうしたの? って、聞いて欲しかった。 やさしく・・・」と 呟いてた。

 

イタリアでも 
かわいらしい子供たちが 目の前で遊んでて
イタリアの子たちって、本当に子供らしくてかわいいというか
明るい笑顔で 芯から無邪気で
生きてここにこうして居るのが、嬉しくて楽しくて幸せ!
みたいなオーラを、全身から出していて
見てると思わず涙ぐみそうになったこともある。

 

愛おしく 微笑ましく見ていたら 
急に巨大な悲しみが襲ってきた。

 

いきなり 頭から波をかぶったような感じで、
自分では何も考えてなかったし、
ただ子供たちを 可愛いなあ と見てただけだったのに

 

どこか遠い地底の奥底から
どうして私はこんな子供時代を過ごせなかったの
私はなにか悪いことでもしたの
みたいな、
誰も呼んでないのに私の頭の中に入って来て
そんなことを勝手に感じさせるヤツがいた。

 

いちど記憶の中から蘇ってしまうと
折に触れ そのときの映像や 感情が 日常生活で顔を出す・・・
知らないうちに スイッチが押されると。

 

そして そのたびごとに
新たに いちいち哀しくなって 感情が乱されるので
もうコントロールするのはあきらめて 逆に
この時の私は よっぽど傷ついたらしいな と認めてあげる。

 

なんで思い出したのがこのエピソードだったんだろう と不思議に思う。
他にも もっとひどく悲しんだ出来事だってあったのに。

 

私は 子供が欲しいと思ったことがない。
むしろ 怖れてた。
特に 女の子の母親になるのが怖かった。

 

まだ十代くらいの時は
「私がしたような想いを じぶんの子にはさせない」 と自分に誓っていて
きっと私は 自分の子供とは良い親子関係を築けるはずだと信じてた。

 

でも 家族をつくるには 男の人の存在というのがあると気づいて
その人次第で 私の心は 殺されたりもするんだという事実に気づくと
最初から 手を出さないに限る という結論に至った。

 

私の将来のパートナーが
私の父みたいに
娘に何の関心も示さず 自分の妻だけを愛して大事にしてくれる人なら
私の人生の帳尻は合うはずだけれど

 

そんな人はめったにいないし
そんな父親は稀。

 

もし 私のパートナーが 私よりも
娘の方を可愛がり 私をさしおいて 娘にいつも味方するような人だったら
そのとき 私の心は どこに行けば良いのか わからなかった。
寂しさで 狂気の向こう側へ行ってしまうことだって あるかもしれなかった。

 

子供のときからずっと
大人になれば 私のパートナーが現れて 私を守ってくれ
私をいちばんに愛してくれるんじゃないか
とりあえず その可能性はゼロじゃない
そういう 細い糸みたいな 一縷の希望が
無いこともなかった。

 

うちの親は お前みたいな無愛想で可愛げのない人間が
男性に愛されるはずがない。 結婚なんて一生できない。
と 私が物心つく頃には言い聞かせていたから
じぶんの将来に 期待はしてなかったと思うし
余計な夢など見ないで済んでいた・・・・ とは思うのだけど、
それでも もしかしたら って。

 

それに そこがクリアできても
女の子が生まれてくることを怖れていた母親に対して
娘は どんな感情を抱くだろう
二分の一の確率で生まれてくるかもしれない女の子。
私と 私の親との確執は 彼女には何の関係もない。
巻き込まれたら かわいそうだ。
なら 最初からやめておいたほうが良い。

 

クラスメートには ご両親がお別れして
片親と生活していても 親子がとても仲が良くて
楽しそうな子たちもいた。

 

両親がそろっていて きちんと学校や 習い事にも行かせてくれる生活で
親に不満を持つなんて 
私は 心の汚れた 醜い人間だと そういうふうに評価されていたと思う。

 

友達に 親との確執を相談しても
「お父さんはきっと 心配してるんだよ」
「お母さんは あなたのことを大事に思ってるよ、母親だもの」
そういう一般論を早々に機械的に告げられ
私が何を どう感じているのかなんて 関心を持つ人などいなかった。

 

さいきん 表面的には「まともな」家庭に育ったはずの人たちでも
自らは 家族をつくろうとせず
中には そういう 精神的な問題を抱えている人もいる ということに
やっと市民権が与えられ始めた。

 

あたりまえのように 恋をして 家族を作り 子供を育てる・・・
そんなふうには自分の人生を 考えたり 想像したりしていなかったから
私は 自分は「まとも」じゃないことはわかってた。

 

でも 努力して普通の顔をして 社会生活を送ってきたと思う。
今も 努力して 普通の人のフリをしている・・・・心身ともに 健康な。

 

あのとき 行き場のなかった、
誰にも受け止めてもらえず 
存在すら気づいてもらえなかった 悲しみが
消えて無くなったわけではなく
そのままそこで 
目を開けたまま 
乾いてミイラになってただけ。
そのミイラの「想い」は どうやら消えてくれてないことを
今まで何度か
思いがけなく自分の身に起こった現象から 思い知らされた。

 

「頼むよ、大人しくしてて。 私を 困らせないで」
そう願いはするけれど
ときどき 昔の亡霊が 甦ってきて 暴れ出す。 
悲しかったんだ 寂しかったんだ と 泣き叫び始める。

 

そのとき 私は無力なんだ。
なにも できない・・・・理性的な対応が。
大人なのに 子供みたいに反応してしまうことだってある。
しばらくしたら 落ち着くけれど。

 

 

 

離れるなら 離れてって。
構わないよ、 ずっと独りだったもの。 慣れてるし。

 

 

 

 


ここでも まともなフリしてたのにね(笑)

 

でもまぁ、迷ってはいたから いっか。

 

 

 

 

 

南イタリアの「終わらない」習慣

 

ルカの生まれ故郷は南イタリアのかかと側。
海好きの私にとっては残念なことに
アドリア海を臨む海沿いの町ではなくて、
若干内陸の 小さな田舎町。

 

このあたりの住人は
夏のあいだの数ヵ月は、
実家のある町から車で15分くらいの
カーザ・ディ・カンパーニャ(Casa di campagna  直訳で「田舎の家」)という
緑に囲まれた丘の上の セカンドハウスのほうへ、
避暑を兼ねて移り住む。

 

たいてい お庭つきの一軒家で、
ルカの家族の「田舎の家」は
広い庭に オリーブや アーモンドの木が いくつもあり、
普段食べるサラダなどの野菜用に、
お父さんが 小さな畑もつくってた。

 

ここに居るあいだは 食事は 朝昼晩
庭先の、屋根のある広いテラス部分にテーブルを出して、
雨が降らないかぎり いつも外でとる。

 

外でする食事はなぜか、いつもよりもっと 美味しく感じる。 
あれは何でなんだろう。

 

さて こちらで受けた南の「洗礼」。

 

家族だけの普段の夕食は 
いつもたいてい カフェだけか 
デザートといっても スーパーで買ったジェラートや果物で終わるんだけど、
親戚やお客さんと一緒の夕食のときは
「夕食後」が、なかなか終わらない・・・・・・

 

こんな感じ↓

 

食事が終わるとメインのお皿を片付けて、
デザートの用意を始める。
お客さんが 小さなケーキの詰め合わせや
夏の定番で
ジェラートや ズッコット(ジェラートケーキみたいなの)などのデザートを
持ってきてくれることが多いから、
先ずは それからサーブする。

 

みんなで わいわいと包みを開け、 
それを持って来た人のセンスを褒めたりしながら
味の感想を言い合ったり、
どこのお店のなの? といった質問をしたりして
美味しくいただく。 

 

念のため言うと 
お客さんみんな(家族やカップル単位)が、 
それぞれ 何かしら持ってくるから、
その日のデザートは 1種類だけじゃないことが多い。

 

ひとしきり食べ終わると、
「フルーツ食べる~?」 と言って、
マンマがフルーツを何種類か、
切ったり、そのまま持ってきたり、で出てくる。

 

夏だとスイカ、メロン、
メロンときゅうりの合いの子らしいナントカいう果物
(マクワウリとかいうものと同じだったかも知れないです)
ぶどうやプラム系の果物、
珍しいところでは サボテンの実なんかもあった。
南イタリアだったので。フィレンツェでは見ないね☆)

 

そのあとに 
「はい、コレもどうぞ~♪」 と
マンドルラ(アーモンド)や ノーチ(くるみ)など
ナッツ類がたくさん入った小鉢が、テーブルに現れる。

 

これもみんな各々 手を伸ばして
皮をむいて ぽりぽり食べる。
おしゃべりの口も止まってない。

 

しばらくポリポリしてるうちに、
またマンマか おばさんか、
時には男性の誰かが立ち上がり、
「カフェ淹れるわよー。 飲むひと~?」 と声がかかる。

 

オレいらね。 私もいらない。 って人もけっこういる。
この時間にカフェインを摂りたくないと、
カフェドルツォcaffe d’orzoという、
麦茶ならぬ 麦珈琲を飲む人もいた。

 

暖かい飲み物でまったりしてると、またもおもむろに
「誰か食後酒欲しい?」 
と 新たな展開。

 

食後酒のボトルが 何種類か運ばれて来て、
ささ、好きなの飲んで♪ と
小さな、ショットグラスくらいの大きさの、
イタリアではよく見る
<度数の高いお酒用グラス> も配られる。
(↑ヴェネツィアで見つけるのがおすすめ♪
私とルカは あえて不揃いで、いろんな色とデザインのを買いました♪)

 

食後酒は主に 甘みと
アルコール度数の強いリキュールが多くて、
イタリアには何種類もあるんだけど
さまざまな修道院の 中世からの伝統品やら、
その土地々の特産品やら、
北イタリアのグラッパGrappaは イタリア中で飲まれてて、
甘みがなくドライな味だからか 特におじさんたちが好んで飲んでた。

 

私がイタリアで一目惚れ(一口惚れ)したのは
リモンチェッロ Limoncelloという、
カプリ島(近くのソレント半島も含むかも)特産品のリキュールだけど
イタリアには他にも
パッシート Passitoとか、モスカート Moscatoとか、
甘いんだけど、甘ったるい甘さじゃない、
美味しい甘さの食後酒が たくさんあるんだよね・・・・

 

そこまで「食後」がまったりと 長―く続いているのに、
更にそこで
「ところで誰かジェラートもっといる?」
という声が聞こえた時には、

 

に、2周目ですかっ?! と気が遠くなりかけた・・・・・

 

順番はべつに決まってるわけじゃなくて 
多少前後するけど、
内容としてはこれが 「食後」のフルコース。

 

フィレンツェでも イタリア家庭のディナーに招かれたことはあるけど、
デザートとカフェ、食後酒だけで わりとシンプルに終わるのが普通で、
こんなに長々とは続かなかった。

 

 

恐るべし、南イタリアの食習慣・・・・・

 

 

南の肥満問題 というのがイタリア国内で言われているんだけど、
どう考えても原因が見えてるんですが★

 

 

 

 

夏のカフェメニュー <カフェ・シェケラート>

 

暑いですね~

 

夏の休日 街歩きに出かけたりすると
途中で いちどはどこか 
太陽の熱から逃げるように カフェに入って
風の渡るテラスか
文明の利器・冷房のよく効いた部屋で
冷たい飲み物を飲んで 一息入れて休まないと
すぐに身体がバテてしまう。

 

そういう時に
お茶系の さっぱりとした味わいのものか、
スプレムータ(生絞りジュース)みたいな、フルーティなものが欲しくなるか、
その都度 飲みたい味は違うんだけど

 

日本の夏のカフェでは
アイスコーヒーや アイスティは もはや定番だし
日本らしい研究熱心さのおかげか
味わいの良い、美味しいものも たくさんある。

 

以前 ものすごく暑い日に
たしか表参道あたりのカフェで
アールグレイを使った、 香りも味わいも 本当に美味しい
冷たいアイスティを飲んだ時は 感動したこともある。

 

アイスコーヒーにしても
缶コーヒーは正直、どれも同じような味わいにしか感じられないのだけど
お店で頼むアイスコーヒーは けっこう美味しいと思う。

 

日本のカフェで出てくるアイスコーヒーは たいてい 
大きなグラスに アイスキューブがたっぷりと入っていて
濃い目に作られたコーヒーが しっかりと 
コーヒーの苦みや コクも伝えてくれるものが多いから。

 

日本ですら これだけ美味しいわけだから
珈琲の本場 イタリアでは 
夏にどんなに美味しいアイスコーヒーと出会えるのか と
私も期待していたわけですよ。

 

ところが

 

コーヒーの美味しい国のひとつであるはずの イタリアのバールには
こういったアイスコーヒーは ありません (T_T)

 

一般的に 日本で言う
「アイスコーヒー」 に対応するメニューは
「カッフェ・フレッド」 Caffe Freddo 
直訳で 「冷たいカッフェ(=コーヒー)」
 

これは 普通に淹れたエスプレッソを ガラスのコップに移して 水を足し
アイスキューブを たいてい 1コだけ入れたものが出てくる。

 

ほんとなんですよ・・・・

 

いや、ウソでしょ? と 我が目を疑いました、
イタリアで 初めてCaffeFreddoを頼んで ソレが出てきたとき・・・
別のバール何か所かで試してみたけど
結果は同じ。
アイスキューブが1つだけなのは おそらくは 
ただでさえ水で薄めたエスプレッソの味を
それ以上薄めて壊さないためではないか・・・・ と推察しますが。

 

冷たくはなく、ぬるいだけ。 
しかも 中途半端に・・・・

 

Freddo というイタリア語は 日本語では 冷たい と訳されるけど
実際には 常温よりは低い、冷蔵庫で冷やした程度の温度のことで
日本でいうところの、本当に冷たい温度のものは
ギアッチョ Ghiaccio / ギアッチャート Ghiacciato
「氷のような」 という言葉の方が適切。
 

 

でも私がみたところ イタリアの人たちは 
日本人と違って
ビールも 「キンキンに」冷えたものを求めたりは あまりしてなかった。

 

あっつあつ(熱々)も キンキン(冷)も
そこまで極端なものは 求める文化じゃないみたい。
食べ物の温度が不自然に熱かったり 冷たかったりしたら
却って口にしづらいじゃん ってことらしい。
(↑私の見解です)

 

でも イタリアの夏は
太陽の強さが 日本よりもパワフルで
さっぱりした 冷たい飲み物は どうしても必要なんですよ。

 

そんなとき イタリアのバールで 
本当に頼むべきメニューは、 カッフェ・フレッドではなく
カッフェ・シェケラート Caffe Scecherato / Shakerato
直訳で 「シェイクされたカッフェ」 

 

これは本当にちゃんと冷たくて 美味しいよ。
バリスタの人から作り方を習ったわけじゃないから 
正確なところはわからないけど
エスプレッソ何杯ぶんかと、氷と砂糖を
カクテル用のシェイカーに入れて、シェイクしたもの。

 

この発想、なかなか独創的だと思う。
イタリアの人は カッフェを薄めた味は どうしても嫌いなんだなー 
と再認識もしたけど、
それならば と こんなレシピを考案して、
ちゃんと美味しい <冷たい>カッフェを産み出すなんて
さすが君たちだわ、と感心したのでした。

 

もし砂糖が要らなかったら
ウン カッフェ・シェケラート センツァ ズッケロ ペルファヴォーレ
Un caffe shakerato senza zucchero per favore
「カフェ・シェケラートを砂糖なしでお願いします」
って言って頼んでみて。
(senza は without の意味)

 

量は 日本のアイスコーヒーほど多くないんだけど
冷たくて さっぱりして 
甘さで疲れも癒されて、 
夏の午後に飲むといつも すごく美味しくて リフレッシュできた。

 

まぁ そうは言っても 私はたいてい 
夏は ジェラテリアジェラート食べに行っちゃってたから
そんなにしょっちゅうは 頼まなかったんだけどね(笑)

 

 

夏にイタリアへ行く予定のある人は
美味しいので
よかったら ぜひ頼んでみてください^^

 

 

 

 

ときめくしぐさ

 

ルカは 一般的なイタリア男性のイメージとは かけ離れた男で
基本、いつも生真面目な顔つきしてて、あまり笑わない。

 

ぶっちゃけ根暗。

 

普通に女性は好きだが、一般イメージのイタリア男性みたいに
女性に気さくに話しかけたりはしない(≦できない)タイプ。

 

ロカーレ(Locale 夜お酒飲める店の総称)で、
ゲイの熱い視線(*)を受ける程度に見た目はいいのに、 

 

面倒くさがり  社交性低い  自己評価低い

 

の三拍子のせいか、
高校生の頃に初めて出来た、けど数ヵ月後あっさりフラれた
年上の彼女以降、
10年以上 恋人も出来ずにいたそうだ。

 

(*)イタリアでは男女間よりもゲイ間のほうが、
見た目の良し悪しに厳しい・・・そうです。

 

そんなルカは

 

「まさか俺の人生でガイジンと関わることがあるとは
思ってなかった」 
のに
日本人の私と出会い、
どういうわけか 恋仲になった。
 

本人曰く 
「ストレガート」
(Stregato 「(男性が)魔法をかけられた状態」のこと。
女性が言う場合は ストレガータ。
ちなみに魔女のことをイタリア語でストレーガStregaと言う)

 

20代の若い身空を まるまる独り身で過ごしてたわけだから
女性の扱いには あまり慣れてなかったはずなんだけど

 

出会った当初から ちゃんとエスコートしてくれてたし
女性に飢えていたかの様な  がっつくような態度(笑)も
全然なかったし

 

むしろ落ち着いた 余裕ある態度だったので
私は最初
「毎月つきあう女の子を
とっかえひっかえしている手合いか?」
と警戒していた。

 

後になって
「あの頃は 君に見透かされないよう、
必死に大人の男の演技してた」
と笑っていたけど

 

イタリア人DNAの為せる技なのか、
どちらかというと ルカに負けず劣らず無骨で、
多分に 女性らしさに欠ける私ですら、
思わずきゅんとするしぐさを、時々された。

 

ちなみに 
初めて二人だけで出かけたデートで いろいろと話していたとき
ルカが私より 8歳年下だったことが判明。

 

「え?」 (゚∀゚;)
「え?」 (゚∀゚;;)


でしたよ、お互い・・・・(笑)

 

「ま、ますます好きになったよ!」
というセリフが このとき
イタリア男的状況救済対応フレーズとして、データに記録されました。
必要な人はメモをとっておくように★

 

この人は 一般的なイタリア人の若者と少し状況が違って
20歳頃から親元を離れ 一人暮らしをしていたからか
(30代、40代でも 親元で暮らしている人も多い。主に経済的理由で)
精神年齢は 実年齢より 高かったと思う。
だからたぶん 私との8歳の年齢差も 
気にならなかったのかと思う。 
むしろ 私を子供扱いする時も あるくらいだった。

 

そんな 年下のイタリア人の恋人とは
歩くときは必ず 手をつないで歩くか、
彼の曲げた腕に私がつかまって歩くか だったんだけど

 

指の太さが違うから
私は手をふつうにつなぐほうが 指が疲れなくて好きなのに、
ルカは お互いの指をぜんぶ組み合うつなぎかたが好きで、
(コレけっこう他の男の人でもそうだったかも)
二人で静かな <組み直しの攻防戦> もやってたりした。

 

でもまあ
暑い季節は ルカの好きな組み方のほうが ゆるく手をつなげるから
手に汗をかかずに済んだし
寒い季節は 私の好きな組み方のほうが 手が温かかった。

 

そうして歩いてると
ときどき ふいっと
自分の手ごと 私の手を持ち上げて、
甲のところに 静かに 強く、
唇を圧し当てる。
目は進行方向見たまんま、歩きながら。

 

私はとつぜん手を持ち上げられて
「なんだ?」 てなるから
ルカを見るんだけど、
すぐに私の視線には応えない。

 

<自分に向けられる私の視線>を
しばしそうやって、味わって楽しんでる。

 

唇の上で私の肌の感触を 同時に味わいながら。

 

そうやってキスして、手を元の位置まで下ろしてから
初めて私を見つめ返して、 ニッと少し笑う。

 

そしてそのとき <気が向いたら> 足を停め、
道の真ん中だろうが かまわず抱き寄せて、
そのときに気が済むキスをする。

 

イタリアだから、私も往来の目はべつに気にならない。 
イタリア人だけじゃなく 世界中からの観光客たちが
あちこちの街角でラブシーンしてるし 
(ちゅーとかハグです。 念のため)
だいたい誰も見てないし。

 

そういう時のキスの仕方も いろいろバリエーションがあったけど、
上から覆いかぶさるように
ゆ・・・・っくりと 唇で 唇を包み込んで
そのあと やはり唇で 
唇をほどいてくるキスには、
あやうく 腰が砕けそうになったりした。

 

夏や 夜の集まりで
私が 肩や 背中の開いてる服を着てるとき
席を外して戻ってきた彼が 
私に声をかけて振り向かせるより、
後ろから静かに近づいて
いきなり でもそっと  肩や 首にキスして
「戻ったよ」 と知らせるやり方とか。
(肌が出てない服のときは、頭やこめかみにキスが来る)

 

同じ部屋の 離れた位置にいるときは
(友達の家や、どこかの会場とかでも)
こっちを じっと見つめて来て、
視線に気づいた私と目が合ったら
チュッと しぐさだけでキスを送ってきたりとか。
(手で投げないで唇だけで。 
「元気かー?」 とか
「問題ないか?」 みたいな表情で。) 

 

お店やレストラン 旅先のホテルなどで
ちょっとしたことでも
従業員と話をするのは 基本的にいつも 男性の役目だから
私は人との交渉事をしなくて済んで 
その間ずっと リラックスして待っていればよかったし

 

そういった役割を終えて 私の元に戻って来る彼にはいつも
感謝と ねぎらいの気持ちが高まるので
自然と 優しくしたい気持ちにもなり
彼のことを 頼もしい と感じるようにもなってた。

 

家で私が本を読んでいたり、
台所仕事など、何かに集中しているとき

 

「アモーレ!」 と 急に呼ばれて、(ガチでそう呼ばれてました☆)
私が 条件反射で顔を上げたり
振り向いて 視線が合った瞬間、

 

「ティアーモ エ?(Ti amo, eh? 愛してるからね?)」
と 笑顔で言ってきたり。

 

二人で立っている時はほぼ常に、
背中というか、私のどちらかの肩は
彼の身体に触れていた。
並んで立っている時は、手を繋いで来ていたし
身体を完全に離すことは ほとんどなかった気がする。

 

ソファなどに座る時も
ちゃんと 横に座るスペースがあっても
私はたいてい ルカの足の間や膝の上に座(らされ)ることになって
彼の上半身が 私の背もたれ代わりだったし

 

友達たちと おしゃべりしている間でも
時々 頭や こめかみや 頬に唇で触れることは
他のカップルたちもよくし合っていた。 (女性→男性もしてた)

 

常に自分の身体が感じている その体温で
「後ろに居てくれている」 「私は守られている」 
という安心感を、いつも感じさせてくれたと思う。

 

あの不思議な しっかりとした 気持ちの安定感・・・・
小さい時から 親にすら
安心して甘えることの出来なかった私にとってそれは 
全く未知で 新しい 心理的体験だった。

 

近くでも 遠くからでも、横顔もよく見られてた。
私は鈍いほうだから そんなことにはぜんぜん気が付かなくて
頬に落ちてる髪の毛を とつぜん
指先で耳にそっとかけてくれたりするので、やっと気づくんだけど。 

 

あとは、部屋の隅から 「アモーレ」 と静かに呼びかけて、
「クアントセイベッラ(Quanto sei bella 君はなんてきれいなんだ)」
と しみじみとした感じで言ってくれたり。

 

そうやって 普段の生活のなかで
<二人で微笑みを交わし合う瞬間> をつくってくれるのは、
やっぱり
イタリア人のルカのほうだった。

 

そんな風に 微笑みを交わし合ったら 
その些細なひと時を まるで
決まった音で 韻を踏むかのように
いつも必ず 静かなキスで終わらせるのも
イタリアの生活文化だったのだろうか

 

私は異文化に対しては 基本的に
拒絶反応よりも 好奇心の方が強くて
どうやらたぶん 順応性も高い方なので
私も 日本人なりに 
そういうやり方に だんだんと慣れて、
自分からも 少しは出来るようになりましたケドね。
(たぶんね。 足りてなかったらしいけど・・・←クレーム来てたから★)
 

 

イタリア人男性のやり方、
興味のあるかたは 参考にしてみてください。

 

何も全く同じことをする必要はないけど、
イタリア男性が どうして
世界の 他の国の女性たちにとっても憧れの対象なのか? と 
疑問(笑) を持っている人や

 

彼らの様に女性をエスコートしてみたいけど
どんなふうに振舞ったらいいか イマイチわからない
<向上心ある男性たち> (だけ)に

 

イタリア男、あいつらこんなことしてますぜ
と ご注進してみました☆

 

先行されている分野に於いては 謙虚に学び、
やがては 本家をも凌駕する日本人ですよ

 

どんな分野でも 本気で向上を目指せば、
いずれはお株を奪えるようになるはず。 

 

頑張って欲しいです。 
(てか、お願い。切実☆)

 

昔から(明治期とか) 日本人男性も
欧米女性を含む各国の女性たちにだって 
モテていた記録もあるわけだから、
いろいろと トータルで男を磨いて もっと洗練されていけば
もともとの 真面目な誠実さ という、
世の中の女性が特に求める資質をもつ日本人男性は
アドバンテージが 高くなると思うんだよね。

 

見た目だって
私が住んでた時期だって 日本人男性たちの中には、
あの人ハンサム♡ だとか 
カワイイ♡ だとか言われて、
イタリア女性たちに人気のある人もいたよ。 

 

(但し ゲイも含む ^^; イタリア人のゲイの子が
「日本人の男の子って肌がきれいだよね♡」 と言ってたのは聞いた)

 

イタリア人が 人を見るときは
やはり最初に目につく容姿に先ず反応する っていう傾向はあるけど
(世界中わりとどこでも これ↑は同じだと思う)
顔の美醜よりもむしろ 表情、 顔つき、 の方に敏感だと 私は思った。

 

「美しいけれど感じの悪い人」 だと思ったら 話しかけもしないけど
「なんかこいつ、感じが良くておもしろいぞ」 と思ったら
外国人だろうが 言葉が満足に通じ合わなかろうが 
構わず話しかけて コミュニケートしようとする。

 

<その人>に興味を向けて 
その人と話し、 
その人自身を 知ろうとする。

 

年齢、国籍、職業などは その人を彩るデータのひとつでしかなくて
それよりも 
どんな表情で どんな話し方で 語る人なのか
どんなことを口にする人なのか


Simpaticoか  Antipaticoか、 そちらのほうが重要視される。 
(「シンパーティコ」 「アンティパーテイコ」
それぞれ 「感じが良い」 「感じが悪い」 の意味。
女性の場合は語尾がaになって、「シンパーティカ」 に変化)

 

私は そういう部分にも 日本とイタリアの社会文化の差異を見ていた。

 

日本では 人を評価するとき
その人自身から直接 対話を通じて情報を得るよりも 
先ず
カテゴライズから入ろうとする傾向があるから。 

 

日本人は 新しく人と出会うと
年齢と職業は なるべくすぐ そして ほぼ必ず 知ろうとしたがる。
まるでそのデータがないと、自分にはその人を評価する術がない 
とでもいうように。

 

特に 恋人を求める時には
自分の感性や 性格や 価値観に 
親和性や 共通のものがあるかどうか
その人自身を知ろうとするよりも

 

そういったデータの方を ことさら熱心に知ろうとし、
そこで <自分の求める条件> を満たしていない と思ったら
すぐに 興味の対象から外したりする人もいる。

 

私も日本人ではあるけれど
昔から 一般的な日本人ではなかったので
そういう感覚は よくわからなかった。

 

イタリアの 
データよりもその人自身と向き合う といった社会文化のほうが
自分が自然に同化でき、自然に呼吸していられた。

 

けれど だからといって
イタリア風がすべて 自分の感覚と親和性があるわけでもなかった。 
状況によりけり というのだろうか・・・・

 

ゆえに

 

イタリアでは たしかにあまり気にならなかったけど
日本だとやっぱり 街なかでのキスは
人の目が気になるし
恥ずかしいから、

 

ルカと日本へ行くときは
日本では 日本の文化を尊重して、
人前でそういうことはやらないようにしようね!
(というより 頼むからするんじゃないぞ?)
と何度も念を押した。

 

 

<郷に入っては郷に従え>
という言葉は、
イタリアでも よく言われている言葉なんです。