これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

内面を好きになった瞬間

 

ルカとつきあい始めたころ
音楽は何が好き?と聞かれて、

 

何でも好きだけど、不思議と季節によって
聴きたくなる音楽が変わるんだ。
春はポップスや 軽めのロック、ジャズも聴くし
夏は 昼はボッサ、夕方や夜にはタンゴやサルサなど 
ラテン系の曲を聴くのが好きで
秋冬はよく クラシック音楽や、古いシャンソンなんかを聴きたくなる 
と話した。

 

クラシック? オペラリリカ(Opera Lirica いわゆるオペラの曲)とか?
と、少し驚かれた(笑)。

 

イタリアも 日本と同じで
クラシック音楽が好きな若い世代の人たちも もちろんいるんだけど
それはたいてい オーケストラを構成する楽器の演奏家たちだったりするし
一般的には クラシック音楽を聴くのが好きだ というと
やっぱり少し 年寄りっぽい(?)というか、
珍しいね、と言われる傾向はある。

 

ルカは高校生の頃 地元の仲間とロックバンドの活動をしていて、
担当はベース。
インディーズでレコード(CDじゃなくてLPレコード)を出したこともあって
自分も音楽全般がとても好きだけど、
クラシックはよくわからない ということだった。

 

でも、
とルカは、あるクラシックの音楽家の思い出を、そのとき話してくれた。

 

 

ルカはフィレンツェで 電気技師として働いていた。

 

彼の会社が、劇場や イベントの照明設備全般を請け負う会社で、
フィレンツェだけでなく 外国を含め、他の都市の劇場や野外劇場、
ローマの遺跡でフェンディのファッションショーの照明もやったことがあるよ、
と話してくれた。

 

数年前、フィレンツェのテアトロコムナーレ(市立劇場)の仕事で、
その晩に行われるコンサートのために
照明とコンピュータの調整をしてたとき、

 

「その夜の主役のアルティスタ(Artista 芸術家)が、
舞台でプロヴァ(Prova リハーサル)を始めたんだ」

 

そのひとはチェリストだった。  
まともにチェロの演奏なんて、それまで聴いたこともなかったけれど、
とてもきれいな、素晴らしい音楽で、
俺は自然と仕事の手が止まり、聴き入ってしまっていた。

 

惹きこまれたんだ、そのアルティスタの演奏する音に。

 

彼の弾く楽器の その音色を聴いていると
なんだか 胸がいっぱいになるような、
不思議な気持ちになった。

 

その夜のコンサートも、もちろん大成功で、
コンサートの後、俺たち裏方のスタッフも全員、
そのアルティスタとの夕食会に招かれた。

 

市長や 劇場のお偉いさん方も 皆出席している夕食会なのに
そのアルティスタはどういうわけか
わざわざ 俺たち裏方ばかりのテーブルに来て、
そこで一緒に楽しく食事をしたんだ。 

 

昼間に聴いた、彼の演奏するあの音といい、
俺たちと楽しそうにテーブルを囲む そんな気さくな態度といい、
とても印象的な、すてきなアルティスタだった。

 

今も あのとき彼の弾いた音の余韻は 耳の奥に残ってるんだ  と
人が 心から感動したときの 
優しく やわらかな微笑みを 表情に浮かべて
ルカは私の顔を見つめた。

 

「そのアルティスタの名前を憶えている?」 
私は聞いた。

 

「憶えてるよ。 覚えておこうと思ったんだ、
ロストロポーヴィチという人だったよ。」

 


私も感動で胸がいっぱいになった。

 


私もチェロの音色が大好きで、
でも ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは 
CDでしか聴いたことがなかったけれど、
彼の音楽と
その人物そのものにも、
ずっと興味をもっていた人だった。

 

ルカは その人がどれほど有名なのか といったような知識も
クラシック音楽に とくに興味を持っていたわけでもなく、
彼の紡ぎ出す音を聴いただけで
その音に惹かれ、仕事の手を休めて聴き入り、
綺麗な音楽だ と 感動した。 

 

ふつう音楽家のことは、イタリア語でムジチスタ(Musicista)という。

 

でもルカは、その人のことを自然に アルティスタと呼んだ。

(直接その人に呼び掛ける時の言葉は マエストロ or マエストラ)

 

人間性のにじみ出るエピソードを心に留めておこう、
このひとの名前も一緒に  と
誰に話すつもりもないまま、
自分の心の中に 大切にしまっておいた。

 

私がもし クラシック音楽が好きだ と言わなかったら、
たぶんわざわざ話すこともなかっただろうこの話に
私も、ルカの内面性に触れられた気がして

 

「だから僕もクラシックを聞くのは好きだよ」
と言ったけれど、
私は彼のそんな感性に、その時もっと惹かれていた。

 

 

 

 

このかたです♪

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イタリアで携帯電話デビュー

 

私は携帯電話を 2011年まで 日本で使ったことがなかった。
持っていなかったから。

 

周りに携帯電話を持つ友達も増えてきていた2000年。(遡るな~・・・)
でもその年の秋には イタリアで生活し始めることはわかっていたから
多少不便を感じても、日本ではずっと買わないでおいた。

 

というわけで、私の人生における携帯デビューは、
2000年秋のイタリア。

 

イタリアの携帯電話の主要キャリアは
TIMと略されるイタリアテレコムと、
それと張る二大勢力の対抗馬として、後にヴォダフォンになる、
当時はなんちゃらという名前の会社(ごめん忘れたー、 Omnitelだったかな?)
そして2003年くらいからかな、中国資本という噂のトレ(数字の「3」)と
オレンジ色がイメージカラーのwind(ウィンド)
という会社が参入した。

 

他にも何かあったような気もするけど、すみません憶えてません。

 

あちらでは端末の値段は高いけれど
電話番号(SIM)それ自体は10ユーロくらいで買える。

 

イタリアでは 近年ようやっとそのシステムが始まった日本と違い
少なくとも 2000年時点で既に SIMフリーのシステムだった。
むしろそれが基本、という感じで。

 

先ずは町の電器屋さんか携帯電話会社のお店へ行って、
携帯端末をえらぶ。


「品質のいい端末は200ユーロくらいするよ」
という話を日本人留学生仲間からは聞いていたけど、
周りのイタリア人の持っている機種では、
ノキアがいちばん多かった。


その頃、ノキアの携帯は70ユーロくらいの値段で
いちばんリーズナブルだったからだと思う。

 

そういう私は、デザインがノキアより可愛いかった、
同じような値段の アルカテル というフランスの端末を選んだケド。
あとはモトローラの端末も、けっこう人気あったかな。

 

2004~5年くらいだったかな? あの、特徴的な
横幅のあるデザインのブラックベリーがいきなり流行り出し、
でも人気は続かず、
その短いブームのあとに サムスンソニーエリクソンの機種が
どっと増えてきてた。
(その頃ノキアは静かにフェードアウトしてた)

 

 

さて、最初に買いに行った時の話に戻って・・・・ 

 

 

どの端末を使うか決めたら、今度は電話番号を買う。
私は特定キャリアの店ではなく 街の電器屋さんに行ったので、
「どこのSIMを買いたい?」と聞かれて、
友達の薦めで ティム(TIM)と呼ばれるテレコムイタリアを選んだ。
(数年後に同じ番号のままヴォダフォンに変更しました)

 

用紙に その時住んでた住所などの情報を記入して、
身分証明書のコピーなどを提出したと思う。
私の場合はパスポートだった。
まだイタリアの滞在許可証申請中で出来上がってなかったので。

 

お店の人に SIMを携帯に取り付けてもらったり
初期の作業を全部やってもらって、
携帯端末と充電器のセット+SIM代、
トータルで だいたい80ユーロくらいの値段で、
<はじめての携帯>が持てた。

(細かいコト言うと、この頃はまだユーロじゃなくて、リラでした。)

 

各キャリアには毎月定額を払う料金プランもあるけれど、
イタリアでは基本、プリペイドで使うのが普通だった。

 

残高が少なくなってくると、その時の経済状態に合わせて、
5ユーロぶんだけチャージしたり、
20ユーロぶんとか、入れたりする。

 

今はあちらでも もう スマートフォンが主流なんだろうけど、
私が住んでたガラケー時代と
通信料金に対する基本姿勢は そう大差ないと思う。
日本みたいに 明細が複雑なものでもなく、簡潔で明瞭。
そして
利用者たちは、自分のライフスタイルとか
使いたい用途に合った 合理的なプランが選べる。

 

私はどちらかというと 昔から電話は苦手なほうだし
限られた人たちと ときどき 
通話とSMS(ショートメッセージシステム)で話をする程度
しか使わないので
毎月定額を払うプランだと逆に損をするから
ずーっとプリペイドで使ってた。

 

通話では、同キャリアへよくかける場合、
他キャリアへもよくかける場合、
かけるより受けることが多い場合、
SMSを多く使う場合、
同キャリアの決まった番号によくかける場合・・・・
と、色んなプランを選べた。

 

ひとつだけ番号を選べて
家族や、恋人同士で お互いの電話番号を登録し合って
その番号には いつかけても 何回、何時間かけても ずっと無料
っていうプランなんかもあった。

 

ちなみにSMSは、「EU内なら」どこでも、
どこの国にいる人の携帯へ送っても、
一律 たしか1回 15セントだったと思う。

 

イタリアで契約した携帯電話がEU内を移動してる場合だけじゃなくって
フランスだとか、別の国で契約された携帯電話へのメッセージであっても
イタリアの携帯電話から 1回15セント。

 

コレってすごいなぁ と思ってた。 
ロンドン在住の友達と フィレンツェからSMSのやりとりしても、
全く料金に響いてこなかったよ。
(ただし電話をかける場合は普通に国際電話料金★)

 

夏休みにアイルランドやドイツなどを旅行してるイタリア人の友達から
「今ここにいるよ~」というSMSが届いたりもした。 
今でいうFBやツイッターみたいな使い方。
メールだから 伝えたい人全員に送らないといけないけど・・・

 

向こうに住んでいたあいだ
私の 携帯電話にかかる料金は
いつもだいたい 月に20ユーロ程度だったけど、
使わない人は使わないから、友達のなかには
「わたし友達がいないから、携帯のお金がぜんぜんなくならないんだ♪」
なんて笑ってる人もいた。

 

日本に一時帰国したときは
日本の空港に到着して 携帯の電源を入れると 
イタリアの携帯の端末画面には ヴォダフォンからのお知らせが来る。
ローミングで使用できるエリアに到着しました」 みたいな感じの。
当然、使ったことはないですが・・・

 

一時帰国の時には イタリアの
プリペイドの料金システムは 本当に便利だった。

 

2年に一回くらい 日本に里帰りするとき、
私は だいたいいつも4週間前後
日本に滞在することが多かったのだけど、

 

約1ヵ月後にイタリアに戻ってきても
携帯に残っているお金は出発前と同じで、
1ユーロも 1セントも減らないまま、そこにある。

 

それに慣れていたせいか、
今回帰国して
初めて日本の携帯電話を契約したとき

 

使用状況に関わらず 問答無用で
毎月 1ヵ月ぶんの料金を払わされる日本のシステムは、
単にキャリア側の搾取に見えた。


 
今のシステムでこれだけ携帯電話を使った犯罪があるのに、
プリペイドは犯罪を助長する」という主張にも説得力がない。


 
最初にその番号を買うときに身分証明書を提出するんだから、
違いはせいぜい銀行口座情報くらいでしょ?
それとも身分証明書の偽造が、日本は多いとでも言うのかな。

 

イタリアでは一度取得した電話番号に
365日以内に 一度でもリカリカ(ricarica「再チャージ」)すれば、
その日からまた365日、その電話番号はアクティブ(稼動)になる。

 

もし1年チャージしなかったら その番号は無効になってしまうけど、
そのときは たしか50ユーロの手数料を払えば、
同じ番号を復活させられる。

 

いちど留学を終えて日本に戻った人が
旅行で短期間、イタリアに来るときは
この方法で携帯電話を復活させて、友達たちとの連絡に使ってた。

 

イタリアでは携帯電話は 経済的な負担にもならず 
とても使いやすかったけど、
日本のシステムには すごく不満を感じてる。

 

人生最初の携帯電話に 
日本よりも技術的な面では遅れている(単にイメージですが)と思われる、
外国の携帯電話を約10年間、使ったあとでのことだから

 

帰国して いよいよ日本の携帯を買う時は
「日本の携帯の、技術やサービスのシステムは 
もっと良いものなのだろう」 と 
最初から期待値が高かったせいもあるけれど。

 

たしかに端末の技術などは良いのかも知れないけど 
サービス面では遅れているように 私は感じる。

 

消費者の利便性が まるで考慮されていない印象があるから。

 

企業側の利権を守る目的だけに 全てのシステムが構築されていて
消費者は 自分の使用環境や 経済状態などで 使用条件を選べず
強制的に割高な条件で 取引させられている感覚が どうしても否めない。
料金の詳細も わけがわからないし。

 

だから 格安スマホが増えてきたのは良い傾向だと思う。
ちゃんと競争してもらわなきゃ、と思うもの。

 

 

セキュリティ上の安心と 
安定した通信環境を、
使用量に応じた 適正価格で。

 

 

消費者が求めてるのってシンプルなサービスなのにね。

 

 

主要キャリアの戦略担当さんや社長さんたち、聞いてますかー?

 

 

 

 

S.Valentino サン・ヴァレンティーノの思い出

 

イタリアでも、2月14日はバレンタインデー。
聖人の名前で <サン・ヴァレンティーノの日>。

 

日本では チョコレートと、
女性から男性へ好意を伝える、という特徴をもつイベントの日だけど
イタリアでは
<Il giorno degli Innamorati イルジョルノデッリィンナモラーティ>
<恋する者たちの日> と呼ばれている。

 

つまり、その日の主役は、恋人(カップル)たち ということで、
パートナー同士で、特別なデートをしたり、
逆に家でゆっくり過ごしたり、なにか記念になるようなことをしたり、
お互いに贈り物を贈り合ったりする。

 

パートナーのいない人たち同士で何かするってことは特になく、
そういう人たちにとっては 普通の一日。

 

せいぜい 
「今日はサン・ヴァレンティーノだから、あいつは来れないよ」と
恋人がいる人とはアポをとるのが難しい って程度。

 

でも 付き合いの長い恋人同士やご夫婦だと
「わざわざ何かをするってことは、もうやらない」
というカップルもたくさんいます。

 

私の周りのイタリア人カップルたちは、けっこう
ちょっと良いお店に 仕事のあと 着替えて、おしゃれして
チェーナ(Cena 夕食)に出掛けたり、

 

これは人によって様々だったけど
ちょっとしたものから、お値段の張る豪華なものまで
二人でプレゼントを交換したりしてた。
誕生日以外の、「なにかを贈る良い機会」の日でもあるみたい。

 

イタリアでの、私の想い出のサン・ヴァレンティーノは
ヴェネツィアで過ごした<恋人たちの一日>。

 

お互いに贈りあう ってことで、
「あなたは私に、私はあなたに、ヴェネツィア旅行をプレゼント」
って、ただの割り勘です、はい。

 

でも、イタリアのカップルたちは わざわざそういう説明の仕方を
する人たちがいたんだよね。
「去年のヴァカンツァにイスキアへ行ったんだけど、私の旅費は彼が払って
彼の旅費は私が出したのよ」って。
あるいは
「俺が飛行機代と、あっちでのレンタカー代。
彼女がホテル代と食事代を出したんだ」
とか、友達同士でそういうことを聞いたり、
答えたりする間柄の人たち(幼馴染とか)は 普通に報告し合ってた。

 

お互いのぶんを負担することは 彼らにとって
<お互いに想い合ってる>ことを示すこと になるのかな?

 

経済的に余裕のあるほうが全部出すというカップルたちも、もちろんいたけど。

 

私たちは数日の小旅行で行ったんだけど その年は
2月14日がヴェネツィアのカルネヴァーレの公式開始日の直前で 
丁度タイミングが良かったので。
(カルネヴァーレ=謝肉祭は、キリスト教の復活祭から逆算して
日にちが決められるので、毎年開始日が変わる)

 

ヴェネツィアでは、カルネヴァーレ開始から期間中は、
ホテル代が3倍くらい上がってしまうのだけど(値上率はホテルによって異なる)
公式開始日までは普通の料金で泊まれるので、
日程を組む時の参考にしてくださいね。

 

ヴェネツィアのカーニバルの公式HPで日にちをチェックできます。
http://www.carnevale.venezia.it/en/ (英語版)

 

私はヴェネツィアに 初めて行った時から恋をしてしまったので、
ヴェネツィアには 毎年のように行っていた。

 

カルネヴァーレはもちろん、2年ごとに開かれる
現代アートエキシビションヴェネツィアビエンナーレ>を観に行ったり
イタリア人の女友達に誘われて
リド島で開かれる<ヴェネツィア映画祭>の「会場付近」を(笑)見に行ったり。

 

冬の、カルネヴァーレの時期のヴェネツィアがいちばん好きで
夏の・・・朝はたしかに 爽やかで気持ちの良い散歩ができるけど
正直、夏はヴェネツィア行かなくても良いと思います。(個人的意見★)
人は一年中すごく多いんだけど、夏は特に多いし、
だいいち情緒がないし・・・・・

 

ヴェネツィアという、色味のくすんだ路地裏と 
堂々とした、壮麗な運河沿いのパラッツォ(建物)と
たゆたう水で街が構成されている <ヴェネツィア共和国の残照> には、
蛍光灯のような ただ明るいだけの強い光(←夏のこと)を当てても、
私には その魅力は感じられなかったので・・・・

 

陰影の似合う街 というか、
うっすらとかかる霧も ヴェネツィアには似合うと思うし
パリみたいに、この街にはどちらかというと、曇り空のほうが似合う気がする。

 

ヴェネツィアは、私としては 夕暮れ時がたまらなく魅力的なんだけど、
早朝の空気のなか、まだ人が歩いていない静寂のヴェネツィアも 本当に良いし、

 

そうだ、ちょっと閑話休題・・・・
旅行先で歩くのに、スポーツシューズはたしかに合理的なんだけど
ヴェネツィアを 人の居ない時間帯に歩く機会があるなら
私は敢えて 革靴(ブーツを含む)をお薦めしたいかな。
あの街を 厚く柔らかいゴム底の靴で 早足で歩くのではなくて、
じぶんの踵が鳴らす足音の響きを ひとつひとつ
街の風景と共に味わいながら
自分にとって自然な速度で 歩く。 
歩くことを味わう。
そうすると、ヘンなんだけど 
足音がひとつ響くごとに 街と会話してるような、
街が語ることを 聴かされているような(昔語りなどの話を)
そんな気分になることがあって、
私にはそれが 日本ではあまり経験できない、素敵な体験だったから。

 

夜のヴェネツィアも、運河にゆらゆらと反射する光を足元に見ながら
あたたかな色の お店の明かりに誘われて入ってみたり、
昼間 人が多くて見られなかったショーウィンドウを
美術館の絵みたいに
たっぷりと時間をかけて眺めたり、
いつもよりゆっくりとした速度で 気ままに散歩するのも とても楽しかった。

 

ゴンドラは、あれってもう会社形態になってるみたいで、
そのエリア(同じ付近の場所)なら、誰に聞いても基本的に値段は一緒みたい。
(ゴンドリエーレとおしゃべりして聞いた。彼らは「社員」なんだって 笑)

 

リアルト橋付近だとか、サンマルコ広場付近は 有名どころだから
プラスアルファで 料金が少し上乗せされてる可能性はあるかも知れないけど。

 

おそらくゴンドリエーレの取り分の幅が決められてて、
その中で、彼らが 「少しまけてあげても良いかな」 と思った時だけ
多少のスコント(値引き)を 個人的にしてくれるみたい。

 

普段はゴンドラなんて 高いし 乗らないんだけど
サン・ヴァレンティーノだし 記念に乗っておくか とルカが交渉してくれて
このとき初めてゴンドラに乗った。

 

ヴェネツィアのゴンドラって、かたちも綺麗で 
本当に特徴的な 独特のデザインで、
滑るように 静かに 水の上を動いていく。
色も 昔はとりどりの色彩で飾られていたらしいけど
何世紀かに豪奢禁止令みたいのが出て、黒色に統一されたんだったかな?
却って大正解だと個人的には思います。 
黒いゴンドラかっこいい♪

 

あの 先頭の鍵のようなデザインと、
よく計算された優美な流線形をもつ
細くて すっきりとシンプルな印象を与えるゴンドラと、
街じゅうにある ガラス部分が甘やかなバラ色をして 
アールヌーヴォーというよりは バロック的(=装飾過多)な街燈は、
どちらもヴェネツィアという街に とてもよく似合ってると思う。

 

私たちも ヴェネツィアに着いた日は、ホテルのフロントにお薦めされた
カジュアルな、地元民がお客のトラットリーアへ行ったけど 
バレンタイン当日は レトロな内装の
少し良いリストランテで食事をして(昼食に)、
夜は 軽くバーカロ(居酒屋みたいなところ)で済ませて 散歩をしてから、
早めにホテルへ戻った。
(翌日フィレンツェへ帰る予定だったのと、バーカロに行きたかったので)

 

私がシャワーを浴びている間に ルカは外に出て、
イタリアでは 観光客の多い街なら夕方から現れる花売りの少年から、
サンヴァレンティーノ仕様(だったそうだ)の、赤いバラの花束を買ってきて
プレゼントしてくれた。

 

彼の話はそうだったけど まあ多分、
一服吸いたくて外に出て(*)吸ってたら花売りの少年が通りがかったから
その場で思いついて買ってくれた ってのが真相だと思いますケドね。(笑)
(*イタリアでは、建物屋内の喫煙は禁止)

 

でも旅行先でもそういう気遣いは嬉しいから、もちろん喜んで受け取りました。

 

翌朝目覚めた時、朝食、ここで摂りたい?それとも食堂へ行く?と聞かれて、
夕べもらったバラに見惚れながら 部屋がいいな と答えたら、
すぐにフロントに電話してくれて
ベッドの上で朝食を食べたのも、イタリアらしい思い出。(ベタな)


形のきれいなバラは 香りがないのが残念だけど、
ビロードのような真紅の薔薇は 愛の象徴だとかで、
イタリアでは男性が 女性(恋人や妻)に贈る花の定番。 

 

もしイタリアの女性に花を贈る機会があったら、
赤い薔薇は <熱烈な愛の告白> という意味で受け取られるから、
それを贈る時には ちゃんとその旨をカクゴして贈るよーにして下さい(笑)

 

忙しい日常のなかで、
いかにイタリア人といえども 
時間とお金をかけて 近場でない 遠い街まで小旅行に行くことはまれだし
イタリア人同士のカップルでも、
ヴェネツィアでサン・ヴァレンティーノを過ごす」のは
とびきりロマンティックなことらしく、
その話をすると、誰もが 
「マ、ケ ロマンティコ・・・・!
Ma Che Romantico なんてロマンティックなの・・・・」
と うっとりした表情で褒めて(?)くれた。

 

てワケで
イタリア人(以外でも?)を口説く時には
ヴェネツィアで、サン・ヴァレンティーノを過ごさない?」
という言葉も、ぜひ試してみて♡

 

カルネヴァーレが始まる数日前からもう、仮面をつけて歩いてる人がいるし、
仮装の衣装や、豪奢な昔の貴族のドレスや衣装の人たちもチラホラいるから
カオスすぎる人混み(←ほんとです)は避けたい、という人は
午前中少しだけ居て、敢えて「開始日の午後に引き上げる」日程でどうぞ。

 

恋人との特別な一日をヴェネツィアで過ごし、更に カルネヴァーレも観たいなら
バレンタインとカルネヴァーレの時期がかぶる年を狙って、出かけてください!
(一石二鳥&旅費節約♪ 今年の日程もそうだったみたい)

 

ちなみにフィレンツェからも日帰りできる距離だから、
泊まりは他の都市で、というのも手。
ユーロスターだと、たしか片道2時間30分くらいだったかな。

 

あの幻想的な街の、幻想的なカルネヴァーレは
機会があったら
いちどその場所に身をおいてみることをお薦めします。
とても魅力的な経験だから。

 

そのときはあなたも
仮面(マスケラ Maschera)をつけて。

 

 

 

 

外から見えるものと実際のこと

 

最近、なんとなく思い出したことなんだけど
むかし、中国で天安門事件というものがあって
そのニュース映像を観ながら
とても疑問に思ったことがある。

 

実際のことは知らずに
イメージで そう理解してたことなんだけど

 

たいていどこの国でも 
軍隊の仕事で、 <現場>に出る人たちって
20代くらいの年齢の人たちだと思ってた。

 

だからあの天安門広場の映像で、
国の民主化を求めて集まっている、学生を中心とした群衆に対して
戦車など 武器を使って鎮圧している兵士たちって
もしかしたら
自分の学校の友達や、幼馴染や、年の近い親戚なんかに対して
ああいうことをやってるの? って驚いた。


そんなこと 普通、できるだろうか?
自分の友達がそこにいるかも知れないのに


それともプロの軍人にとっては、命令は絶対服従だから
友達だろうが家族だろうが、やれと言われればやるのかな・・・・
って

 

もし自分が当事者だったら と とても空恐ろしく、
そして単純に 「でも」と とても疑問に 感じたんだ。
見ている状況に対する 違和感というか・・・・・

 

ずいぶんあとになって、
そのとき感じてた違和感、疑問に対する答えを、
この事件に関する何かの本の中か、記事の中で見つけた。

 

そこには
あのとき、事件があったのは北京だから
抗議に集まっていた若者たちは、「北京市周辺に暮らす民族」の中国人。
対して、中国政府が治安回復のため、その任務に当たらせたのは
「北京からは遠い地域の」「北京市周辺の民族とは全く別の民族」の
中国人兵士たちだった
と 書いてあった。

 

なるほどな と思った。 だからか・・・ って。

 

そのとき初めて、中国は、私たちが外から見るぶんには
「中国人」という同じ民族たちだけが住んでいる、と信じ込みがちだけれど
本当は
いくつもの、多数や少数の民族や部族に分かれているのが
じっさいの中国(国内)の姿なんだ ってことを知った。

 

こんな事件がなければ、疑問に思うようなこともなくて、
もしかしたらずっとそんなことには 気付かなかったと思う。

 

他にも
三把刀(サンパータオ 床屋、仕立て屋、料理屋の「刀」)を携えて
昔から「海至るところに華僑あり」と言われるほど、世界各地に散らばって行った中国人たちは
北京語を話す、中央政府に近い民族ではなく
客家(ハッカ)語という言葉を話す、南方の民族の中国人だ という話も
聞いたことがある。

 

今回帰国して以降は 中国や中国人のこともよく耳に入ってくるから
都市部の戸籍を持つ人と、地方都市の戸籍を持つ人とでは
同じ中国人なのに ずいぶんな 権利と自由度の差があるらしい とか
イスラム教徒の、全く違う民族であっても、
その人たちの住む地域が 今は中国の領土となっているから
見かけは たとえば イラン人みたいに見える人でも
中国人になるんだ・・・ とか 
もともとは同じ<中国人>だった、いま台湾人となっている人たちは
大陸の中国人たちとは 考え方や意識が
どうやらまるで違う人種みたいだ とか
さまざまな 知らなかったことを知った。

 

おそらくは もっと身近なことでも
似たような話はある。

 

仲が良さそうな家族が、実際は 家ではお互いに口もきかないほど
仲が悪いだとか
うちが正にそうだったし

 

めちゃくちゃベタな 昭和的寓話だけど
不良と呼ばれる見た目の若者たちが
本当は 心優しい、
ただ 鬱屈した想いを表現する言葉を持たないほど幼いから
言葉の代わりに 身体で表現してるだけの 
淋しさを抱えた かわいそうな子供なんだとか

 

ひどい例だと
仲良くしてる友達が 自分が居ないところでは
実はすごい悪口を言ってる人だとか
そういうのって どこでも わりと「あるある」なことだと思う。

 

「あるある」なのにも関わらず
外から他人が見てるものは 
そのまま実際の現実とは限らない っていうことは
ふだん 生活していると 忘れがちになるから

 

時々 それを認識し直してから、世の中の出来事を見る ってことを
思い出すように 努力してる。

 

果たして本当にそうだろうか とか
ほんとうに、見えている通りのことなんだろうか とか
そういった疑問が自然に 自分のなかに浮かび上がってきた時は
(自分の生活には関係ないことでも)
その疑問を排除せずに、じぶんのなかに留めておく。

 

調べられる機会や時間があったら、そうする時もあるし
そんな疑問は たいていは そのまま日常の雑事に埋もれていってしまうけど
どこかでその疑問に対する答えの ヒントみたいな情報に触れると
かなり時間が経った後でも
「あ。 コレって・・・」 って、心の引き出しの中の疑問が カタカタって鳴るように
意識が動く。

 

単に個人的に この世界を 
より深く より多角的に理解して 「楽しむ」 ための行動だけどね。

 

同じ日本人でも やっぱり
理解できない考え方や 行動をする人たちもいたし
イタリア人や 他の国籍の人でも 妙に感覚が似通った人もいた。

 

個別に見る場合では、 結局は その人個人。
日本人に見えても 日本人的な考え方をしてないかも知れないし
日本人じゃないかも知れないし
外国人に見えても 日本人みたいな感覚をもつ人かも知れないし
日本人かも知れないし(国籍が)

 

その「まとまり」(グループ、民族、社会など)全体の傾向とは、また別で。

 

ものごとにも 深い部分では それが表面化するまでの事情があるし
実際の、実体としての現実は 
見えているものとは別に 存在していたりする。

 

知ってても 知らなくても 日常生活に不自由はないし
どっちでも別に 良いことなんだけど
その着眼点を持つ人と 持たない人とでは
世界の見え方が 全く違うことだけは確か。

 

おもしろき こともなき世を おもしろく  ってね。
(出典の言葉の意味は違うものだけど 笑)

 

 

なんか最近 そういうことが思い出されたので

 

それだけの話です。

 

 

 

 

韃靼人の奢り

 

パリ生活の2ヵ月め。

 

私は、フィレンツェのフランス文化会館経由で申し込んだ語学学校の
ホームステイ先を出て
オペラ座近くの日本食店にあった掲示板の
アノンス(広告)から見つけた部屋に引っ越し、
モンマルトルのうしろの
ラマルク・クランクール(←メトロの駅の名前。18区)
というところに住んでいた。

 

午前中の語学学校以外はすべて自由時間 という、
夢のような生活。

 

街歩きは大好き。

 

毎日、暗くなるまで パリのいろんなところを歩き回った。

 

ある日 土曜日で学校はないから、家でのんびりと朝を過ごし、
お昼近くに家を出た。

 

学校へ行くときはメトロでまっすぐ向かうのだけど、
休日は 散歩がメインだから
メトロには乗らず、モンマルトルの丘まで 歩いて登る。

 

私が住んでたところからモンマルトルへは、
絵画のモチーフでも描かれている
「コタン小径」 という、細くて長い階段を上がったり、

 

シャンソニエ(シャンソンを聴かせる店)として有名な
「ラパン・アジル」 という店の横の坂道を昇ったりしながら、

 

サクレクールの裏側は観光客も多くないので、
休日らしい のどかな空気を吸いながら、
文字通り 散歩をしながら、ちょっとした運動にもなるコースだった。

 

サクレクール寺院の前に出ると、パリの街が一望できる。

 

お天気の日はまた格別だけど、
その日は パリに一番似合う、グレー色の曇り空。

 

こんなに曇り空の似合う街って、他にあるのかな。

 

フィレンツェの、青い空に映えるオレンジ色の屋根とは対照的だけど
住んでいる人に聞いたら 
パリは1年のうち 60%くらいは曇り空だ と言っていたので
パリの屋根の色に
あのブルーグレイを選んだフランス人のセンスは
さすがだな と思う。

 

初めて 曇りの日にモンマルトルを散歩して
灰色の空に きれいに映える 
パリの建物の白い壁と、街並みの色を見たときは
「あ ユトリロだ」 って思った。
ユトリロって、見えてるものをそのまま描いてたんだな 
って、すぐ納得した。

 

街なかで 大好きな荻須高徳(おぎすたかのり)の絵を思い出させる色彩にも、
よく出会った。

 

今日の空はグレーというよりも ダークグレイに近いから、
もしかしたら、あとでひと雨来るかな? と
バッグの中の折りたたみ傘を、何となく手で探る。

 

景色に気を取られて転ばないよう 足元に気を付けながら、
階段を 人々の群れに交じって降りて行く途中、
「雨が降るかもしれませんね」 と
後ろから 声をかけられた。

 

「ええ、たしかに」 そう答えながら もう一度 
天気が心配になって 空を見上げた。

 

・・・・・てか、誰?

 

振り返ってよく見ると、声の主は、
柔らかな色合いの褐色の髪と、明るめの色の瞳の
若い男の人だった。

 

フランス人に見えるけど、
他の国の人にも見える。
日本人にも、こういう感じの顔はあるといった感じの・・・・・
あえて例えるなら
河相我聞さん、だったかな?(←探すなら90年代の画像で) 
あんな感じの 垂れ目気味のお顔を、
皮膚や髪の色の薄い西洋人要素で再現したような見た目・・・・・

 

その人は 驚いて見ている私に向かって、
明るい笑顔で
「ハロー!」 と言った。 
(ちなみにそれまでも英語。 It’ll rain later, looks like.../Yeah, maybe...みたいな)

 

「ハロー・・・・」
たとえ知らない人でも ご挨拶は、きちんと返すのが礼儀。 
世界共通。

 

「フランス語を話しますか?」
「いいえ、ほとんど・・・ 語学学校に通っていますが」
「どこの国のかた?」
「日本人です」

 

階段をいつの間にか並んで降りながら、何となく会話が始まっていた。

 

「私はタタール人です」
「は?」
タタール!」

 

タタール人て・・・・・
だったん人とか言う、あの、「韃靼人の踊り」 の ダッタン人?
(突然ですがボロディンの「プリンスイゴールPrince Igor」けっこう好きです♡)

 

え、あれって、現実社会に、現代社会にまだ、本当にいたの?
伝説のとか、失われた民族 とかじゃないんだ!? (←無知★)
まじ!?

 

あーゆーりありーたたーる?
いえす、おふこーす! (何でひらがな)

 

思いがけない出会い&出来事に
感動が、身体の深いところから ずずずずずと湧き上がってくる。

 

タタール人・・・・・
滅多に、お目にかかれないひとだ。
聞きたいことがたくさんある!

 

心の中で感動の嵐が吹き荒れていても
顔には出てなかったと思う。
ぽけっと口が半開き状態だったような気がする・・・
タタールという、あまりにも意外な言葉を聞いたせいで。

 

折も折、ぽつっ と雨が落ちてきた。
「やっぱり降ってきた!マドモワゼル、良かったらあそこで話しませんか?」

 

モンマルトルの階段を降りきった公園の前にカフェがある。

 

私は 今日は散歩に出ただけで、
人との約束も、時間に追われた用事もない。
異論なんかあるはずもなかった。

 

窓に近い席に座を占めると
短く話し合い、
その人は二人分のカフェオレを頼んでくれた。

 

タタールって言葉はいままで、音楽や文学でしか 
耳にしたことがありませんでした。
タタール人のかたにお会いしたのは、生まれて初めてです!
貴方の生まれ育ったところはいったい何処で、どんなところなんですか?

 

好奇心でいっぱいの私の目は、そのとき輝いていたかも知れない。

 

その人の生まれ故郷は、アルタイ山脈の麓だと言った。
自分はチンギスハーンの子孫で、
タタール人であることを、とても誇りに思っているという。

 

「チンギスハーンの子孫だから、
フランスまでは遠路はるばる、馬で来たんだよ」
本当か嘘かはわからないが、世界は広いから、そういう人もいるかもな と
とりあえず思った。

 

「生まれ故郷には、自分のような顔の人(白人系)もいれば、
あなた(私)のような顔をした人もいる。
あなたを見て、故郷のことを思い出して とても懐かしくなったので、
話がしたいと思ったんだ。」

 

後からいろいろ聞いてわかったことは、その人は、トルコ語を聞くと、
意味が何となくわかるということ。
習ったことはないので 自分でも不思議なんだけど と言いながら。

 

フランス語はパリへ来てから習ったけど、
フランス人に フランス人と間違われるほど、
まったく外人アクセントのないフランス語を 自分は話してるらしい、
と言っていたこと。

 

私も問われるままに、
日本のどの町で生まれたか とか、
パリに来る前はフィレンツェにいたことなど、
自分のことを少し話した。

 

そういえば NJ(NonJapanese)の若い人って、
「この街に来る前はどこにいたの?」っていう質問を 
よくし合ってる気がする。
旅行だったり、留学(各国間の大学で相互留学システムがある)だったりで
けっこう、あちこちの国を 頻繁に行き来してる人が多いからだと思う。

 

その人との会話は楽しかったので
パリにいた間、その人とは、時々会って話をした。

 

アルタイ山脈の麓にあるという故郷の写真も 見せてもらった。 
少し色が褪せかけた写真たちだったけれど
木漏れ日のきれいな 林のような 自然の風景が 
とても印象的だった。

 

でも 
なにか理由があったんだと思うけど その人は
「あなたの町は、なんていう名前なの?」とか
「パスポートはどこの国の?」といったような
国や国籍に関する質問には、

 

「僕はタタール人で騎馬民族。 
馬で移動するから、パスポートなんかないんだよ」
と言って

 

何度か聞いてみたんだけど いつもはっきりとは答えてくれなかった。
今思えば
もしかしたら彼の、民族としての誇りに、
無遠慮に触れてしまうような質問だったのかも知れない。

 

その人と会って カフェに座って 飲み物を頼むときは、
彼はいつも私に
「ご招待します(I invite you!)」 と笑顔で言い 
必ずご馳走してくれたので
(自分で払おうとしても、片手を軽く私に向けて、首を左右に振り
ニコニコした笑顔でこの言葉を繰り返す)

 

パリのカフェで、 
カフェオレや 
ジュドランジュ(オレンジジュース)は よく
<韃靼人のおごり> で いただいていた。

 

 

オチは以上です。^ ^;

 


ネタじゃなくて、実話です!

 

 

 

 

エキゾチック♪

ボロディンイーゴリ公>より「韃靼人の踊り」

www.youtube.com

 

 

*パリへ行った経緯:

luriha.hatenablog.jp

 

 

世界情勢に不安がいっぱい

 

今までは、分からないながらも
どこか面白がって 余裕をもって見ていたトランプ氏に
にわかに巨大な不安を感じた。

 

イスラエルアメリカ大使館を
エルサレムに移動する
という発言をしたと聞いたから。

 

私は別に同氏の全ての発言をチェックしているわけじゃないから
この発言も、どういう流れの どの位置で出てきたのか
詳細は知らないし

 

誰に対して 何を言っても
「こんどは何だ?」 と 
「へー、どれどれ?」みたいな、
時事コメディアンの新しいネタを見るみたいな感覚だったんだけど

 

(日本の「芸人」と呼ばれてる人たちのなかに、そういうのネタにして
頭の切れの良さや、観察の鋭さから
皮肉が効いて笑えるジョークを作り出す人っていないよね。
私はそういうのだったら聞きたいけど、日本のTVで見る「芸人」のなかで
興味が引かれる人なんて一人もいない。)

 

先日の記者会見の映像も観たけど
トランプ氏に対する印象が変わった。

 

政治家ではないから、たしかに
アドバイザーや、スピーチライターたちが用意した原稿に従って
発言しているのだろうな とは思いながら
でも彼自身も ちゃんと 自分の頭で判断しながら
自らのシナリオ構築に 一緒に参画はしているのだろうと思ってた。

 

けど今は
「合衆国大統領ドナルドトランプ」というシナリオを書いてるのは誰だ?
と、真面目に不安になってきた。

 

トランプ氏個人はやはりどうしても 
特に政治や外交に関して
素人である自覚をもって 
良いアドバイザーを持ち 自分もある程度勉強するような態度の
深い洞察力をもつ 聡明な人物には見えないんだもの。
やんちゃな子供みたいに反応するとき、特にそれを感じる。

 

シナリオと、彼自身の人物像の 乖離を感じる。

 

たしかに 彼の今までの経歴や 立場を考えれば
おそらくもう何年も
実務は 多くの人を使って
その人たちに情報収集も分析もやらせて、
自分は「話を聞いてGOサインを出す判断をする」だけ という
仕事の進め方だったんじゃないか?
そして 選挙戦も 今も
そうやってるんじゃないか?
と推測はできるけど

 

次期大統領として 姿を見せている今の彼は、
セサミストリートのようなマペットみたいに見える。
そこに手を入れて 動かしてるのは誰だ?

 

最初は いわゆる
<アメリカの操縦桿を握っている勢力>とは
敵対してるんだろうと思ってた。
その勢力は、アメリカという国を使って
自分たちの懐を膨らませ続けることが目的で、
大統領といえども
自分たちに従わなかったり、おもしろくないことをしそうだと思ったら
あっさりその首をすげ替えたりする人たちだ というふうに理解してた。
(暗殺とかで)

 

彼はその勢力の権力や 財力に頼らずに
選挙戦を闘って勝ったから
状況を何とか 自分たちのコントロール下に取り戻したいその勢力
頑張っていることと、自らの言動のせいで(笑) 
アメリカを分裂させるほどの反発を 受けることになってるんだろうと。

 

でも、このあからさまなイスラエル寄り発言・・・・

 

真面目にまずくないですか。

 

どうしてそこに行っちゃうの? みたいな。

 

ユダヤ教徒である娘夫婦のことは耳に入ってはいたけどさ・・・・

 

中東情勢は、たしかにオバマ氏のせいで
「アメリカ、責任とって何とかしろ」 といった
再関与が待たれる状況ではあるけれど
返り咲きの方法が なんでそれなのよ?!
見せる旗は変わっていないにしろ
いきなり爆弾爆発させるようなもんじゃない・・・・・

 

トランプ氏がもろにユダヤ人寄りだとすると
プーチンロシアがハッキング工作で彼を勝たせた との疑惑は
少なくとも表面上は矛盾をはらむ。

 

だってプーチンって、ロシアからユダヤ勢力を追い出して
ロシアでは彼らに、お得意の金儲けをさせないようにしたから
いわゆる国際社会では孤立&敵対視されてるんじゃなかったっけ。

 

ぷーさんは反ユダヤ と ざっくり理解しているので
(一般ぴーぽーレベルですから)
トランプ氏のパペットマスターは 一体誰なんだ、 
と急に気になってきた。

 

ユダヤもそりゃ、一枚岩じゃないんでしょうけど・・・・・

 

中国とトランプ陣営との
最近のやりとりは、痛快で面白いし
台湾も、この状況をうまく利用できれば
国の正当性や 独立国家としてのポジション獲得まで
いけるかも知れないし

 

回り回って

 

長年いじめられっ子の役割しか割り当てられてない
我が国日本が被っている誤解を解き、
「ほんとうに歴史修正主義なのは誰だ?」 ってことを、
全世界の、白日のもとにさらけ出せるようにもなる
かも、しれない。
(アメリカはそう簡単に尻尾は見せないだろうから)

 

中国さんも 大事なメンツが潰されそうで
焦って叫びまくっているけど
トチ狂って こちらへ暴れに来ないようにしていただきたいです。
だって 実際、ほんとにやらかしそうで不安。
あからさまに VSアメリカ という態度がとれないからって
日本を標的に憂さ晴らし。
やりかねない・・・・・

 

安倍首相は、いまや
国際社会での重要なプレーヤーのひとりになってるよね。
EUも、アメリカも、国内事情で混乱してるから。
政情安定してるのって日本だけだもの。 
(また円高が~)

 

いまいちばんやっかいな イスラム教徒の人たちに関しても
彼らが日本人や 日本の社会文化に関して
「日本人はイスラム教徒ではないけど、
イスラム文化が理想とする社会を実現している」 と
好意的な目を持ってくれているのなら、

 

難しいとは思うけど 

 

なんとかそのへんから 
上手に彼らの意識を誘導して

 

「同じイスラム教徒でなくても、尊敬できる人たちは存在する」
「自分たちと同じ生活習慣をしてなくても、仲良くすることはできる」
と <自覚> させるとこまで もってけないかなあ・・・・・・

 

(私たちがそう「教え諭す」のは、たぶんNG。彼らが自発的に
その結論に達して、それが彼らのなかに自然に広がっていくのが
たぶん、理想。)

 

コーランか、剣か>で何世紀も生きてるイスラム教徒さんたちは、
基本的に他人(=他宗教)の話は聞かない人たちみたいだけど

 

日本や、日本人のことには興味をもっているらしいから
日本人の言うことには耳を傾けてくれる可能性がある。

 

これってすんごいアドバンテージなんだけど
(下手うったら諸刃の剣だけどね★)
そこまでの外交能力も、メンタリストみたいな煙に巻く能力も、
自分の言いたいことを うまく人に伝える能力すら
日本人たちには欠けているから

 

世界平和への道は まだまだ遠いんだと思います。

 

ほんとにねぇ
日本人の潜在能力と
日本人の気質をもってすれば
世界平和実現のキーパーソンの役割も
出来るんだと思うんだけど・・・・・

 

とにかく当事者意識がなくて
自分の周囲3mくらいのことにしか 興味がなくて
選挙にすら行かなくて
(ウチの弟どもが揃いも揃って★)

 

放っておいたら
いつの間にか 国の内でも外でも
好き勝手やられてたりして
内にこもってる場合じゃないトコに来てるからねぇ

 

日本の若者たち、
ちょっと <我が国> と <その国民であること>
という視点からも、自分の人生を見てみてください。

 

俺関係ねーし エイゴできねーし 興味もねーし
とか
私ゲームさえできれば満足だし 誰かアタマいい人がやれば?
とか
近視眼的なとこでしか見られないなら、
ずっとそこに沈んでていいよ。

 

そういう人って 自分の頭使って考える習慣がなさそうで
指示されなきゃ何も出来なさそうだしさ。

 

でも少しでも
自分も何かの役に立ちたいとか、助けになりたいとか
日本社会や 世界情勢に対して
当事者意識があるなら

 

なんでもいいから
手探りでいいから
いざという時に 何かの役に立てるような
勉強なり 
情報収集や分析、
頭や身体を使う訓練なんかを
プライベートの時間にしておくことも大切だと思うよ。

 

最近は 日本人でありさえすれば 
安易に サムライ という称号を贈ってるけど
昔のお侍さんたちは
たとえ太平の世であったとしても
いつ戦が起きても すぐに自分自身がお役に立てるように
実際にはすぐには用(要)がなくても
武術も、
命や戦に対する心構えも、
それが今日起こってもいいように
鍛錬していたんだから

 

日本人ってのは 歴史上
お百姓さんだって
漁師さんだって
くにを守る局面には 殿様のもとに集まって 
「それ自分の職業じゃないんで」 なんて言う人はいなくって
みんなで一致団結して 協力しあってきたんだから

 

21世紀になっても それを忘れちゃいけないんじゃない?

 

ちゃんと政治も 経済も 観察しよう。
世界の動きも。
一生懸命働いてくれてる人たちを応援して
私腹を肥やすことしか考えてない人たちを見抜いて、追い出そう。

 

私たちが無関心でいることは ズルイ人たちにとって、
菌が繁殖するための水分と温度みたいなもの。
好条件でしかないんだよ。

 

自分の自由時間のなかの 少しの時間でいい。
少しずつ 観察し 考えて 
人と意見交換したり いろいろ勉強する
機会を持っていこう。

 

そうすれば結局、自分にとっても
もっと安心して
ゲームや マンガや 好きなことに自由に没頭できる
平和な社会にも なると思うよ♪

 

 

 

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ヘンな響きのイタリア語

 

イタリア語って ときどき、
日本人が聞くと
「・・・・・・へんなの~」
と感じてしまう響きの言葉がある。

 

イタリア語を習い始めたとき、
日本でイタリア語って 
食べ物以外で聞くのは
音楽用語くらいしかないから
フォルティッシモとかフェルマータとかクレッシェンドとか)
どの単語も耳馴染みがなさすぎて
なかなか覚えられなかった。

 

そんな時期、聞いて
やだぁ★
と (勝手にも)思った単語は、イタリア語のスカート。 
そう、女性の衣服の、アレです。

 

スカートのことをイタリア語では 
ゴンナ(Gonna) というの。

 

最初に習ったとき
なにそれヤダ、重そうな音・・・
スカートって、もっとこう、軽やかさを感じる響きで表現すべきじゃないの?
と 何となくの拒否反応まで出た。(笑)
腰回りに重さを感じたような気も・・・・・(気のせいだろうケド)

 

覚えにくいなあ と思ったのは
自転車 (Bicicletta ビチクレッタ)とか、
さようなら (Arrivederci アリヴェデルチ)とか、
スプーン (Cucchiaio クッキィアイオ)とか
サンドウィッチ (Tramezzino トラメッツィーノ)とかの、
ちょっと長めの単語。

 

映画もさ、
ニューシネマパラダイス> ってあったじゃない?
トルナトーレ監督の。
子役のトトが可愛かったよね。

 

あれも、イタリア語の原題だと
<ヌオヴォ チネマ パラディーゾ> Nuovo Cinema Paradiso

 

えーーーーー?

なんか、響きがいやー(泣) ←これも、初めて知った時の反応・・・・

 

普段の会話でも
Let’s go there といった、
「行こう!」 「出かけよう」 「しゅっぱーつ」と 
友達同士とかで かけあう言葉に
Si va? シヴァ? (行くか?)
Andiamo ?/! アンディアーモ(出よっか?/行こう!)
と言う以外に
アンディアーモチ! Andiamoci! (そこに行こう!)
という言葉がある。

 

日本人としては こう感じずにはいられない。
「モチってなんだよ、モチって・・・・」

 

でも このモチは、
主語が「私たち」のときには、よくある響きなのよね。
最後のチが、「自分たちが~する」という意味を表す語だったりするので。

 

「さようなら Arrivederci」も、分解すると
「再び見る」 「自分たち(お互いを)」 という二語から構成されてる言葉。

 

「乾杯しようぜ」は Brindiamoci ブリンディアーモチ
「話し合いましょう」は Parliamoci パルリアーモチ 
「また会いましょう」は、文章の途中に言うとき以外は習慣的に、
Vediamoci ヴェディアーモチ よりも 
Ci vediamo! チヴェディアーモ(またね!)や
A presto! ア プレスト(近いうちに!)と言うことのほうが多いけど。

 

あと、目の前で誰かが話してる内容の要約を求めて
「てコトは?」 「つまり?」 と言葉をはさむ時のイタリア語は
Cio e’?  チョエ?
って言うんだよね・・・・・

 

ちょえ ってなんだよ、チョエって! 笑うでしょうがw
と思った。

 

Cio (チョ) という語は、言いたい内容全体を、
漠然と 「それ」 というときの「それ」で
e’ はいわゆるbe動詞のisと同じだから、
Cio e’ は、答える側が言うと
「それはね・・・」と説明を始める時の言葉にもなる。

 

イタリア語には質問文の形はなくて、
通常文の語尾を上げれば、そのまま疑問形になるから。

 

英語でいうと
Is this a pen? というように語順を変更しなくても、
This is a pen? と言えば 「これってペンなの?」の意味になる。
イタリア語って そのへん(だけ)はラクなんだけど。

 

倒置法的に Is a pen, this? という語順でも
質問文として普通に使う。

 

日本語もそういう傾向あるけど、イタリア語も
語順はそこまで厳密じゃなく、多少前後しても
文として成り立ったり
意味としては通じたりするね、日常会話では。

 

 

さいきん、お正月がらみでご近所で餅つきのお手伝いしたり
美味しいお餅いただいたりしてたものだから
イタリア語の「モチ」が思い出されて(?)
書いてみました。(^_^;>

 

ちなみにこの記事、
あとでまた、他にも変な響きのイタリア語を思い出したら
随時更新していこうと思います♪

 

 

 

1/18/2017 さっそく思い出しました★
蚊=イタリア語でZanzara ザンザーラ
「か」っていう方が、あの昆虫の身体の小ささとか華奢さには合ってるよねぇ。
「ザンザーラ」だと、巨大化しそう(怖)。
なんか、ウルトラマンとか仮面ライダーとかに倒される怪獣の名前みたい・・・

 

サッカー=Calcio カルチョ
これも、あの激しい動きのスポーツを連想するような音じゃないですね・・・
飽くまで私にとっては、ですが。
「かるちょ」って響きからは、そうだなあ、幼稚園くらいの子供たちが
ビニールボールで、大人のサッカーの真似をして
「えいっ」と蹴り合ってる映像が連想されます。(かわいい感じ♡)