これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

最大のカルチャーショック

 

私がイタリアで受けた最大のカルチャーショック。
それは、フィレンツェで暮らし始めて数ヵ月後、
一緒に住んでたイタリア人の女の子から聞いた言葉。

 

その日は友達(日本人)がうちに来てて、
台所でお茶しながら、その子がイタリア人の彼氏と別れた話を
涙ながらに語るのを聞いていた。

 

そこへフラットメイトのアレッサンドラ(フィレンツェ生まれのイタリア人)
が帰宅した。

私たちは「チャオ」と挨拶を交わし、
友達も笑顔をつくって その子の前では普通に振舞って、
その後 じゃあねと帰って行ったんだけど、
明らかに「泣いた後の顔」だったから、彼女が帰った後、アレッサンドラに
「彼女どうしたの?泣いてたよね?」 と聞かれた。
「彼氏と別れたんだって。彼女はそれに納得してなくて、
とても悲しいんだって・・・・」って話したら

 

「ひどいね、なんなの?」とすぐに反応した。


イタリア男の身勝手さに関するエピソードを、
以前いくつか語ってくれてたアレッサンドラだから、
「またイタリアの男はー!」という憤りだな と普通に聞いてた私は、
続く言葉に耳を疑った。

 

「本当にそんなに悲しんでたの? 笑顔で話してたよ?
すごいウソつきなんだね、あの子」

 

私はその反応に驚いて、
「だってあなたは彼女の直接の友達じゃないから、そんなネガティブな話題を
いきなり聞かせるのは悪いじゃない、だから彼女は遠慮したんだよ」
と説明した。


日本ではそれは 礼儀正しいこととされていて、
他者に対する親切な行為なんだってことも。

 

でもイタリアでは違うって言われた。

 

イタリアでは、悲しいときそれを隠して笑って見せるのは、
不正直で、うそつきな態度と見なされる。
そんな人間は不誠実で信用できない。
少なくとも友達になりたい人間とは思えない。 

 

・・・・・だそうだ。

 

ものっすごくカルチャーショックを受けた・・・・


こんな考え方があるなんて。
いくら悲しくても誰かれ構わず嘆いてみせるなんて、
恥ずかしい行為でしょう、子供じゃないんだから・・・・


イタリアの人は、そうは思わないわけ?

 

イタリア人にとって「誠実さ」は、何よりも先ず
自分自身の感情や 感覚に対して向けられるべき 
と考えられてるってことなのか・・・・。

 

日本に於ける「誠実さ」は、明らかに
自分よりも他者へ向けられるべきもの と考えられてるよね?
正反対・・・


これが文化の違いか・・・・と
その夜はショックで なかなか眠れなかった。

 

でもおかげでその後、
郷に入っては郷に従えで、
イタリア人の前ではなるべく 「誠実な」 態度をとるようにしてみた。

 

そうしたら不思議なことに、
なんだろう、
気持ちの動きとか、感情が動くときに、
それが身体のなかで 迷わなくなった気がする。

 

変なたとえかも知れないけど、
それまでは、とくにネガティブな感情は、
身体のなかでどこかで「引っかかって」、
自分でもどこで引っかかってるのかはわからないけど、
とにかく簡単に外には出てこない。

 

そのうち そのネガティブな感情は
道に迷ったまま行方不明になり、
忘れ去られたり、
とつぜん別の機会に、同じ場所で引っかかったのか何なのか、
その感情が急にフラッシュバックしたりして、
私自身が戸惑ったり
猛烈に悲しくなったり、
昔の悪夢に「まだここに居るんだぜ」と告げられたような気がしたり、
ってことがよくあった。

 

イタリア式の「誠実さ」を実践するようにしていると、
自分の感情がどこにも引っかからず、
真っ直ぐではないにせよ、ある程度の紆余曲折の道程を経ても、
迷わずとりあえず外には出てくる。
すい~っと。

 

まるで鼻づまりが通ったような、息のしやすさ。

 

これは私にとっては、新しい体験だった。
何かが自分のなかでリセットされたような感覚があったよ。
もしかしたら、こっちのほうが人間にとって「自然」なのではと、
初めてそんなふうに考えた。

 

 

 

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