これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

夏のカフェメニュー <カフェ・シェケラート>

 

暑いですね~

 

夏の休日 街歩きに出かけたりすると
途中で いちどはどこか 
太陽の熱から逃げるように カフェに入って
風の渡るテラスか
文明の利器・冷房のよく効いた部屋で
冷たい飲み物を飲んで 一息入れて休まないと
すぐに身体がバテてしまう。

 

そういう時に
お茶系の さっぱりとした味わいのものか、
スプレムータ(生絞りジュース)みたいな、フルーティなものが欲しくなるか、
その都度 飲みたい味は違うんだけど

 

日本の夏のカフェでは
アイスコーヒーや アイスティは もはや定番だし
日本らしい研究熱心さのおかげか
味わいの良い、美味しいものも たくさんある。

 

以前 ものすごく暑い日に
たしか表参道あたりのカフェで
アールグレイを使った、 香りも味わいも 本当に美味しい
冷たいアイスティを飲んだ時は 感動したこともある。

 

アイスコーヒーにしても
缶コーヒーは正直、どれも同じような味わいにしか感じられないのだけど
お店で頼むアイスコーヒーは けっこう美味しいと思う。

 

日本のカフェで出てくるアイスコーヒーは たいてい 
大きなグラスに アイスキューブがたっぷりと入っていて
濃い目に作られたコーヒーが しっかりと 
コーヒーの苦みや コクも伝えてくれるものが多いから。

 

日本ですら これだけ美味しいわけだから
珈琲の本場 イタリアでは 
夏にどんなに美味しいアイスコーヒーと出会えるのか と
私も期待していたわけですよ。

 

ところが

 

コーヒーの美味しい国のひとつであるはずの イタリアのバールには
こういったアイスコーヒーは ありません (T_T)

 

一般的に 日本で言う
「アイスコーヒー」 に対応するメニューは
「カッフェ・フレッド」 Caffe Freddo 
直訳で 「冷たいカッフェ(=コーヒー)」
 

これは 普通に淹れたエスプレッソを ガラスのコップに移して 水を足し
アイスキューブを たいてい 1コだけ入れたものが出てくる。

 

ほんとなんですよ・・・・

 

いや、ウソでしょ? と 我が目を疑いました、
イタリアで 初めてCaffeFreddoを頼んで ソレが出てきたとき・・・
別のバール何か所かで試してみたけど
結果は同じ。
アイスキューブが1つだけなのは おそらくは 
ただでさえ水で薄めたエスプレッソの味を
それ以上薄めて壊さないためではないか・・・・ と推察しますが。

 

冷たくはなく、ぬるいだけ。 
しかも 中途半端に・・・・

 

Freddo というイタリア語は 日本語では 冷たい と訳されるけど
実際には 常温よりは低い、冷蔵庫で冷やした程度の温度のことで
日本でいうところの、本当に冷たい温度のものは
ギアッチョ Ghiaccio / ギアッチャート Ghiacciato
「氷のような」 という言葉の方が適切。
 

 

でも私がみたところ イタリアの人たちは 
日本人と違って
ビールも 「キンキンに」冷えたものを求めたりは あまりしてなかった。

 

あっつあつ(熱々)も キンキン(冷)も
そこまで極端なものは 求める文化じゃないみたい。
食べ物の温度が不自然に熱かったり 冷たかったりしたら
却って口にしづらいじゃん ってことらしい。
(↑私の見解です)

 

でも イタリアの夏は
太陽の強さが 日本よりもパワフルで
さっぱりした 冷たい飲み物は どうしても必要なんですよ。

 

そんなとき イタリアのバールで 
本当に頼むべきメニューは、 カッフェ・フレッドではなく
カッフェ・シェケラート Caffe Scecherato / Shakerato
直訳で 「シェイクされたカッフェ」 

 

これは本当にちゃんと冷たくて 美味しいよ。
バリスタの人から作り方を習ったわけじゃないから 
正確なところはわからないけど
エスプレッソ何杯ぶんかと、氷と砂糖を
カクテル用のシェイカーに入れて、シェイクしたもの。

 

この発想、なかなか独創的だと思う。
イタリアの人は カッフェを薄めた味は どうしても嫌いなんだなー 
と再認識もしたけど、
それならば と こんなレシピを考案して、
ちゃんと美味しい <冷たい>カッフェを産み出すなんて
さすが君たちだわ、と感心したのでした。

 

もし砂糖が要らなかったら
ウン カッフェ・シェケラート センツァ ズッケロ ペルファヴォーレ
Un caffe shakerato senza zucchero per favore
「カフェ・シェケラートを砂糖なしでお願いします」
って言って頼んでみて。
(senza は without の意味)

 

量は 日本のアイスコーヒーほど多くないんだけど
冷たくて さっぱりして 
甘さで疲れも癒されて、 
夏の午後に飲むといつも すごく美味しくて リフレッシュできた。

 

まぁ そうは言っても 私はたいてい 
夏は ジェラテリアジェラート食べに行っちゃってたから
そんなにしょっちゅうは 頼まなかったんだけどね(笑)

 

 

夏にイタリアへ行く予定のある人は
美味しいので
よかったら ぜひ頼んでみてください^^

 

 

 

 

ときめくしぐさ

 

ルカは 一般的なイタリア男性のイメージとは かけ離れた男で
基本、いつも生真面目な顔つきしてて、あまり笑わない。

 

ぶっちゃけ根暗。

 

普通に女性は好きだが、一般イメージのイタリア男性みたいに
女性に気さくに話しかけたりはしない(≦できない)タイプ。

 

ロカーレ(Locale 夜お酒飲める店の総称)で、
ゲイの熱い視線(*)を受ける程度に見た目はいいのに、 

 

面倒くさがり  社交性低い  自己評価低い

 

の三拍子のせいか、
高校生の頃に初めて出来た、けど数ヵ月後あっさりフラれた
年上の彼女以降、
10年以上 恋人も出来ずにいたそうだ。

 

(*)イタリアでは男女間よりもゲイ間のほうが、
見た目の良し悪しに厳しい・・・そうです。

 

そんなルカは

 

「まさか俺の人生でガイジンと関わることがあるとは
思ってなかった」 
のに
日本人の私と出会い、
どういうわけか 恋仲になった。
 

本人曰く 
「ストレガート」
(Stregato 「(男性が)魔法をかけられた状態」のこと。
女性が言う場合は ストレガータ。
ちなみに魔女のことをイタリア語でストレーガStregaと言う)

 

20代の若い身空を まるまる独り身で過ごしてたわけだから
女性の扱いには あまり慣れてなかったはずなんだけど

 

出会った当初から ちゃんとエスコートしてくれてたし
女性に飢えていたかの様な  がっつくような態度(笑)も
全然なかったし

 

むしろ落ち着いた 余裕ある態度だったので
私は最初
「毎月つきあう女の子を
とっかえひっかえしている手合いか?」
と警戒していた。

 

後になって
「あの頃は 君に見透かされないよう、
必死に大人の男の演技してた」
と笑っていたけど

 

イタリア人DNAの為せる技なのか、
どちらかというと ルカに負けず劣らず無骨で、
多分に 女性らしさに欠ける私ですら、
思わずきゅんとするしぐさを、時々された。

 

ちなみに 
初めて二人だけで出かけたデートで いろいろと話していたとき
ルカが私より 8歳年下だったことが判明。

 

「え?」 (゚∀゚;)
「え?」 (゚∀゚;;)


でしたよ、お互い・・・・(笑)

 

「ま、ますます好きになったよ!」
というセリフが このとき
イタリア男的状況救済対応フレーズとして、データに記録されました。
必要な人はメモをとっておくように★

 

この人は 一般的なイタリア人の若者と少し状況が違って
20歳頃から親元を離れ 一人暮らしをしていたからか
(30代、40代でも 親元で暮らしている人も多い。主に経済的理由で)
精神年齢は 実年齢より 高かったと思う。
だからたぶん 私との8歳の年齢差も 
気にならなかったのかと思う。 
むしろ 私を子供扱いする時も あるくらいだった。

 

そんな 年下のイタリア人の恋人とは
歩くときは必ず 手をつないで歩くか、
彼の曲げた腕に私がつかまって歩くか だったんだけど

 

指の太さが違うから
私は手をふつうにつなぐほうが 指が疲れなくて好きなのに、
ルカは お互いの指をぜんぶ組み合うつなぎかたが好きで、
(コレけっこう他の男の人でもそうだったかも)
二人で静かな <組み直しの攻防戦> もやってたりした。

 

でもまあ
暑い季節は ルカの好きな組み方のほうが ゆるく手をつなげるから
手に汗をかかずに済んだし
寒い季節は 私の好きな組み方のほうが 手が温かかった。

 

そうして歩いてると
ときどき ふいっと
自分の手ごと 私の手を持ち上げて、
甲のところに 静かに 強く、
唇を圧し当てる。
目は進行方向見たまんま、歩きながら。

 

私はとつぜん手を持ち上げられて
「なんだ?」 てなるから
ルカを見るんだけど、
すぐに私の視線には応えない。

 

<自分に向けられる私の視線>を
しばしそうやって、味わって楽しんでる。

 

唇の上で私の肌の感触を 同時に味わいながら。

 

そうやってキスして、手を元の位置まで下ろしてから
初めて私を見つめ返して、 ニッと少し笑う。

 

そしてそのとき <気が向いたら> 足を停め、
道の真ん中だろうが かまわず抱き寄せて、
そのときに気が済むキスをする。

 

イタリアだから、私も往来の目はべつに気にならない。 
イタリア人だけじゃなく 世界中からの観光客たちが
あちこちの街角でラブシーンしてるし 
(ちゅーとかハグです。 念のため)
だいたい誰も見てないし。

 

そういう時のキスの仕方も いろいろバリエーションがあったけど、
上から覆いかぶさるように
ゆ・・・・っくりと 唇で 唇を包み込んで
そのあと やはり唇で 
唇をほどいてくるキスには、
あやうく 腰が砕けそうになったりした。

 

夏や 夜の集まりで
私が 肩や 背中の開いてる服を着てるとき
席を外して戻ってきた彼が 
私に声をかけて振り向かせるより、
後ろから静かに近づいて
いきなり肩や 首にキスして
「戻ったよ」 と知らせるやり方とか。
(肌が出てない服のときは、頭やこめかみにキスが来る)

 

同じ部屋の 離れた位置にいるときは
(友達の家や、どこかの会場とかでも)
こっちを じっと見つめて来て、
視線に気づいた私と目が合ったら
チュッと しぐさだけでキスを送ってきたりとか。
(手で投げないで唇だけで。 
「元気かー?」 とか
「問題ないか?」 みたいな表情で。) 

 

お店やレストラン 旅先のホテルなどで
ちょっとしたことでも
従業員と話をするのは 基本的にいつも 男性の役目だから
私は人との交渉事をしなくて済んで 
その間ずっと リラックスして待っていればよかったし

 

そういった役割を終えて 私の元に戻って来る彼にはいつも
感謝と ねぎらいの気持ちが高まるので
自然と 優しくしたい気持ちにもなり
彼のことを 頼もしい と感じるようにもなってた。

 

家で私が本を読んでいたり、
台所仕事など、何かに集中しているとき

 

「アモーレ!」 と 急に呼ばれて、(ガチでそう呼ばれてました☆)
私が 条件反射で顔を上げたり
振り向いて 視線が合った瞬間、

 

「ティアーモ エ?(Ti amo, eh? 愛してるからね?)」
と 笑顔で言ってきたり。

 

二人で立っている時はほぼ常に、
背中というか、私のどちらかの肩は
彼の身体に触れていた。
並んで立っている時は、手を繋いで来ていたし
身体を完全に離すことは ほとんどなかった気がする。

 

ソファなどに座る時も
ちゃんと 横に座るスペースがあっても
私はたいてい ルカの足の間や膝の上に座(らされ)ることになって
彼の上半身が 私の背もたれ代わりだったし

 

友達たちと おしゃべりしている間でも
時々 頭や こめかみや 頬に唇で触れることは
他のカップルたちもよくし合っていた。 (女性→男性もしてた)

 

常に自分の身体が感じている その体温で
「後ろに居てくれている」 「私は守られている」 
という安心感を、いつも感じさせてくれたと思う。

 

あの不思議な しっかりとした 気持ちの安定感・・・・
小さい時から 親にすら
安心して甘えることの出来なかった私にとってそれは 
全く未知で 新しい 心理的体験だった。

 

近くでも 遠くからでも、横顔もよく見られてた。
私は鈍いほうだから そんなことにはぜんぜん気が付かなくて
頬に落ちてる髪の毛を とつぜん
指先で耳にそっとかけてくれたりするので、やっと気づくんだけど。 

 

あとは、部屋の隅から 「アモーレ」 と静かに呼びかけて、
「クアントセイベッラ(Quanto sei bella 君はなんてきれいなんだ)」
と しみじみとした感じで言ってくれたり。

 

そうやって 普段の生活のなかで
<二人で微笑みを交わし合う瞬間> をつくってくれるのは、
やっぱり
イタリア人のルカのほうだった。

 

そんな風に 微笑みを交わし合ったら 
その些細なひと時を まるで
決まった音で 韻を踏むかのように
いつも必ず 静かなキスで終わらせるのも
イタリアの生活文化だったのだろうか

 

私は異文化に対しては 基本的に
拒絶反応よりも 好奇心の方が強くて
どうやらたぶん 順応性も高い方なので
私も 日本人なりに 
そういうやり方に だんだんと慣れて、
自分からも 少しは出来るようになりましたケドね。
(たぶんね。 足りてなかったらしいけど・・・←クレーム来てたから★)
 

 

イタリア人男性のやり方、
興味のあるかたは 参考にしてみてください。

 

何も全く同じことをする必要はないけど、
イタリア男性が どうして
世界の 他の国の女性たちにとっても憧れの対象なのか? と 
疑問(笑) を持っている人や

 

彼らの様に女性をエスコートしてみたいけど
どんなふうに振舞ったらいいか イマイチわからない
<向上心ある男性たち> (だけ)に

 

イタリア男、あいつらこんなことしてますぜ
と ご注進してみました☆

 

先行されている分野に於いては 謙虚に学び、
やがては 本家をも凌駕する日本人ですよ

 

どんな分野でも 本気で向上を目指せば、
いずれはお株を奪えるようになるはず。 

 

頑張って欲しいです。 
(てか、お願い。切実☆)

 

昔から(明治期とか) 日本人男性も
欧米女性を含む各国の女性たちにだって 
モテていた記録もあるわけだから、
いろいろと トータルで男を磨いて もっと洗練されていけば
もともとの 真面目な誠実さ という、
世の中の女性が特に求める資質をもつ日本人男性は
アドバンテージが 高くなると思うんだよね。

 

見た目だって
私が住んでた時期だって 日本人男性たちの中には、
あの人ハンサム♡ だとか 
カワイイ♡ だとか言われて、
イタリア女性たちに人気のある人もいたよ。 

 

(但し ゲイも含む ^^; イタリア人のゲイの子が
「日本人の男の子って肌がきれいだよね♡」 と言ってたのは聞いた)

 

イタリア人が 人を見るときは
やはり最初に目につく容姿に先ず反応する っていう傾向はあるけど
(世界中わりとどこでも これ↑は同じだと思う)
顔の美醜よりもむしろ 表情、 顔つき、 の方に敏感だと 私は思った。

 

「美しいけれど感じの悪い人」 だと思ったら 話しかけもしないけど
「なんかこいつ、感じが良くておもしろいぞ」 と思ったら
外国人だろうが 言葉が満足に通じ合わなかろうが 
構わず話しかけて コミュニケートしようとする。

 

<その人>に興味を向けて 
その人と話し、 
その人自身を 知ろうとする。

 

年齢、国籍、職業などは その人を彩るデータのひとつでしかなくて
それよりも 
どんな表情で どんな話し方で 語る人なのか
どんなことを口にする人なのか


Simpaticoか  Antipaticoか、 そちらのほうが重要視される。 
(「シンパーティコ」 「アンティパーテイコ」
それぞれ 「感じが良い」 「感じが悪い」 の意味。
女性の場合は語尾がaになって、「シンパーティカ」 に変化)

 

私は そういう部分にも 日本とイタリアの社会文化の差異を見ていた。

 

日本では 人を評価するとき
その人自身から直接 対話を通じて情報を得るよりも 
先ず
カテゴライズから入ろうとする傾向があるから。 

 

日本人は 新しく人と出会うと
年齢と職業は なるべくすぐ そして ほぼ必ず 知ろうとしたがる。
まるでそのデータがないと、自分にはその人を評価する術がない 
とでもいうように。

 

特に 恋人を求める時には
自分の感性や 性格や 価値観に 
親和性や 共通のものがあるかどうか
その人自身を知ろうとするよりも

 

そういったデータの方を ことさら熱心に知ろうとし、
そこで <自分の求める条件> を満たしていない と思ったら
すぐに 興味の対象から外したりする人もいる。

 

私も日本人ではあるけれど
昔から 一般的な日本人ではなかったので
そういう感覚は よくわからなかった。

 

イタリアの 
データよりもその人自身と向き合う といった社会文化のほうが
自分が自然に同化でき、自然に呼吸していられた。

 

けれど だからといって
イタリア風がすべて 自分の感覚と親和性があるわけでもなかった。 
状況によりけり というのだろうか・・・・

 

ゆえに

 

イタリアでは たしかにあまり気にならなかったけど
日本だとやっぱり 街なかでのキスは
人の目が気になるし
恥ずかしいから、

 

ルカと日本へ行くときは
日本では 日本の文化を尊重して、
人前でそういうことはやらないようにしようね!
(というより 頼むからするんじゃないぞ?)
と何度も念を押した。

 

 

<郷に入っては郷に従え>
という言葉は、
イタリアでも よく言われている言葉なんです。

 

 

 

 

 

 

パラダイムシフトを起こせる民族

 

以前 イタリア人に聡明さを感じると書いたけど、
よく考えたら 欧州文明全体が何世紀ものあいだ
(実に1000年以上の長きに渡って)
キリスト教の教義>に 完全に覆われていた時代に


星を観察し
人体を解剖し
思考を掘り下げ
キリスト教以前の ギリシャの古代思想にも学んで

 

ルネサンス> という意識改革(*)
西欧の人間たちの <現実世界への覚醒> のきっかけを作ったのは、
彼らイタリア人だった。

 

しかもその絶対権力、
キリスト教の総本山 ローマ教皇のお膝元
という場所で。

 

(*) イタリア語では 「リナッシメントRinascimento」 という。
「再誕生」「再生」という意味。
ルネサンスRenessance」という発音は フランス語。
なんでフランス語のほうで広まってるのかな?

 

観察し、
考察し、
現実的な結論を導く。 

 

たぶん とてもシンプルなことを やっているだけなんだろう。

 

イタリア人は
空想力や 想像力も 豊かに持ってはいるけど

 

現実の生活に対しては 
とても落ち着いた、冷静な目を持ったリアリストで

 

たとえば 

 

思想的な熱に浮かされる傾向よりは 
冷めた目で 自分の脳みそを使って考えて 
個々人で行動する傾向が強い ように感じた。

 

(イタリアでも中世は 魔女狩りは行われていたのかな?
彼らの性質を考えると なんとなく疑問が残るんだけど)

 

これは一般的な 「イタリア人」 のパブリックイメージとは 
違う部分だと思う。

 

彼らはどちらかというと 
思慮浅く 
乗せられやすく (ノリが良いのは本当 ^^;)
軽薄
に見られている と思うから。

 

もちろんこれは「私の」感想だから、
別の意見を持つ人もいるだろう。

 

でも私の目には 彼らは
一見 おちゃらけて見えても、
芯の部分では とても冷静に物事を見てる人たち 
に感じられたんだ・・・・ 全体的な印象として。 

 

でも明らかに彼ら自身に その自覚はないように思われる。
オレら普通に生活してるだけ、みたいな感じ。

 

それまでは迫害していたキリスト教を、
結局は帝国の中核に置くことを選んだのも
古代ローマ人 というイタリア人なら、

 

1000年以上の後
そのキリスト(カトリック)教文明の世界観をひっくり返したのも、
フィレンツェ人、もしくはルネサンス人という、イタリア人。

 

更にそのあと

 

宗教改革という 
大きな <文明の動き> を生み出すきっかけをつくったのも
イタリア人ローマ教皇だし、
(免罪符なんてモン発行するから・・・・・)

 

ついでに言うと

 

アメリカ大陸に ヨーロッパ人で最初に到達したことになっている
クリストフォロ・コロンボも、

 

合衆国の語源になった アメリゴ・ヴェスプッチも
実は イタリア人。
(お金出したのがスペイン王家)

 そういえば 地動説のコペルニクスも 
彼自身はイタリア人ではないけれど、
イタリアの大学で勉強してたから 
合理的な思想の影響は受けてると思うし

 

地球上の、ここ2000年ほどの歴史の 要所要所にいたのは
イタリア人だったという・・・・

 

これに気がついた時 
「何気にイタリア人、凄いんじゃ・・・・」 
と思った。

 

だから 文化的な人類史のベクトルを
少なくとも90度くらいは変えた<ルネサンス>が起こった 
フィレンツェ という街が
いったいどんなところなのか、見てみたかった。

 


他にも イタリア人てすごいな と思ったことがあるけど、
それはまた 別の機会に♪

 

 

 

興味のある人へ:

 

星の観察→

ガリレオ・ガリレイ
フィレンツェ在住だった。
彼が住んでた家がまだ市内に残ってる。
普通に人が住んでいるので、中は見られないけど。

 

人体の解剖→ 

レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルドはフィレンツェから人生のキャリアを始めた。
彼が解剖の研究に通った病院 まだ市内に残ってるし、今も営業してる。 
エミリア・ロマーニャ州ボローニャにある ボローニャ大学
ヨーロッパ最古の大学で、
世界最古の、解剖学に使った教室を一般公開している。

 

思考の掘り下げ→ 

ジョルダーノ・ブルーノ、マルシリオ・フィチーノ
ピコ・デッラ・ミランドラ他 
彼らについて語れるほど、私自身 勉強できていないし、
フィレンツェでイタリア人から教えてもらって初めて名前を知った人物たちです。
関心のあるかたの自主性にお任せ♪  興味深いですよ!

 

ギリシャの古代思想→ 

メディチ家の当主たちによるプラトン・アカデミーの創設 
からの ルネサンス運動 という流れ。
この <ルネサンス> という文化活動を契機として、
それまで キリスト教の世界観をベースにしていた 
自然科学や 
哲学思想への理解や 
人々の 生活上、思想上の意識が
<宗教>を離れ、現代につながるものに変わっていく。

 

宗教改革>が起こるきっかけとなった
「免罪符」を売り出したローマ教皇は、
フィレンツェの メディチ家出身。

 

この<宗教改革>をきっかけに キリスト教
カトリックと プロテスタントに分かれ、
それが後の 
アメリカ合衆国誕生の きっかけにもなる・・・・

 

 

 

 

 

世間とのズレを感じる

 

世間の一般的な風潮に
相変わらず ついて行けてない。
まあ 昔からなんだけど・・・・

 

たとえば 最近は
ポピュリズム というものを糾弾するような
特にマスコミ(世界各国)の論調に
違和感を感じてる。

 

だってそもそも 政治の世界で
とくに民主主義国家なら
ポピュリズムを気にしない政治家が
どこにいるっていうんだろう。

 

昔から政治家たちは 多かれ少なかれ ポピュリストだよ。
選挙に勝たないといけないからね。

 

ポピュリズムはべつに ここ数年で 
初めて流行り始めたわけじゃないのに 
マスコミはなんで 「最近の困った風潮」みたいな
伝え方をしてるのかな。
あたかもそれが 
何か悪いことのようなニュアンスで 
語るのかな。

 

ことさら <ポピュリズム> という言葉を強調して 
それにネガティブな印象を与えることに
どんな狙いがあるんだろう?

 

特に 「何よりも先ず自国民優先」 
といった内容を主張する政治家に対して
(というより そういう政治家にほぼ限定して)
ポピュリスト と言ってるんだよね。

 

その国の政治家が
その国の国民最優先で ものごとを考えてくれなかったら
国民の皆さん(というより「私たち」)は、
一体どーすりゃいいんですか・・・・・

 

自国民最優先、あたり前だと思うんですけど?
シチズン側だって(時計メーカーさんじゃないよ)
政治家にそれを求めて あたり前だと思うのですが??

 

国家間でお互いに それを尊重し合い、
そのうえで外交なり 貿易なりをするのが
健全な国際関係だと 私は思うんだけどな。

 

国民の多くが賛同する意見を言う人に 
支持が集まり、
最終的に その人が選ばれることになるのは
「全く普通の現象」なのに。

 

自分に投票してもらいたい政治家が
多くの人に好かれようとする内容のスピーチをするのも
「全く普通の戦略」なのに。

 

独裁政権でもなければ、
たいていの国の政治家たちは
ほぼみんな ポピュリストと言えるんじゃないのか・・・?

 

私は 
ポピュリズム=民主主義社会での普通の現象 
と 単純に捉えているんだけど・・・・
(もし違ってたら ご指摘いただけると助かります)

 


あと これは国内での話だけど

 

最近ネットでも リアルでもよく耳にする、

 

「最近の日本はおかしい。
自分の国のことを褒め過ぎてて、
自画自賛してるようで 気持ち悪い。
そんな日本が恥ずかしい。」 

 

という風潮も、
そういう反応の風潮のほうに 
私は 気持ち悪いものを感じてる。

 

よくTV番組の例が挙げられてて、
ときどき 私もそういった番組を観ることもあるけど

 

日本の企業努力だとか 
昔や今の 職人さんの技術や知恵を
詳しく解説、紹介しているだけで
私の目には 普通のドキュメンタリーに見えるし、

 

今までそういったものを知らなくて
初めて知ったり 目の前でそれを見たんだとしたら 
たとえ日本人でも、 外国人でも、
「すごい・・・・!」 って思うのは 
普通の反応なんじゃないのか?
と思う。

 

日本にある小さな町工場が とてつもない技術を開発し
それが国内のみならず 海外でも 
多くの人の仕事を助けているだとか

 

自分が住む国の 
そんな 日の目を見ていなかった実情を 
住んでいる人たちや 外国人が 初めて知って
素直に感動して 称賛することが 
なんで恥ずかしく、おかしいことなんだろう。

 

わざわざ 褒めてもらいたから紹介してる
と曲解しているようだけど

 

褒め「させて」いる というより

 

事実として伝えてみたら
それを耳にした人たちが 思わず褒めてしまう様なものを
日本や 日本人は 
たくさん持ってる ってだけのことでしょう。

 

見栄を張って 嘘をついてるわけじゃないんだよ?
ありもしない技術を さも開発したかのように語る とか・・・・
もし 嘘をついてまで褒めてもらいたがっているなら 
それは明らかに 恥ずかしく おかしいことだと思うけど。

 


そういうことを口にする人に 逆に 聞いてみたいな
と思うのは

 

これまでの日本社会では、逆に
日本はまるでダメ、世界に比べて情けないっていうような
話ばかり聞かされてきたよね。
何年も。 
否 何十年も。

 

今まで そういう話に対してもやっぱり、
それをTV番組などで わざわざ声高に言うのは
恰好悪く、恥ずかしいことだと感じていたの?

 

情けない日本と 
スゴイ日本 
両方共が恥ずかしいなら
「とにかく日本はどっちに転んでもハズカシイ」と言いたい 
っていうこと?

 

それとも

 

情けない日本は 普通に受け入れられるけど
スゴイ日本というのは 自分ではどこか
拒否してしまうっていうことなの?

 

外国人が 「日本のここがだめ」 という時は 
そうだそうだと 喜んで聞くのに
外国人が 「日本のここが素晴らしい」 という時は
「褒めてもらいたがって恥ずかしい」と 
侮蔑や嫌悪の反応をするのって
そっちの方が 明らかにオカシイと思う。

 

たしかに 謙虚な方が 日本の伝統的な文化だし
身内に対しては 
謙譲どころか 「愚息です」など わざと貶めて表現したり、
あるいは へりくだり過ぎて 
時に滑稽になってる時もあるけれど
(そういうの、やりすぎであほらしいと感じてる。
何でも 「~させていただく」 の言い方の氾濫とか)

 

でも 今のこの 
「恥ずかしい」と糾弾する風潮の源泉は どうも 
そういった謙遜・謙虚とは
違うところから湧いているニオイのようなものがあり
そこに違和感を感じて 私は気持ち悪い。

 

別のところから湧いて出ているものが 
日本人の気質のなかに 確かにある
謙遜・謙譲の精神をつつくことで、
状況を思い通りの方向に もって行きたがっているような。

 

いつもの、
社会の中に意図的に <流行>や 
<共通の社会認識>を作り出そうとしている
手法の臭いを感じる。

 

これと同じ好み、同じ意見でない人は皆 
「世相に追いついていない田舎者」 「非常識な人」 
と蔑み まるで馬鹿にするような、
昭和の昔から繰り返されてきた手法。

 

そして それに無意識下で影響されやすい人たちの 数の多さ・・・・

 

心の素直さだったり 
新しもの好きだったり
皆と一緒、という安心感を求めるがゆえ、孤独・孤高を怖れるがゆえの
同調の面もある というのは 
人間の心理として理解は出来るのだけど

 

その「意見」は 本当に
自分自身が感じて 自分の内から出てきたものなのか
それとも
サブリミナルのように 刷り込まれて
誰かの意図がいつの間にか
「自分の感覚」と思い込むように 操作されているのか、

 

その感覚の源泉を 
自分のなかに深く分け入って探しに行ってみたら
もしかしたら そんなものはなかった・・・ と
不思議な感覚になる人も いるかも知れないね。

 

私は 日本の良いところ、
自慢できるようなことや ものを 
国民や外国人にアピールする最近の風潮は

 

今まで何年、何十年と
自分の国を卑下して 過小評価して見てきた 
長い時間があったから
今は多少 逆方向に触れて 
バランスしてる状態なんだと思う。

 

そしてそれは
物事を 正常なバランスに戻すためには 
大切で 必要なことなんだと思う。

 

私はよく いろんなことが
イメージ映像として頭に浮かんで来るんだけど

 

この 自国への毀誉褒貶という現象に関しては
よく科学番組で見る、 
物理的な動きをCGで見るような
地球の軸が 前後へとゆらぎながら自転している動きみたいに
イメージとしては ああいった、
作用反作用的な、
物理的な動きのように見える。

 

だってここ近年、急に外国から 日本を訪れる人が増えたんだもの。
そりゃ お客様は大切にする国柄ですから、
彼らの意見は気になるでしょうよ。
日本社会は基本、マーケティング社会だし・・・・

 

日本人は 日本人に対して
その人個人に向き合うより
誰でもまずはカテゴライズして振り分け、
勝手に定義づけした内容をベースに、
その人を理解しようとする傾向を持つ。
年齢だとか、職業だとか、好きなことだとかで分けて
それに名前をつけて。 
(「ナントカ女子」だとか何とか。)

 

ところが 外国人たちは
人種や文化や趣味の範囲が 多岐にわたっているので
日本国内で ふだん使っている手法では 
簡単にカテゴライズできない。

 

商業目的のカテゴライズをするために
日本の何に興味をもっているかとか、
何が心に残ったかとか、
そういうことをヒアリングしていったら、
様々なことを 称賛しながら教えてくれたから

 

じゃあそれを国民のみなさんにも伝えましょう
みなさんのビジネスの マネタイズのヒントにもなりますよ
もっと より良いサービスが出来るようになるためにも
多くの外国の人たちに もっと満足していただくためにも
みんなで自信をもって、頑張っていきましょう!
・・・・って内容のことが いま
世間に出回ってるだけじゃないの?
(てコトは 褒める風潮は経団連さんの思惑ですかねー 
と すっとぼけ☆)

 

<失われた20年>の出口から
やっと外に出てきたところなんだし
経済界の希望としても 社会人の皆さんには
自信をもって頑張っていただきたいでしょうし

 

何ごとも 未来へ向かって 意欲をもって やっていくには
ポジティブなモチベーションって大事だよ。

 

それにだいたい 自画自賛って 
日本人以外の世界中のひとたちは
ごくフツーに やってることだし
別に目くじら立てるようなことでもなければ
恥ずかしがることでもないよ。

 

たとえばあなたがイタリアへ旅行に行って
イタリアの風景や 文化や 
イタリア人に親切にされたことなどを
ほんとうに素晴らしいですねって、イタリア人に伝えたとき

 

いやそんなことありません、この国はダメなんです
と 暗―く どんよりと否定されるより

 

「お気に召しましたか?
褒めてくれてありがとう。
そうでしょう、私の国は素晴らしいんです♪
他にもこんなに素敵なところがありますよ。
ぜひそちらも見ていってください!」
と 喜んで賛辞を受け入れて 
更に自信満々で自画自賛してくれるほうが
こちらだって 彼らのそんな自慢を 
好意的に、微笑ましく 
むしろ嬉しく 感じない?

 

じっさい イタリア人の郷土愛精神には
カンパニリズモCampanilismo 
という名前がちゃんとあるけれど。
(おらが村の教会の鐘の音がいちばん!みたいなニュアンス)

 

褒めてくれる相手に
そうか~ そんなところがすごいと思われてるのか~
で、他にはないの? (ほっぺを赤らめて笑顔で) 
と聞きたがったとしても

 

それだって別に恥ずかしいことでも、
オカシイことでもない。

 

恰好つけてる人ならともかく、
正直な人間の 普通の反応じゃないのか。
(実際にそう聞くかどうかは別として)

 

だいたいCool Japanて言葉だって
外国人がもともと 言い出した言葉よ、
It’s a Sony 
「それってソニー(の技術くらいスゴイ)じゃん」 
と一緒で。

 

日本人が自分で最初に言ったわけじゃない。
今は 観光業振興のキーワード的に 国内でも使ってるけど。

 

それに そういうドキュメンタリー番組だって もともとは
テレ東さんの<YOUは何しに日本へ?>が評判良いから
他局さんもマネして、
外人さんを絡めるドキュメンタリを作り始めたんじゃないの?
(ホントのところは知りませんが★)

 

今は単に リバランス時期なだけ。
それにやがてまた <流行>は廃れるよ、
日本はいつも 一過性のものが生まれては消えていく社会だもの。
次はきっとまた 逆方向の 自虐的な方向に行ってくれるって。
騒がないでも大丈夫。
(それともその始まりが 今の兆候ってことかな?)

 

その時に 果たして
「最近の日本は 卑下しすぎで気持ち悪い。
自分で自分のことを罵ったり、
わざわざ外国人に 自分の国を悪く言ってもらって喜んでる。
こんなのは恥ずかしいし おかしい」 
と言う人が
果たして今みたいに 出てくるかどうか?

 

私はどっちかっていうと そっちの方に興味がある。

 

あるいは今の「恥ずかしい」と思わせることの裏に どんな目的があるのか。

 

とにかく

 

日本の文化や 日本人の特性が素晴らしい って言っている
その<根拠のディテール>は
虚偽でも ごまかしでもない<事実>なんだから

 

逆にもっと褒めたっていいんじゃない?

 

今までの 自虐感覚からのバランスをとるために 
同じ程度・・・・ つまり
あと70年くらいは (笑)

 

冗談はともかく

 

だって
心身の歪みは
ちゃんと リバランスしないでいると
<健康>に 悪影響がでますからねぇ・・・

 


バランスを欠いた状態って 良くないと思うの☆

 

 

 

 

6/13/2017追記:

普段、いただいたコメントは非表示を基本姿勢にしているので
(黙殺するわけじゃないですよ、公開しないだけです^^)
今回も、どうしようかな とちょっと考えたのですが、
この記事を読んでくれる方々と共有したい内容なので、
ご紹介させてください。

 

<小学生の頃、学校やテレビなどで、日本とか日本人は過去にどんなひどいことをしたとか、恥ずかしい人種だとか、、、みたいなことをたくさん聞いていたので、子供の私はそれをまともに受けていました。 (中略) 大人になって、いろんな情報がすべて正しいものではないと分かったとき、とても、ほっとしました(*^_^*) 今は、日本の文化や日本人の性質に、誇りをもてるようになりました♪♪>

 

<日本人は、・・・シャイな性格からきていると思いますが、褒められたり絶賛されると、バランスを取るために否定したくなってくるんですよね。
素直に喜んでいいんですけど、それが(恥ずかしくて)できない。
「日本スゲー!」という風潮に逆らうことが良いことだと思う国民性。
だから、一つの流れがあってそれを否定する勢力も一定数いる。これは至って健全だと思います。> (←引用を中略しまくってしまいました、ゴメンナサイ)

 


ひとつめのコメントは、
私も全く同じ経験をしてきたので、ご紹介したいと思いました。

 

そういった内容を耳にするたびに
「そうだったのか・・・」と思いつつも
正直、言いようのない違和感はずっと感じていたけれど、
子供だったし、それを否定できる材料を
何も持っていなかったんです。

 

でも 様々な情報に手が届く環境になったいま 
いろんなことが腑に落ちました。

 

他人の悪意の不気味さや執念深さ、
そこにあるむき出しの危険、
けれど性善説を妄信するあまり
それに気づいていなかった私自身のナイーブさ・・・

 

だからこそ 今 
そんなことないよ (現在)
そんなこと なかったんだよ・・・・(過去) 
ってことは
もっと周知されるべきだと思ってるんです。

 

二つめのコメントは
そうか、そっちの意味のリバランスも、確かにあるだろうな
と思ったので、長いコメントを書いて下さったのですが、
抜粋して紹介させていただきました。

 

確かに 照れ屋さんですものね、日本人は。
あと そういった番組の元祖は「YOUは何しに~」よりも
和風総本家」と「Cool Japan」だとご指摘も受けました。^^
和風総本家、私も好きでよく観ます。豆助かわいいし♪
正にあの番組を観ていると
「えー、すごーい・・・!」という言葉がよく、
自分の口から出てきます。

 

みなさま いつも コメントを下さったり
私に新しい視点や 気付きを下さったり
本当にどうも有難うございます♡♡

 

 

 

草木の名前を名乗る文化

 

イタリアへ留学する前 ほんの少しだけ
古武術の手ほどきを受けたことがある。

 

もう出発することは決まっていたので、
短期間の習い事なんて 考えもしなかったんだけど

 

ある神社で その古武術が奉納されるイベント(←神事です)を知り
友達を誘って観に行ったら
その子が その武術に一目惚れして
いきなりその場で 
「習いたい!」 と言い出し
「ひとりじゃ不安。 お願い、最初だけでいいから一緒に通って~!!」
と泣きつくものだから

 

彼女が 弟子入り(?)を直談判しに行った場で
私も
「こういう事情なのですが、ぜひ数ヵ月だけでも
学ばせていただけないでしょうか?
数ヵ月でおいとますることは
失礼にあたらないでしょうか?」

 

とお聞きしてみたら

 

「構いませんよ」 
という寛大なお返事を下さったので 
(却ってびっくりしました・・・)

 

お言葉に甘えて 私も通わせていただくことになった。

 

でも 嬉しくて、ワクワクした。

 

とつぜん突拍子もないことを言い出した友達には驚かされたけど、
巻き込んでくれたおかげで 
このような機会を持つことが出来て すごく感謝もした。

 

自分一人では 
その習い事を何年も 本気でやろう
と決心しない限り、
習わせて戴こう なんて、思いつかないもの。

 

早速 言われた通り
練習のために 足袋を購入し、
武術といっても
立つ、座る、歩く ことから、先ず教えて下さった。

 

兄弟子の方々は 
ことさら親身にでも 冷淡にでもなく
けれど 新米の私たちが 動き等を
間違って覚えてしまわないよう 
そういうところはしっかりと見てくださっていて 
必要に応じて 注意したり 細かく教えてくださったりした。

 

その武術では 個人で使う道具を持たれる方もいるのだけど
練習に ご自身の道具を持ち込んでいらした兄弟子のかたに
ある日 とつぜん

 

「なぜ道具袋に 自分の名前ではなく、
このように 草木の名前を記しているのか、解りますか?」
と質問された。

 

見ると、その方の道具袋には、
ご本人の苗字でも 下のお名前でもなく、
ある花の名前が刺繍されてあった。

 

「わかりません・・・・ 
ご家紋の意匠が、そのお花なんですか?」 

 

そうお聞きすると、
その初老の兄弟子の方は、こう教えて下さった。

 

「いいえ、これは単に 私の好きな花なんです。
じぶんの本名を、誰にでも見られるところには書きません。
昔からそうだったんですよ。
もし 本名をさらしてしまったら、
呪いをかけられたり、
住んでいるところを 知られたりします。
時に命をやりとりすることもある
武道を修めようとする者は 
だから 
自分が どこの何某かがわからないように
こういう場合には、銘として 植物の名まえを記したんです」

 

弟たちが子供の頃 剣道を習っていたけど、
竹刀袋などの道具には 
普通に 苗字が縫い取りされていた。

 

子供と大人は違うし、
その武術も 剣道とは違うけど、
このかたたちは そういったところまで 
昔のしきたりに従って、
本当に 伝統を守りながら鍛錬されているんだな・・・・ と
この兄弟子の皆さんがたに 深く感嘆した。 

 

本名を知られないようにする理由についても、
そのとき初めて聞いたので 
すごく興味深い と思った。

 

武術を鍛錬する男性なら、
龍だの 虎だの 
強さを暗示するようなものを銘にしてもいいものを

 

風にそよぐ 何気ない草木の名まえを
銘にするのが伝統なのだ と 
あらためて聞かされると

 

あぁ そうだった、 
ここはそういう文化の国だった・・・・
と 
ひそやかな自負心と共に、 
懐かしく
慕わしく 
自分の帰属する日本文化を想う。

 

そのとき聞かせて戴いたこのお話が 
それ以来 ずっと頭に残っているから

 

それに影響されて

 

渡伊するにあたり
日本の友人たちとの連絡用に
初めてEメールアドレスを 自分で設定したときも
自分の名前をそのまま使おう とは思わなかったし

 

数年前から 知り合う人ごとに必ず聞かれるけど
本名で作らなければならないFacebookのアカウントは 
最初から、
何となく とる気になれずにいた。

 

だって FBは
本名どころか それ以上の 
いろんな個人情報入力の項目があると聞いたので
「友達でもないザッカーバーグ
なんでそこまで教えてあげなくちゃならないのよ?」 
みたいな反感が(笑)

 

そのうち作るから、と言って逃げてたら
連絡するのが面倒くさいんだよね という
周りからのプレッシャーが どんどん大きくなって
苦しい立場に追い込まれたりしております (;_;)

 

考えすぎで 思い違いだってのは わかってるし
ほんとうは 大きくなるのは 
危険よりも
自分の 日常レベルの世界(の境界線) 
なんですよね、きっと。
うん・・・・・

 

ザッカーバーグさん、
「こでまり」とか「八重桜」とかの銘じゃだめですか・・・・
その花、かわいくて好きなんで・・・・
(往生際が悪い★)

 

 

 

 

フィレンツェ空港の謎のアジア人

 

あるとき 日本に一時帰国するために、
早朝 フィレンツェ空港にいた。

 

フィレンツェからは 日本までの直行便は飛んでいない。 
イタリア国内の大きな空港か ヨーロッパのどこかの空港で、
日本行きの飛行機に乗り換える必要がある。

 

ちなみに私はANAをよく利用してた。 
日ごろ恋しく感じている日本語の活字(新聞、雑誌)が多くあり、
それを読めるだけで嬉しいし
(たまに親から送られてくる小包の中の緩衝材代わりの新聞なんか、
皺を伸ばして、隅から隅まで全部読んでた)
映画も日本語だし
Alitalia(アリターリア イタリアの航空会社)みたいに 
しょっちゅう 座席のモニターが壊れてて映らない
なんて心配もないし・・・・
(ほんとなんですよまったくもう (-‘’-;)
そりゃ 飛行機の窓から景色眺めるのも好きだけど
結局のとこ、ワイン飲んで約11時間ふて寝するしかない★)

 

ANAだと経由は フランスのシャルルドゴールか、
ドイツのフランクフルトか ミュンヘン空港が主。

 

そのなかでも私は ミュンヘン経由がいちばん好きだった。 
いちばん体がラクだったし、
空港もコンパクトで 機能的にまとまってて
広すぎないから 迷う心配(笑)もなかったし、

 

ドイツへのルートは アルプスの真上を飛ぶから、
明るい時間だといつも 
アルプスの雄大で、まっ白いパノラマを
上空から という珍しいアングルで楽しめたので。

 

でもこの時は フランクフルト経由。


いつもエアチケットを取っている代理店の人に勧められて
たまには趣向を変えて トランジットで半日、
フランクフルト観光をする予定で エアチケットを取っていた。
フランクフルトに 特に興味を持っていたわけではなかったけど
ゲーテが生まれ育った家があると聞いて、
それなら見てみたい と思ったから。
(良い半日を過ごせました♪)

 

さて
早朝便だったので、人はほんの数人しかいなかった。
お店も バールしか開いてない時間だったし、
その頃のフィレンツェ空港はまだ 建て替え前の旧施設で、
年季の入った金属製のベンチ以外 とくに何もなく
がらんとしていた。

 

そこへとつぜん警察官が一人 待合スペースにやって来て、
「この中に日本人はいないか」 と言った。

 

私以外に日本人らしい人は居なかった。 
スーツ姿の、イタリア人のビジネスマンぽい男性と、
黒人の男性と、
眠ってる子供を抱っこした やはりイタリア人と思われる
お母さんと、お父さんの家族。

 

「シィ、ソノ ジャッポネーゼ・・・」 Si, sono Giapponese….
はい、わたし日本人ですが・・・・ 
と言って、
いちおう 自分のパスポートを掲げて見せながら
その警察官へ近づく。

 

「ちょっと、助けてほしいんだが。 一緒に来てくれ」

 

そう言うと警察官は 
私を すこし離れた場所にある別室へと案内して行きながら、

 

「自分は日本人だというラガッツォがいるんだけど、
我々としては疑わしい。
(Ragazzo「男の子」の単数形、「女の子」はラガッツァ) 
パッサポルト(Passaportoパスポート)を見せて、と言っても
イタリア語も通じない。
本当に日本人か、日本語で何か聞いてみてくれ。
彼が何をしたいのか、状況もわからないんだ。」
と説明してくれた。

 

へー・・・・? と思いながら、
オカピート、ダッコルド(Ho capito, d’accordo. 
わかりました、了解です)」と返事をする。

 

部屋には 他に2名の警察官と、
小柄な、私の印象としては
映画<オーシャンズ11>に出てた中国人に
やたら明るい にこやかな、愛想の良い顔を載っけた感じの
アジア人男性が 一人いた。

 

その男性はすごい笑顔でニコニコしながら、
何かよくわからない短い言葉を、繰り返し言っていた。

 

私は、
「おはようございます。大丈夫ですか?
何か問題なんですか?」
とその人に聞いたけれど、反応は特にない。 

 

私の方にもニコニコと愛想の良い笑顔を向け、
同じ短い言葉を言ってくるだけだ。

 

困って警察官を見ると、
「日本語で、もっと他の事を聞いてみてくれ」
と言われたので
「あの、日本ではどちらにお住まいなんですか?」
と重ねて聞いてみた。

 

けれどその人は、
はい、はい、とでも言うように
しきりに頷いて ニコニコしてるだけで、
私の言っていることが通じているようには見えない。

 

「あの・・・お名前を伺ってもよろしいですか?」 と聞いても
「フライトの時間は、まだ大丈夫ですか?」 と聞いても
白い歯を見せた笑顔のまま
しきりに頭を ぺこぺこと下げて、 ッペン だか ッパン
といったような、短い言葉(?)を ただ何度も 繰り返していた。

 

私も 一生懸命集中して その音を聞き取ろうとはしてみたけど 
やっぱり何もわからないので 
匙を投げて
「失礼・・・・でも私は、この人は日本人じゃないと思います。
少なくとも 彼がしゃべっている言葉は 日本語には聞こえないし、
この人は私の質問に答えてくれません」 
と警察官たちに言うと、

 

「OK、グラツィエ、シニョーラ」
と言われ、最初の警察官が扉を開けて、元の場所まで送ってくれた。

 

私よりも背の低い、おそらく150cmそこそこの 細身で小柄な男性・・・・
東南アジアの人かも知れないし、中国人かもしれないし
どこか他の国の人かもしれないけど・・・・
とりあえず アジア系ではあったと思う。 
ちなみに肌の色は どちらかというと 白かった。

 

なんだったんだろう、あの人? 
警察官たちも、あのあと結局 どうしたのかな。 

 

彼が繰り返していたあの短い言葉が、警察官たちにはどうやら 
ジャパン、ジャパン、と言ってるように聞こえたらしいけど、
私には よくわからなかった。 

 

あのやたらのニコニコ顔も 今思えば、
焦りまくった状態を 笑顔でなんとか切り抜けようとする 
ニコニコ顔攻撃だったのかも知れないなあ・・・・

 

イタリアに住んでいる間、こんなことは このとき一回きりで、
後で他の在住者の友達たちにも聞いてみたけど、
同じような体験をした人は 誰も居なかった。

 

  

なんだか珍しくも不思議なものを 見学させてもらいました。

 

 

 

 

世界でいちばんかわいい挨拶

 

Ciao!
この、言わずと知れた「チャオ!」というイタリア語・・・・
私は 世界でいちばん可愛い挨拶の言葉 だと思ってる。

 

イタリアでは いったい一日に何回、この言葉を言ったり
耳にしたりすることか。^^

 

知らない人や 目上の人には 
「ボンジョルノ」や 
初めまして、という時には「ピアチェーレ」と言うけれど

 

だいたい同世代の若い人だったり
お店などで 少し目上の店員さんに対しては
「チャオ、ボンジョルノ」 って言ったりもする。

 

元気に「チャオ!」と 弾けるように 短く言う時もあれば、
「チャオ~♡♡」 と
手をふりふりしながらのように 語尾を伸ばして言う時もあるけど

 

いずれの言い方でも この チャオ という言葉、
言うと自然と笑顔になる 不思議な言葉なんだよね。
最初の「チ」の音が もう既に (笑)

 

そりゃイタリア人も人間ですから 元気のない日もあるわけで、
そういうときの言い方は
「チャーオー・・・」
という テンションダダ下がりなものになるわけですが。

 

たとえ知らない人からでも
笑顔で 「チャオ!」 
といわれると
無条件に 何やら嬉しい気持ちになって、
思わずこちらも笑顔で
「チャオ!」 と返してしまう言葉でもあるんです。

 

何でだろ、響きなのかな、やっぱり。

 

この可愛い挨拶、日本でも流行ればいいのにな♪ と思ってるし
実際のとこ 
女子高生あたりに なんとなく 流行りそうな感じはあるのに
意外と流行らないね。
(長友選手あたりに言ってもらう? 「アモーレ」に続けて 笑)

 

ときどき自分では リアルで 友達に対して言ってたりするけど、
イタリアに住んでいたことを既に伝えてある人たちだからか
特にドン引かれることもなく (ホントか?)
むしろあちらも 「チャオ」と返してくれたりする (*^-^*)

 

でもやっぱり そういう事情を知らない人が聞いたら
私は 頭のおかしい人扱いされるんだろうな・・・・・
ノリの良い人だったら 合わせてくれるかも知れないけど。

 

 事情を知らない人といっても、友達の友達などに
初めて紹介される時とか・・・・・に、
ポロッと 多少の照れ隠し的に言っちゃいそうなだけ だけどね。
町なかの人にいきなりチャオは、いくら私でも言えません ^^;

 

イタリア人の間で 知らない人同士で、
でも あまりかしこまらず 
少し砕けた(=親しみを込めた)挨拶をする時には 
彼ら(私が住んでいたトスカーナ州の人)は
「Salve サルヴェ!」 という言葉を よく使う。 

 

「チャオ」 と違うのは、
「サルヴェ」は会った時だけで、
じゃあまたね と別れるときには、使われないこと。
(「チャオ」は顔を合わせた時&別れる時、両方使います)

 

あとね、これは主にメールでだけで
その人のお父さんが イタリアの高校の
国語の教科書にも使われる本を書いたジャーナリストだった、
という裏事情が 関係あるのかないのかは
わからないけど

 

携帯メールで 冒頭によく
「Ave Luri! アヴェ るり!」 って書いて来たイタリア人の友達がいた。 

 

アヴェ・マリア とかの 「アヴェ」 

 

その人の解説によると、
「喜びを伴った挨拶の言葉」なんだそうです。
チャオ の古語みたいなもんかな?(ラテン語だと思うけど)

 

その人以外のイタリア人の友達で 
Ave なんて書いて来る人はいなかったから
この人が ちょっと特殊だったとは思う。

 

顔を合わせた時に ふざけて 
お互いにこの挨拶をして ハグをし合い
「私たち、トーガを着なくちゃいけない気分にならない?」
って言ったら 笑ってたけど。 
(Toga=古代ローマ時代の衣装)

 

「こんにちは」という日本語も
響きがきれいで とっても好きなんだけど
(なにか 晴れやかな響きがあるよね)

 

やっぱり かわいいって思うのは 
「チャオ」の方だなー♡

 


みんな、「CIAO!」使いません?