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これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

<Be the light>

文化・芸術

 

この曲の、このタイトルの言葉は、とても深い。

 

東日本大震災が この歌が生まれるきっかけになったと聞いた。

 

あれは未曾有の悲劇だったから
聴く前は自然と 励ますメッセージなのかなと思っていたけど


この歌、
そして  Be the light というこの言葉は
ただ優しく慰めたり、励ましたりするだけのものではなかった。

 

顔を上げて しっかりと自分の足で立つんだ
一歩を踏み出せ・・・・と、

 

悲しみがとても深いことを じゅうぶん理解したうえで
君ならやれる、大丈夫だよ と 信頼を置いたうえで、

 

「君自身が周りを照らす光になれ」 と 
ある種 突き放すようにして
立ち上がらせるメッセージだから。

 

英語で歌われていて
オフィシャルの和訳もあるみたいだから
個人の訳詞なんかは お呼びじゃないんだけど
自分の中からも 言葉(日本語)が 外に出たがっていたので
外に出してやろうかと(笑)。

 

オフィシャル訳詞へのリスペクトも捧げつつ。

 

ほんとうは、来年の3月11日に この記事をUPしようと思ってた。
今年はもう既に別の音楽を この日に絡めて紹介したし。

 

けれど 


人生 いつ何が起こるかわからない。


じっさい私も 以前 
数時間後にすぐ帰るつもりで出た部屋に
数ヵ月後、やっと戻れたことがあるしね。(交通事故★)

 

だから しつこく同じ話題というのもナンだよなー とか
曲紹介が続くのもなー・・・・ と悩みはしたんだけど
やっぱりいま 発表しておくことにした。

 

ひとつ 説明を書きたい。

 

このうたの歌詞のなかの
You realize that wherever you go there you are
という言葉は、直訳だと
「君がどこへ行こうとも、そこに君がいることを自覚するだろう」で
おそらく 「どこにも逃げることは出来ない」
という意図を込めていると思うのだけど

 

この言葉に 私個人の想いが重なって 
被災者の方々へ伝えたいことがあるの。
(でも実際のとこ、敢えてその人たちに限定するようなことじゃないから、
誰であっても対象になる)

 

「あなたがどこへ行こうと、悲しみを抱えている(あなたのような)人はいる」
ということ。

 

「あなたの大切な人がいなくなったり あなたが辛い思いをしていることで 
(たとえその人のことを直接知らなくても)私も、あなたと同じくらいに悲しい」
ということ・・・・

 

もちろん そのかたの 
生身の、生木を裂かれるような痛みを、直に感じることなどできない。
じっさいに愛する人たちを もぎ取るように奪われてしまった悲しみは 
どんな同情や思いやりをもって想像してたみたところで
とうてい及びもしないだろう。

 

それでも
直接、その方のことを知らなくても
直接 関係がなくても
私(たち)の心も 悲しみや寂しさで 痛くて 苦しい。 
とても辛い。

 

それは嘘じゃない。

 

だから 「あなた」は どこにでもいる。
そのことを 知って欲しい。

 

苦しんでいる人がいる ということ、
その人の存在を知ることで (≒ 知ってしまうと)
その人の苦しみを
じぶんの痛み(の一部)として 感じている人もいる。

 

たぶん たくさんいる。
しかも世界中に。

 

あなたは  だから 一人じゃない。 
これから行くどこにでも あなた(の心の痛みと繋がる人)はいるよ。
そのことを 知って欲しい。

 

時間は 今のこの悲しさ、苦しさのところで
永遠に停滞するわけじゃない。
時間は常に前へと流れて行く。 
止まらずに。 (=Time won’t stop)
だからお互いに 動き続けていこう、 生き続けていこう・・・・・

 

ほんとうに 素敵な歌詞だよね。

 

この歌の 最後の語りの部分では
「自分たち人間 (には選択権がない)」 というニュアンスで 
私は訳した。
一般的な 「僕たち」 という言葉とは、違う意味を放つもの。

 

冒頭で 「神さま」と 呼びかけていたから、 
最後では 「人間」という、神様と対になる言葉を入れて訳した方が
バランスが良い気がして。 

 

動画も OORオフィシャルのものを載せるべきなんだろうけど
この歌が生まれた理由を鑑みれば こちらも良い映像だと思うから
こちらを選びました。

 

似たような動画がいくつかあるけど 私はこれを 何度も観てしまっている。

 

すべてが胸を打つ映像で、でも
心が強い痛みを感じるものと
ほっとして(少しだけ)微笑むことが出来るものとがあるので、
好きな動画です。
(人によっては閲覧注意かも知れないです、「直後」の写真が多いです)

 

たとえ話題にしなくなっても
忘れたりなんかしないよ
心に留めているよってことを これからも信じてほしいって 思っています。

 

 

www.youtube.com

 

 

<Be the light>

Just the thought of another day
 いま思うこと
How did we end up this way
 一体 どうして こんなことになったんだろう
What did we do wrong?
 僕たちは何か 悪いことでもしたんでしょうか?
God……..
 神さま・・・・・

 

Even though the days go on
 どんなに時間が経って
So far so far away from
 あの日から遠く離れたとしても
It seems so close
 まだこんなにも 近くに感じる


Always weighing on my shoulder
 ずっと肩にのしかかっている
A time like no other
 他とは全く違った あの時が
It all changed on that day
 だって 全てが変わってしまった・・・あの日から
Sadness and so much pain
 悲しみと 多くの痛み


You can touch the sorrow here
 まるで触れるくらいはっきりと その悲しみはここにある
I don’t know what to blame
 どうやって 誰を責めたらいいかもわからない
I just watch and watch again
 僕はただ何度も なんども 見つめていた・・・・

 

Even thought the days go on
 あれから何日も経つけど
So far so far away from
 あの日から 時間は離れはしたけど
It seems so close
 それでもまだ 気持ちや心は その近くに留まり続けてる

 

What did it leave behind?
 あの出来事は 何を残して行った?
What did it take from us and wash away?
 なにを僕たちから奪い 押し流してしまったんだろう?
It may be long
 きっと答えを得るには長い時間がかかる
But with our hearts start a new
 けれど 新しい心でスタートを切り
And keep it up and not give up
 ものごとを続けていくこと・・・・  諦めずに、
With our heads held high
 顔を高く上げて・・・・

 

You have seen hell and made it back again
 地獄を見たんだ  そしてここに戻ってきた
How to forget? We can’t forget
 どうして忘れられる?  忘れられるわけない
The lives that were lost along the way
 あんなふうに奪われていった命たちを
And then you realize that wherever you go there you are
 どこに行ったとしても君は<居なくなること>は出来ない
Time won’t stop
 時間は止まらない
So we keep moving on
 だから 僕たちも動き続けよう

 

Yesterday’s night turns to light
 昨日の闇は 光に変わる
Tomorrow’s night returns to light
 明日の闇は 光に還る
Be the light
 その光になれ

 

Always weighing on my shoulder
 いつも 苦しみを感じてる
A time like no other
 比べようのない あの時のこと
It all changed on that day
 あの日 全てが変わってしまったんだ
Sadness and so much pain
 悲しい・・・・   心が痛い

 

Anyone can close their eyes
 目をつぶって
Pretend that nothing is wrong
 何も悪いことなんか起きてないフリは誰でも出来る
Open your eyes
 でも それでも目を開けて
Look for light
 光を探せ

 

What did it leave behind?
 あの出来事は 何を僕たちに残し
What did it take from us and wash away?
 何を僕たちから取り上げ 流し去ってしまったんだろう?

It may be long
 まだ 道は遠いけれど
But with our hearts start a new
 僕たちの心を新たに出発させ
And keep it up and not give up
 続けて行こう 足を止めないで
With our heads held high
 諦めずに 頭を高く掲げて・・・・・

 

You have seen hell and made it back again
 君は地獄を見てきた でもまたここに戻れた
How to forget? We can’t forget
 どう忘れられる?  忘れることなんてできない
The lives that were lost along the way
 あんなふうに奪い去られていった命たちを
And then you realize that wherever you go there you are
 これから君がどこへ行こうと どこにでも<君>はいるよ
Time won’t stop
 時間は前へと進んで行く
So we keep moving on
 だから 僕らも続けよう

 

Yesterday’s night turns to light
 昨日の闇は 光に換わる
Tomorrow’s night returns to light
 明日の闇は 光に還る
Be the light
 その光になれ

 

Some days just pass by
 ある日々は ただ過ぎ去って行き
And some days are unforgettable
 ある日々は 忘れられないものになる
We can’t choose the reason why
 僕たち人間に 選択権はないけれど
But we can choose what to do from the day after
 でも 「その日」のあとに何をするかは 択ぶことができる
So with that hope,
 だから 希望と
With that determination
 その決意をもって
Let’s make tomorrow a brighter and better day
 共に明日を 明るく輝く より良い日にしていこう

 

 

 


ついでに 

同じ人の別の動画も
とても良いので 貼っておきますね♪
この人が どなたかは存じませんが・・・

 

間奏のところで
有名な、防衛大学校第一回卒業式での
吉田茂首相(当時)のスピーチを入れてるセンスが秀逸・・・
PRIDE の文字がオーバーラップするところで 思わず泣きそうになりました。

 

もちろん こういった災害時には、他の様々な人々も全力を尽くしているけれど 

 

陸海空 全ての皆さまの日々の働きに、感謝しています。(特に最近は・・・)

 

www.youtube.com

 

 

 

 

<We Pray For You>

文化・芸術

 

2011年秋に日本に戻ってから
不在にしていた期間の 社会的な知識も少し補わなくちゃと思って、
いろんな情報をネットで見るようになった。 

 

イタリアでは最後の3年間しか
ネット環境の整ったところに住んでいなかったから、
2000年から2009年くらいまでは
日本でどんなことが起こっているかはもちろん
そのときの首相が誰だとかすら、ほとんど知らずに過ごしていた。

 

毎年新しい流行が生み出される日本。
10年以上の社会的ブランクが これからの生活に
どのような影響を及ぼすのか
及ぼさないのか、
予想は難しい。

 

この歌は、そうやってネットサーフィンしてる時に出会った。

 

さまざまな話題について
海外の反応を翻訳しているブログで知ったと思う。
<パンドラの憂鬱>さんだったかな?

 

東日本大震災と 
アメリカでの竜巻の 被災者たちのために作られた歌で、
初めて聴いたときから
とても強い想いと メッセージに心を揺さぶられて


大好きになって

 

それ以来
心が 慰めとパワーを必要とした時には 
繰り返し
YouTubeの この動画を訪れる。

 

そのブログさんでも たしか歌詞の和訳を載せていたけど、
自分でもこの歌を訳してみたいと思ったので、
ここにご紹介します。 

 

動画の下のディスクリプションにある説明と 歌詞を訳しました。

 

数年経っても あまり再生数が増えて行かないとこ見ると
まだ知らない人も多いみたいだから、
いい音楽だし、ぜひみんな聴いてみて!
という勝手なおせっかい♡

 

JRiceというミュージシャンと、
彼の友人の 55人のユーチューバーたち。

 

彼らのこの曲を聴くと、
「この世界も まだ捨てたもんじゃない」 という気持ちになれる。

 

I pray for you
We pray for youって英語は、きれいな響きの言葉だなって思う。

 

この人たちは おそらくリアルでは 
たぶんほとんど 会ったことがない人たち同士なんじゃないかな。

 

彼らはべつに 仲間同士で<祭り>をしているわけじゃない。
このVideoに参加してる人たちは どうやらみんな
自分の家とか 寝室とか 
日常の、たぶん一番プライベートな 地味な空間で、

 

日本だったら たぶんお母さんが 
「なにうるさい音出してるの、近所迷惑でしょ!」って
入ってきそうなシチュエーションで (笑)

 

オーディエンス(聴衆)や プレス(報道してくれる人)が
目の前にいるわけでもなく 

 

ほとんどが たった一人で

 

「被災したり、犠牲になった人たちのために何かしたい」 
「困難な状況にいる人たちを励ましたい」 という
想いの強さで歌ってる。

 

彼らのことは何も知らなくても
彼らの善意や あたたかさ 優しさは 感じられる。

 

彼らの姿から
歌声から
ものすごいパワーと 勇気をもらえる。

 

たぶん 世の中の人々は
こちらが想像しているよりは 温かいし、
この世界は 
こちらが 勇気をもって心を開いて 見てみれば
驚くほどたくさんの きれいなものに満ち溢れていて、
自分で手を伸ばしさえすれば それに触れることだって出来るし、
自分自身で それをつくり出すことだって出来る。

 

こういう人たちの姿を見ると それを思い出させてくれ、
あらためて もう一度 それを信じさせてもくれる。

 

ありがたいなって、感謝してしまう。

 

それくらい とても美しくて、力強い歌だと思う。

 

 

 

www.youtube.com

 

 

<We pray for you (Original song) Japan Tsunami Tribute – 55 Youtubers edition>

 

If I could take it away
 もし僕に 今日(いま)君が感じている痛み
The pain that you’re feeling
 現実として生きている悪夢を
The nightmare you’re living…today
 取り除いてあげることが出来たら・・・

 

I wish that I could make a change
 何か出来ればと望んでいるけど
But I’m only a person
 じぶんはただの一個人でしかない
I’ll take my share of the burden
 背負える重さがあるのなら、その分を担いたい

 

I don’t have much to give
 あげられるものを たくさん持ってるわけじゃないんだ
But hopefully the world, will all join in
 でも、世界がみんな一緒になって
And say with me….
 僕とこう言ってくれたら・・・・

 

I pray for you
 あなたのために祈ります

 

And if we stop for a moment
 そして少しの間 足を停めて
Imagine what we can do
 自分達に何が出来るだろう と考えてくれたら・・・

 

I know together
 僕たちは一緒に
We’ll help you make it through
 あなたがたが この試練を くぐり抜ける手助けをする
We’ll help you make it through
 あなたたちが これを乗り越える手助けをします
We pray for you
 あなた達のために神様に祈る

 

While we are safely asleep
 私たちが安心して眠っている間にも
Mothers are searching
 見つからず、安全なところに居るのかすらわからない子供を
Lost and uncertain in need
 探し続ける母親たちがいる

 

My heart won’t let me believe
 心が、どうしてもそれでいいと思わせてくれない
It’s ok doing nothing
 苦しんでる人がいるのに
When others are suffering
 何もせずにいていいの って

 

Even if we don’t have much to give
 俺たちは 多くのものを 与えてあげられるわけじゃないけど
Hopefully the world, will all join in
 強く望むよ 全世界が俺たちと声をそろえ
And say with me….
 こう言ってくれることを

 

I pray for you
 君たちのために祈ります

 

And if we stop for a moment
 そして少しの間 手を止めて
Imagine what we can do
 自分に何が出来るだろう? と想像してもらえたら・・・

 

I know together
 わたし達は
We’ll help you make it through
 あなたがたが この苦痛を、通り抜けるのを助けます
We’ll help you make it through
 あなたを助けて、くぐり抜けさせる
We pray for you
 あなた達のために祈ります

 

Can’t fix it all overnight
 きっと簡単に元には戻らない
But we don’t stop trying
 それでも挑みつづけてみるよ
Until everyone’s hands unite
 みんなの手が合わさり、ひとつになるまで

 

The future looks brighter now
 今はもう少し 未来が明るく見えるよ
You may be knocked down
 君は打ちのめされたかも知れないけど
But you’ll be stronger somehow
 確実に、より強い人になっていくだろう

 

Even if we don’t have much to give
 たとえ僕らのあげられるものが少なくても
But hopefully the world
 呼びかけることはできる
Will all join in
 全世界に
And say with me
 一緒に声を合わせて言って欲しいと

 

I pray for you
 あなたのために祈ります

 

And if we stop for a moment
 そして少しの間でいいから立ち止まって
Imagine what we can do
 じぶんに何が出来るか、考えてみよう

 

I know together
 私たちは一緒に
We’ll help you make it through
 あなたたちが この試練を くぐり抜けるのを手伝うよ
We’ll help you make it through
 君らがこの苦しみから 早く抜けられるよう助けたい
We pray for you
 君たちのために祈ります

 

And if we stop for a moment
 少しのあいだ
Imagine what we can do….
 考えてみよう、じぶんに何が出来るかを

 

Yes, we will
 そう 手伝うよ
Yes, we will….
 手を貸したい

 

We pray for you…..
 祈ってるよ・・・・・・祈ってます

 

And if we stop for a moment…
 少し立ち止まり

Imagine…
 想ってる…..
what we can do…
 僕たちに 何が出来るかを…..

 


Story behind this song:
I sent out an email on April 1st to a lot of my youtube friends with a very rough mix of this song with only one vers. and chorus.
I had no idea if anyone would even be interested in singing it with me, but within 24hours 90% had responded saying they were in.
A week later I sent everyone their parts. Luckily I was familier with each individual voice, so I tried to pick parts that would showcase their vocals and also be the perfect match for mood in the song.
3 weeks later (50hours of editing/mixing)…..
All the parts were in and the video was completed.
This project has been an amazing experience and we all hope that a real difference can be made with it.

 

この歌が生まれた背景:
4月1日に、僕はこの歌のたったひとつのヴァージョンとコーラスだけの
とてもラフなミックスを、YouTube上の多くの友達たちにメールで送ってみた。
その時は、僕と一緒にこの歌を歌うことに興味を持ってくれる人が
いるのかどうかすら、まったく見当もつかなかった。
でもその後 24時間以内に90%の人たちが返事をくれたんだ、
「参加するよ」って。
一週間後、僕は各人のパートを彼らに送った。
幸い僕は一人ひとりの声をよく知っていたから、
彼らの歌声がこの歌の雰囲気にいちばん完璧にマッチするよう、
ショーケースに収めるみたいに配置(アレンジ)した。

そして三週間後 (50時間に及ぶ編集とミキシング作業・・・・)
全部のパートをつなぎ合わせて、このvideoが完成した。

このプロジェクトは素晴らしい経験だった。
そしてこの体験を通じて本物の変化が起こせることを、
僕たちは皆 願っています。

 

 

 

日本列島アトランティス説が脳裏に浮かぶほど動揺した

日本

 

あのとき
東日本大震災が起こったとき、

 

私はまだ外国にいて 
インターネットのおかげで 日本の人たちが直接発信する映像や情報を
少しは手にすることが出来てはいたけど

 

自然の残酷さというよりは
この惑星の上に 生き物として暮らすということの如実な現実を
どこか非現実的な、映画か何かの作り物のように見ながらも
(無意識下で そうであってくれと望みながらも)

 

見ろ!これが<現実に起こっていること>だ、見ろ! 
と 何かに頭ごなしに言われている感覚で

 

理解の追い付かない感情と頭で
目にしている映像のインパクトに圧倒されながら

 

まるでそれが 今現在 
自分に課せられている義務ででもあるかのように
いくつも いくつも 震災の関連動画を見続けてた。
毎日。


日本にいる<みんな>の心情を 少しでも共有できるかと錯覚して。
日本にいるみんながいま経験していることに、気持ちだけでも追いつきたくて。

 

イタリアのTVニュースでは、原発が最大の関心事で
毎日 その続報はあり、
爆発した瞬間の映像は、何度も見させられた。

 

地震 津波 破壊 放射能・・・・・
なにか 日本という国が 
なんらかの意味で終わってしまうんじゃないか・・・・ みたいな、

 

今から思えば ばかばかしいと笑えることなんだけど
その当時は 何が次に起こるのかもわからなかったし
余震も続いていたみたいだし
何より 物理的に遠くにいすぎたせいなのか
不安感が とてつもなく大きかった。

 

こんなこと言ったら「縁起でもない」と怒られそうだけど
あの時は 本当に
日本が 海に沈没しちゃったらどうしよう って、
そんな突拍子もない考えまでが浮かんだ。

 

将来 日本という国は 
あのアトランティスみたいに

 

「昔、日本という、伝説の国があった」
なんて 語られるようになっちゃうんじゃないの って。

 

高度な文明と 豊かな文化があり 高潔な人々が住んでいた とかさ・・・
伝説として語られそうな内容が、符合するじゃん!

 

アトランティスにあったという オリハルコンだって
日本にも そんな物質なんか 
一つどころか ゼッタイたくさんあるし。
たとえば・・・・ カーボンナノファイバーとか?(適当★)

 

安全なところにいたくせに すごく怖かった。
安全なところに居ることの 一種の罪悪感も 感じていた。

 

これから日本はどうなっちゃうんだろう って 
どす黒い不安の大きさに 押し潰されそうになってた。

 

日本が海に沈むなら 私も一緒に沈むから
お願いだから 置いてかないで って気持ちになってた。

 

私の場合、家族ではなかった。 
友達たちや むしろ 知り合いですらない
とにかくいま日本に住んでる 日本の人たちと 
とにかく一緒にいたくて、
「日本」のそばに居たくて、

 

イタリアに住み始めて10年以上経っていたけど
日本に帰りたい なんて それまで一度も 思ったことなんかなかったけど
このとき 本当に初めて
日本に帰りたい って気持ちになった。
強く そう感じた。

 

もちろん 最終的に ほんとうに引き上げる決心をしたのは
他にも様々な要因が重なり合っての判断だった。

 

あちらでの日本人の友達のなかには 逆に
「しばらく日本には行けないね・・・」 とか
「今後数年は、日本に帰らないと思う」 と言う人もいたし、
「長くイタリアに住んでるのに、よく引き上げる決心したね」 
と言う人もいた。
その人は暗に 「いまさら日本で生活できるの?」 って
言いたかったのかも知れない。

 

けれど
その後 イタリアを含めヨーロッパ全体が 
思ってもみなかった数の 難民や移民たちの流入で混乱しだして
日常生活の風景も 経済や政情も 
決して良い方には変わっていない状況を見ると

 

もしかして私は 
実のところ 良いタイミングで
ヨーロッパを離れたんじゃないか って気もしてる。

 

今後 ポツポツと話すかも知れないけど
イタリアにいた頃から始まり 
帰国してからも続いて
いろいろと 個人的にも乗り越えてきた事などもあって

 

いまようやっと 落ち着き始めたところだったりする。

 

だからブログも やっと始められる状態になり、
昔語りやら 今語りやらを 
こうして 気ままに出来るようにも なったわけです。

 

日本に帰る決心をするきっかけになったから、
去年 3月11日に このブログをスタートして

 

お陰さまで 1年経ちました。

 

ウチって、読みに来て下さっているほとんどの人が
はてなブログ以外からの人たちみたいなんですが (98%・・・)
数少ない(感謝です!) はてなブログからの人たちへと同様に、
「読みに来てくれて、どうもありがとう♡」 って 
いつも思ってます。  Grazie♡

 

タイトルとはぜんぜん関係なくても
実は 感謝もお伝えしたかった記事でした。
(わかりづらくてスミマセン)

 

いや、でも シャレにならないくらい 
向こうにいた時は 真剣に心配だったんだよ?
日本列島アトランティス説・・・・

 

物理的に距離が離れていると、不安や心配が より悪化し、
巨大化すらするのは事実だ と確信します。
離れた場所に ご無沙汰しちゃってる人がいる人は
ときどき消息知らせてあげた方が親切かと。(自分もだけど★)

 

あの時は 笑えるくらい、深刻に不安になっていたけど
帰国した今は、自信をもってこう言える。

 

「沈んでたまるか、ふざけんな。」 (←その頃の自分に言ってます)

 

3.11というこの日は、 象徴的な日付ではあるけど、
その後 九州でも大きな地震があったし、
台風や 他の自然現象・・・・ そればかりか
人為的な要因で 大きな被害に遭った人たちも多くいる。
(火の不始末からの信じられない大火事とかもあったよね・・・・)

 

4つのプレートの上に乗っかっているこの国は
地震は 避けることが出来ない運命として 受け入れるしかないし

 

生きている惑星の上で生を営む以上
時に過酷な自然現象の中で生きていくためには、
自分たちの方の知恵や技術を磨くしかないし

 

人間には いろんな人たちがいるし
どんなに気を付けていても 失敗や不測の事態は起こるから

 

引き続き 「その時」に備えておくことと
さまざまな お掃除と 後片付けと 復興を
がんばっていこうね・・・・・日本!

 

 

それぞれの災害で、犠牲になられたかたの御冥福と

被災された方々の、一日も早い心身のご回復をお祈り致します。

 

 

 

 

ブログにUPした最初の記事:

luriha.hatenablog.jp

 

 

熊本地震のとき思わず書いた記事:

luriha.hatenablog.jp

 

 

 

 

3月8日のミモザの花

文化・芸術

 

フィレンツェでも 3月に入ると
空気も 色彩も 春らしい明るさを帯びてくる。

 

陽光が きらきらと輝き
街のショーウィンドウには
復活祭の飾りつけの定番の うさぎやヒヨコ タマゴたちと一緒に
黄色いミモザの花がよく飾られる。

 

イタリアの3月8日は フェスタデッラドンナ(Festa della Donna 女性の祭り)
あるいは ジョルノデッラドンナ(Giorno della Donna 女性の日)といって
男性たちが 女性たちに
「女性の日おめでとう」 と言って、ミモザの花をプレゼントする。

 

もともとは、むかし
工場勤務の女性たちが 工場の事故か火事で
多数犠牲になったことが発端だとか
女性の参政権を求めた運動が発端だとか
この日付けの根拠は 諸説あるみたい。

 

でも私が感じた日常生活のなかでのこの日は
あまり そういった謂れについては注意が払われてなかった印象。
「どうして3月8日が女性の日なの?」 と聞くと、
イタリアの人たちの意見は 上記のように一致してなかったり
どちらかというと
さあ? とか、 昔からそうなってる、 とかの反応の方が多かった。

 

この日は 街は 黄色いミモザの花で彩られる。

 

行きつけのバールやお店で贈られた
小さいミモザの花束を手に歩く女性が たくさんいたり

 

ミモザで店先を飾るところもあったり

 

田舎から たぶん自分の庭のミモザの木から枝を切って来て
小さな枝ひとつひとつに赤いリボンを結び
ひとつ1ユーロで街角で売って ちょっとした小遣い稼ぎをしてる人もいた。

 

男性たちは そういう街角のミモザ売りの人や
露店の花屋さんで 気に入った花束を買い
友達や、お母さんや家族、
仕事場の同僚や、自分の店に来るお客さんの女性たちに
気軽な感じで 今日は女性の日だからと 花を手渡し 
女性たちはそれを「グラツィエ」と言って受け取りながら
じぶんも笑顔の花を咲かせる。

 

ミモザの花って
ちいさな毛糸玉みたいな ぽわぽわした 
可愛らしい丸い黄色の花がたくさん寄り集まってて、
枝をいくつか 大きめの花瓶に どさっと挿すと
あふれんばかりの <ミモザの噴水>みたいな姿になる。

 

明るい黄色い花と 濃い緑色の葉っぱのコントラストは春らしい色彩で
眺めていると 自然と笑顔になるし 
元気なエネルギーももらえる。

 

私はそれまでミモザの花を日本では見たことがなくて 
イタリアで暮らし始めて 初めて知った花だったけど

 

いま住んでるところの里山では ミモザの木を見かけることもあって、
お店の庭にあったりすると 
買い物や 食事に行ったときにお願いして 
一枝譲っていただいたりしてる。
とても可愛い花なので 家に飾りたくなってしまうから。^^

 

女性の日には 主婦業やお母さん業をお休みして
女性の友達同士で 外に食事に行ったり 
ロカーレに遊びに行ったりするのを
旦那さんだったり お父さんたちも子供達と一緒に
「いってらっしゃい。楽しんできてね」
と笑顔で送り出す。

 

お父さんと子供達にとっても 
お母さんがいない状況だから出来るコトっていうのも・・・・
あるんじゃないかな?(笑)
そう考えたら 双方 楽しい日なのかも知れないね。

 

年に一度くらいは そういう、
合法的に(?) 女性としての役割をお休みできる日っていうのも 
あって良いよね。
女性は普段 家の外でも 中でも 駆けずり回ってるもの。

 

日本には 女性の日はないけれど
人間なら誰にとっても 
<役割>を休んでリラックスできる日は 普通に必要だから

 

たとえ24時間365日のお母さん業であっても、
主婦業であっても、

 

せめて 年に一度くらいは 
旦那さんやお父さん、子供たちが
「今日は仕事を休んでゆっくりしてね」 って言ってあげたら
そんな心遣いや言葉だけで きっともう
言われた女性は とっても嬉しい気持ちになると思う。

 

人によるのかも知れないし 男性だって同じかもしれないけど
女性って、大切な人のためにいろいろと
自分の時間やエネルギーを使って何かをして その人に喜んでもらうことは
自分自身の喜びでもあるんだけど

 

たとえば 子育て期間とか
自分のためだけに使える時間が ほとんどない生活って、
自覚があろうとなかろうと
心身共に かなり疲弊してしまうでしょう?

 

私はお母さんになったことはないけど
人の命や生活の安全を預かる っていう責任と
24時間365日っていう就業時間(?)を思い合わせたとき
それが どれだけ大変なことなのかや
その状況が何年も続いたとき その人がなるであろう心情などの気持ちは 
想像できる。

 

とあるイタリア人男性の言葉が印象的だった。

 

「この日は自分にとっては、全女性に感謝する日だよ。
だって、女性のいない世界なんて、寂しすぎて想像できないしね。
存在してくれてありがとう、っていうだけでも足りないよ。
彼女たちは男性に、そこにいてくれるだけでも、大きな喜びを与えてくれるのに
それだけでなく毎日、僕たちの日々の生活が 心地よいものになるよう、
様々なこともしてくれてるんだから。」

 

ただミモザの花を贈られるだけでも 
私なんかは すごく嬉しかったんだけど

 

家族や恋人同士だけでなく たとえ友達同士であっても
優しい言葉と やさしい心のプレゼントは、
元気と笑顔をつくり出してくれるから

 

いつでも ふと思いついた時には 
それを贈り合ってみたいよね。 

 

お互いにね♪

 

 

 

 

内面を好きになった瞬間

恋愛カンケイ

 

ルカとつきあい始めたころ
音楽は何が好き?と聞かれて、

 

何でも好きだけど、不思議と季節によって
聴きたくなる音楽が変わるんだ。
春はポップスや 軽めのロック、ジャズも聴くし
夏は 昼はボッサ、夕方や夜にはタンゴやサルサなど 
ラテン系の曲を聴くのが好きで
秋冬はよく クラシック音楽や、古いシャンソンなんかを聴きたくなる 
と話した。

 

クラシック? オペラリリカ(Opera Lirica いわゆるオペラの曲)とか?
と、少し驚かれた(笑)。

 

イタリアも 日本と同じで
クラシック音楽が好きな若い世代の人たちも もちろんいるんだけど
それはたいてい オーケストラを構成する楽器の演奏家たちだったりするし
一般的には クラシック音楽を聴くのが好きだ というと
やっぱり少し 年寄りっぽい(?)というか、
珍しいね、と言われる傾向はある。

 

ルカは高校生の頃 地元の仲間とロックバンドの活動をしていて、
担当はベース。
インディーズでレコード(CDじゃなくてLPレコード)を出したこともあって
自分も音楽全般がとても好きだけど、
クラシックはよくわからない ということだった。

 

でも、
とルカは、あるクラシックの音楽家の思い出を、そのとき話してくれた。

 

 

ルカはフィレンツェで 電気技師として働いていた。

 

彼の会社が、劇場や イベントの照明設備全般を請け負う会社で、
フィレンツェだけでなく 外国を含め、他の都市の劇場や野外劇場、
ローマの遺跡でフェンディのファッションショーの照明もやったことがあるよ、
と話してくれた。

 

数年前、フィレンツェのテアトロコムナーレ(市立劇場)の仕事で、
その晩に行われるコンサートのために
照明とコンピュータの調整をしてたとき、

 

「その夜の主役のアルティスタ(Artista 芸術家)が、
舞台でプロヴァ(Prova リハーサル)を始めたんだ」

 

そのひとはチェリストだった。  
まともにチェロの演奏なんて、それまで聴いたこともなかったけれど、
とてもきれいな、素晴らしい音楽で、
俺は自然と仕事の手が止まり、聴き入ってしまっていた。

 

惹きこまれたんだ、そのアルティスタの演奏する音に。

 

彼の弾く楽器の その音色を聴いていると
なんだか 胸がいっぱいになるような、
不思議な気持ちになった。

 

その夜のコンサートも、もちろん大成功で、
コンサートの後、俺たち裏方のスタッフも全員、
そのアルティスタとの夕食会に招かれた。

 

市長や 劇場のお偉いさん方も 皆出席している夕食会なのに
そのアルティスタはどういうわけか
わざわざ 俺たち裏方ばかりのテーブルに来て、
そこで一緒に楽しく食事をしたんだ。 

 

昼間に聴いた、彼の演奏するあの音といい、
俺たちと楽しそうにテーブルを囲む そんな気さくな態度といい、
とても印象的な、すてきなアルティスタだった。

 

今も あのとき彼の弾いた音の余韻は 耳の奥に残ってるんだ  と
人が 心から感動したときの 
優しく やわらかな微笑みを 表情に浮かべて
ルカは私の顔を見つめた。

 

「そのアルティスタの名前を憶えている?」 
私は聞いた。

 

「憶えてるよ。 覚えておこうと思ったんだ、
ロストロポーヴィチという人だったよ。」

 


私も感動で胸がいっぱいになった。

 


私もチェロの音色が大好きで、
でも ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは 
CDでしか聴いたことがなかったけれど、
彼の音楽と
その人物そのものにも、
ずっと興味をもっていた人だった。

 

ルカは その人がどれほど有名なのか といったような知識も
クラシック音楽に とくに興味を持っていたわけでもなく、
彼の紡ぎ出す音を聴いただけで
その音に惹かれ、仕事の手を休めて聴き入り、
綺麗な音楽だ と 感動した。 

 

ふつう音楽家のことは、イタリア語でムジチスタ(Musicista)という。

 

でもルカは、その人のことを自然に アルティスタと呼んだ。

(直接その人に呼び掛ける時の言葉は マエストロ or マエストラ)

 

人間性のにじみ出るエピソードを心に留めておこう、
このひとの名前も一緒に  と
誰に話すつもりもないまま、
自分の心の中に 大切にしまっておいた。

 

私がもし クラシック音楽が好きだ と言わなかったら、
たぶんわざわざ話すこともなかっただろうこの話に
私も、ルカの内面性に触れられた気がして

 

「だから僕もクラシックを聞くのは好きだよ」
と言ったけれど、
私は彼のそんな感性に、その時もっと惹かれていた。

 

 

 

 

このかたです♪

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イタリアで携帯電話デビュー

生活

 

私は携帯電話を 2011年まで 日本で使ったことがなかった。
持っていなかったから。

 

周りに携帯電話を持つ友達も増えてきていた2000年。(遡るな~・・・)
でもその年の秋には イタリアで生活し始めることはわかっていたから
多少不便を感じても、日本ではずっと買わないでおいた。

 

というわけで、私の人生における携帯デビューは、
2000年秋のイタリア。

 

イタリアの携帯電話の主要キャリアは
TIMと略されるイタリアテレコムと、
それと張る二大勢力の対抗馬として、後にヴォダフォンになる、
当時はなんちゃらという名前の会社(ごめん忘れたー、 Omnitelだったかな?)
そして2003年くらいからかな、中国資本という噂のトレ(数字の「3」)と
オレンジ色がイメージカラーのwind(ウィンド)
という会社が参入した。

 

他にも何かあったような気もするけど、すみません憶えてません。

 

あちらでは端末の値段は高いけれど
電話番号(SIM)それ自体は10ユーロくらいで買える。

 

イタリアでは 近年ようやっとそのシステムが始まった日本と違い
少なくとも 2000年時点で既に SIMフリーのシステムだった。
むしろそれが基本、という感じで。

 

先ずは町の電器屋さんか携帯電話会社のお店へ行って、
携帯端末をえらぶ。


「品質のいい端末は200ユーロくらいするよ」
という話を日本人留学生仲間からは聞いていたけど、
周りのイタリア人の持っている機種では、
ノキアがいちばん多かった。


その頃、ノキアの携帯は70ユーロくらいの値段で
いちばんリーズナブルだったからだと思う。

 

そういう私は、デザインがノキアより可愛いかった、
同じような値段の アルカテル というフランスの端末を選んだケド。
あとはモトローラの端末も、けっこう人気あったかな。

 

2004~5年くらいだったかな? あの、特徴的な
横幅のあるデザインのブラックベリーがいきなり流行り出し、
でも人気は続かず、
その短いブームのあとに サムスンソニーエリクソンの機種が
どっと増えてきてた。
(その頃ノキアは静かにフェードアウトしてた)

 

 

さて、最初に買いに行った時の話に戻って・・・・ 

 

 

どの端末を使うか決めたら、今度は電話番号を買う。
私は特定キャリアの店ではなく 街の電器屋さんに行ったので、
「どこのSIMを買いたい?」と聞かれて、
友達の薦めで ティム(TIM)と呼ばれるテレコムイタリアを選んだ。
(数年後に同じ番号のままヴォダフォンに変更しました)

 

用紙に その時住んでた住所などの情報を記入して、
身分証明書のコピーなどを提出したと思う。
私の場合はパスポートだった。
まだイタリアの滞在許可証申請中で出来上がってなかったので。

 

お店の人に SIMを携帯に取り付けてもらったり
初期の作業を全部やってもらって、
携帯端末と充電器のセット+SIM代、
トータルで だいたい80ユーロくらいの値段で、
<はじめての携帯>が持てた。

(細かいコト言うと、この頃はまだユーロじゃなくて、リラでした。)

 

各キャリアには毎月定額を払う料金プランもあるけれど、
イタリアでは基本、プリペイドで使うのが普通だった。

 

残高が少なくなってくると、その時の経済状態に合わせて、
5ユーロぶんだけチャージしたり、
20ユーロぶんとか、入れたりする。

 

今はあちらでも もう スマートフォンが主流なんだろうけど、
私が住んでたガラケー時代と
通信料金に対する基本姿勢は そう大差ないと思う。
日本みたいに 明細が複雑なものでもなく、簡潔で明瞭。
そして
利用者たちは、自分のライフスタイルとか
使いたい用途に合った 合理的なプランが選べる。

 

私はどちらかというと 昔から電話は苦手なほうだし
限られた人たちと ときどき 
通話とSMS(ショートメッセージシステム)で話をする程度
しか使わないので
毎月定額を払うプランだと逆に損をするから
ずーっとプリペイドで使ってた。

 

通話では、同キャリアへよくかける場合、
他キャリアへもよくかける場合、
かけるより受けることが多い場合、
SMSを多く使う場合、
同キャリアの決まった番号によくかける場合・・・・
と、色んなプランを選べた。

 

ひとつだけ番号を選べて
家族や、恋人同士で お互いの電話番号を登録し合って
その番号には いつかけても 何回、何時間かけても ずっと無料
っていうプランなんかもあった。

 

ちなみにSMSは、「EU内なら」どこでも、
どこの国にいる人の携帯へ送っても、
一律 たしか1回 15セントだったと思う。

 

イタリアで契約した携帯電話がEU内を移動してる場合だけじゃなくって
フランスだとか、別の国で契約された携帯電話へのメッセージであっても
イタリアの携帯電話から 1回15セント。

 

コレってすごいなぁ と思ってた。 
ロンドン在住の友達と フィレンツェからSMSのやりとりしても、
全く料金に響いてこなかったよ。
(ただし電話をかける場合は普通に国際電話料金★)

 

夏休みにアイルランドやドイツなどを旅行してるイタリア人の友達から
「今ここにいるよ~」というSMSが届いたりもした。 
今でいうFBやツイッターみたいな使い方。
メールだから 伝えたい人全員に送らないといけないけど・・・

 

向こうに住んでいたあいだ
私の 携帯電話にかかる料金は
いつもだいたい 月に20ユーロ程度だったけど、
使わない人は使わないから、友達のなかには
「わたし友達がいないから、携帯のお金がぜんぜんなくならないんだ♪」
なんて笑ってる人もいた。

 

日本に一時帰国したときは
日本の空港に到着して 携帯の電源を入れると 
イタリアの携帯の端末画面には ヴォダフォンからのお知らせが来る。
ローミングで使用できるエリアに到着しました」 みたいな感じの。
当然、使ったことはないですが・・・

 

一時帰国の時には イタリアの
プリペイドの料金システムは 本当に便利だった。

 

2年に一回くらい 日本に里帰りするとき、
私は だいたいいつも4週間前後
日本に滞在することが多かったのだけど、

 

約1ヵ月後にイタリアに戻ってきても
携帯に残っているお金は出発前と同じで、
1ユーロも 1セントも減らないまま、そこにある。

 

それに慣れていたせいか、
今回帰国して
初めて日本の携帯電話を契約したとき

 

使用状況に関わらず 問答無用で
毎月 1ヵ月ぶんの料金を払わされる日本のシステムは、
単にキャリア側の搾取に見えた。


 
今のシステムでこれだけ携帯電話を使った犯罪があるのに、
プリペイドは犯罪を助長する」という主張にも説得力がない。


 
最初にその番号を買うときに身分証明書を提出するんだから、
違いはせいぜい銀行口座情報くらいでしょ?
それとも身分証明書の偽造が、日本は多いとでも言うのかな。

 

イタリアでは一度取得した電話番号に
365日以内に 一度でもリカリカ(ricarica「再チャージ」)すれば、
その日からまた365日、その電話番号はアクティブ(稼動)になる。

 

もし1年チャージしなかったら その番号は無効になってしまうけど、
そのときは たしか50ユーロの手数料を払えば、
同じ番号を復活させられる。

 

いちど留学を終えて日本に戻った人が
旅行で短期間、イタリアに来るときは
この方法で携帯電話を復活させて、友達たちとの連絡に使ってた。

 

イタリアでは携帯電話は 経済的な負担にもならず 
とても使いやすかったけど、
日本のシステムには すごく不満を感じてる。

 

人生最初の携帯電話に 
日本よりも技術的な面では遅れている(単にイメージですが)と思われる、
外国の携帯電話を約10年間、使ったあとでのことだから

 

帰国して いよいよ日本の携帯を買う時は
「日本の携帯の、技術やサービスのシステムは 
もっと良いものなのだろう」 と 
最初から期待値が高かったせいもあるけれど。

 

たしかに端末の技術などは良いのかも知れないけど 
サービス面では遅れているように 私は感じる。

 

消費者の利便性が まるで考慮されていない印象があるから。

 

企業側の利権を守る目的だけに 全てのシステムが構築されていて
消費者は 自分の使用環境や 経済状態などで 使用条件を選べず
強制的に割高な条件で 取引させられている感覚が どうしても否めない。
料金の詳細も わけがわからないし。

 

だから 格安スマホが増えてきたのは良い傾向だと思う。
ちゃんと競争してもらわなきゃ、と思うもの。

 

 

セキュリティ上の安心と 
安定した通信環境を、
使用量に応じた 適正価格で。

 

 

消費者が求めてるのってシンプルなサービスなのにね。

 

 

主要キャリアの戦略担当さんや社長さんたち、聞いてますかー?

 

 

 

 

S.Valentino サン・ヴァレンティーノの思い出

恋愛カンケイ

 

イタリアでも、2月14日はバレンタインデー。
聖人の名前で <サン・ヴァレンティーノの日>。

 

日本では チョコレートと、
女性から男性へ好意を伝える、という特徴をもつイベントの日だけど
イタリアでは
<Il giorno degli Innamorati イルジョルノデッリィンナモラーティ>
<恋する者たちの日> と呼ばれている。

 

つまり、その日の主役は、恋人(カップル)たち ということで、
パートナー同士で、特別なデートをしたり、
逆に家でゆっくり過ごしたり、なにか記念になるようなことをしたり、
お互いに贈り物を贈り合ったりする。

 

パートナーのいない人たち同士で何かするってことは特になく、
そういう人たちにとっては 普通の一日。

 

せいぜい 
「今日はサン・ヴァレンティーノだから、あいつは来れないよ」と
恋人がいる人とはアポをとるのが難しい って程度。

 

でも 付き合いの長い恋人同士やご夫婦だと
「わざわざ何かをするってことは、もうやらない」
というカップルもたくさんいます。

 

私の周りのイタリア人カップルたちは、けっこう
ちょっと良いお店に 仕事のあと 着替えて、おしゃれして
チェーナ(Cena 夕食)に出掛けたり、

 

これは人によって様々だったけど
ちょっとしたものから、お値段の張る豪華なものまで
二人でプレゼントを交換したりしてた。
誕生日以外の、「なにかを贈る良い機会」の日でもあるみたい。

 

イタリアでの、私の想い出のサン・ヴァレンティーノは
ヴェネツィアで過ごした<恋人たちの一日>。

 

お互いに贈りあう ってことで、
「あなたは私に、私はあなたに、ヴェネツィア旅行をプレゼント」
って、ただの割り勘です、はい。

 

でも、イタリアのカップルたちは わざわざそういう説明の仕方を
する人たちがいたんだよね。
「去年のヴァカンツァにイスキアへ行ったんだけど、私の旅費は彼が払って
彼の旅費は私が出したのよ」って。
あるいは
「俺が飛行機代と、あっちでのレンタカー代。
彼女がホテル代と食事代を出したんだ」
とか、友達同士でそういうことを聞いたり、
答えたりする間柄の人たち(幼馴染とか)は 普通に報告し合ってた。

 

お互いのぶんを負担することは 彼らにとって
<お互いに想い合ってる>ことを示すこと になるのかな?

 

経済的に余裕のあるほうが全部出すというカップルたちも、もちろんいたけど。

 

私たちは数日の小旅行で行ったんだけど その年は
2月14日がヴェネツィアのカルネヴァーレの公式開始日の直前で 
丁度タイミングが良かったので。
(カルネヴァーレ=謝肉祭は、キリスト教の復活祭から逆算して
日にちが決められるので、毎年開始日が変わる)

 

ヴェネツィアでは、カルネヴァーレ開始から期間中は、
ホテル代が3倍くらい上がってしまうのだけど(値上率はホテルによって異なる)
公式開始日までは普通の料金で泊まれるので、
日程を組む時の参考にしてくださいね。

 

ヴェネツィアのカーニバルの公式HPで日にちをチェックできます。
http://www.carnevale.venezia.it/en/ (英語版)

 

私はヴェネツィアに 初めて行った時から恋をしてしまったので、
ヴェネツィアには 毎年のように行っていた。

 

カルネヴァーレはもちろん、2年ごとに開かれる
現代アートエキシビションヴェネツィアビエンナーレ>を観に行ったり
イタリア人の女友達に誘われて
リド島で開かれる<ヴェネツィア映画祭>の「会場付近」を(笑)見に行ったり。

 

冬の、カルネヴァーレの時期のヴェネツィアがいちばん好きで
夏の・・・朝はたしかに 爽やかで気持ちの良い散歩ができるけど
正直、夏はヴェネツィア行かなくても良いと思います。(個人的意見★)
人は一年中すごく多いんだけど、夏は特に多いし、
だいいち情緒がないし・・・・・

 

ヴェネツィアという、色味のくすんだ路地裏と 
堂々とした、壮麗な運河沿いのパラッツォ(建物)と
たゆたう水で街が構成されている <ヴェネツィア共和国の残照> には、
蛍光灯のような ただ明るいだけの強い光(←夏のこと)を当てても、
私には その魅力は感じられなかったので・・・・

 

陰影の似合う街 というか、
うっすらとかかる霧も ヴェネツィアには似合うと思うし
パリみたいに、この街にはどちらかというと、曇り空のほうが似合う気がする。

 

ヴェネツィアは、私としては 夕暮れ時がたまらなく魅力的なんだけど、
早朝の空気のなか、まだ人が歩いていない静寂のヴェネツィアも 本当に良いし、

 

そうだ、ちょっと閑話休題・・・・
旅行先で歩くのに、スポーツシューズはたしかに合理的なんだけど
ヴェネツィアを 人の居ない時間帯に歩く機会があるなら
私は敢えて 革靴(ブーツを含む)をお薦めしたいかな。
あの街を 厚く柔らかいゴム底の靴で 早足で歩くのではなくて、
じぶんの踵が鳴らす足音の響きを ひとつひとつ
街の風景と共に味わいながら
自分にとって自然な速度で 歩く。 
歩くことを味わう。
そうすると、ヘンなんだけど 
足音がひとつ響くごとに 街と会話してるような、
街が語ることを 聴かされているような(昔語りなどの話を)
そんな気分になることがあって、
私にはそれが 日本ではあまり経験できない、素敵な体験だったから。

 

夜のヴェネツィアも、運河にゆらゆらと反射する光を足元に見ながら
あたたかな色の お店の明かりに誘われて入ってみたり、
昼間 人が多くて見られなかったショーウィンドウを
美術館の絵みたいに
たっぷりと時間をかけて眺めたり、
いつもよりゆっくりとした速度で 気ままに散歩するのも とても楽しかった。

 

ゴンドラは、あれってもう会社形態になってるみたいで、
そのエリア(同じ付近の場所)なら、誰に聞いても基本的に値段は一緒みたい。
(ゴンドリエーレとおしゃべりして聞いた。彼らは「社員」なんだって 笑)

 

リアルト橋付近だとか、サンマルコ広場付近は 有名どころだから
プラスアルファで 料金が少し上乗せされてる可能性はあるかも知れないけど。

 

おそらくゴンドリエーレの取り分の幅が決められてて、
その中で、彼らが 「少しまけてあげても良いかな」 と思った時だけ
多少のスコント(値引き)を 個人的にしてくれるみたい。

 

普段はゴンドラなんて 高いし 乗らないんだけど
サン・ヴァレンティーノだし 記念に乗っておくか とルカが交渉してくれて
このとき初めてゴンドラに乗った。

 

ヴェネツィアのゴンドラって、かたちも綺麗で 
本当に特徴的な 独特のデザインで、
滑るように 静かに 水の上を動いていく。
色も 昔はとりどりの色彩で飾られていたらしいけど
何世紀かに豪奢禁止令みたいのが出て、黒色に統一されたんだったかな?
却って大正解だと個人的には思います。 
黒いゴンドラかっこいい♪

 

あの 先頭の鍵のようなデザインと、
よく計算された優美な流線形をもつ
細くて すっきりとシンプルな印象を与えるゴンドラと、
街じゅうにある ガラス部分が甘やかなバラ色をして 
アールヌーヴォーというよりは バロック的(=装飾過多)な街燈は、
どちらもヴェネツィアという街に とてもよく似合ってると思う。

 

私たちも ヴェネツィアに着いた日は、ホテルのフロントにお薦めされた
カジュアルな、地元民がお客のトラットリーアへ行ったけど 
バレンタイン当日は レトロな内装の
少し良いリストランテで食事をして(昼食に)、
夜は 軽くバーカロ(居酒屋みたいなところ)で済ませて 散歩をしてから、
早めにホテルへ戻った。
(翌日フィレンツェへ帰る予定だったのと、バーカロに行きたかったので)

 

私がシャワーを浴びている間に ルカは外に出て、
イタリアでは 観光客の多い街なら夕方から現れる花売りの少年から、
サンヴァレンティーノ仕様(だったそうだ)の、赤いバラの花束を買ってきて
プレゼントしてくれた。

 

彼の話はそうだったけど まあ多分、
一服吸いたくて外に出て(*)吸ってたら花売りの少年が通りがかったから
その場で思いついて買ってくれた ってのが真相だと思いますケドね。(笑)
(*イタリアでは、建物屋内の喫煙は禁止)

 

でも旅行先でもそういう気遣いは嬉しいから、もちろん喜んで受け取りました。

 

翌朝目覚めた時、朝食、ここで摂りたい?それとも食堂へ行く?と聞かれて、
夕べもらったバラに見惚れながら 部屋がいいな と答えたら、
すぐにフロントに電話してくれて
ベッドの上で朝食を食べたのも、イタリアらしい思い出。(ベタな)


形のきれいなバラは 香りがないのが残念だけど、
ビロードのような真紅の薔薇は 愛の象徴だとかで、
イタリアでは男性が 女性(恋人や妻)に贈る花の定番。 

 

もしイタリアの女性に花を贈る機会があったら、
赤い薔薇は <熱烈な愛の告白> という意味で受け取られるから、
それを贈る時には ちゃんとその旨をカクゴして贈るよーにして下さい(笑)

 

忙しい日常のなかで、
いかにイタリア人といえども 
時間とお金をかけて 近場でない 遠い街まで小旅行に行くことはまれだし
イタリア人同士のカップルでも、
ヴェネツィアでサン・ヴァレンティーノを過ごす」のは
とびきりロマンティックなことらしく、
その話をすると、誰もが 
「マ、ケ ロマンティコ・・・・!
Ma Che Romantico なんてロマンティックなの・・・・」
と うっとりした表情で褒めて(?)くれた。

 

てワケで
イタリア人(以外でも?)を口説く時には
ヴェネツィアで、サン・ヴァレンティーノを過ごさない?」
という言葉も、ぜひ試してみて♡

 

カルネヴァーレが始まる数日前からもう、仮面をつけて歩いてる人がいるし、
仮装の衣装や、豪奢な昔の貴族のドレスや衣装の人たちもチラホラいるから
カオスすぎる人混み(←ほんとです)は避けたい、という人は
午前中少しだけ居て、敢えて「開始日の午後に引き上げる」日程でどうぞ。

 

恋人との特別な一日をヴェネツィアで過ごし、更に カルネヴァーレも観たいなら
バレンタインとカルネヴァーレの時期がかぶる年を狙って、出かけてください!
(一石二鳥&旅費節約♪ 今年の日程もそうだったみたい)

 

ちなみにフィレンツェからも日帰りできる距離だから、
泊まりは他の都市で、というのも手。
ユーロスターだと、たしか片道2時間30分くらいだったかな。

 

あの幻想的な街の、幻想的なカルネヴァーレは
機会があったら
いちどその場所に身をおいてみることをお薦めします。
とても魅力的な経験だから。

 

そのときはあなたも
仮面(マスケラ Maschera)をつけて。