これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

最大多数の最大幸福@日本社会(妄想仕立て)

 

TVで、妊娠中の働く女性に対するマタニティハラスメント(マタハラ)が多い
という報道をしていた。


妊娠中の女性に対するネットでの書き込みでも、
「妊婦様」だとか、「甘えるな」といった、否定的な言葉をよく見る。
たぶん男性ばかりでなく、同じ女性からの意見でも。

 

日本の人は本来、思いやりがあって、
他人に対しても温かい目で見守ったり、
手助けしたりするのが自然な態度なのに、
この矛盾はいったいどこから来るんだろう?
と不思議に思っていた。

 

ふと思った、原因は「嫉妬」じゃないかと。

 

嫉妬といっても、驕慢な 自己中心的感情からのそれではなく、
真面目な人が、自分が陥っている状況の不条理さに
耐えかねた時に生まれる感情からの、それ。

 

私も満員電車で通勤する生活の時はそうだったけど、
みんな普段、職場の人間関係や、仕事そのものを進めていく上で、
無数のストレスに晒されながら、
時に必死で、危ない綱渡りでもしているかのように、
自分の精神のバランスを 一生懸命保ちながら、毎日働いてる。

 

誰だって しばらく職場を離れ、
でも経済的な心配はせずに
落ち着いた時間を まとまって取れるような 
「休む時間」 を持つことが出来たら・・・・
と、切なく望んでいる。

 

妊娠・出産のために、身分や収入を保障されながら仕事を長期間休めることを
どれだけ身体が辛いか、
どれだけ普段の生活が大変かは 経験者しかわからないから、
「お金をもらって休める」 というところに印象が行ってしまい、
羨ましいと思ってしまうのではないだろうか。

 

そのぶん 自分の仕事の負担が増えることもあるから、
更に 理不尽さを感じてしまう。
病気は不幸だけど、妊娠は喜びだという事実とも関連して。

 

ある意味、無理ないことだと思う。
みんな本当に必死に、いっしょうけんめい働いて 生活してるんだもの。

 

だから 「マタハラを減らす為には?」 という議論は、
解決にはつながらない気がする。


理屈では、社員は身体の調子が悪ければ、
休暇をとる権利を、全員が「平等に」持っている。

 

身体を大事にするために休むことが、
妊婦だと なぜ敵視されてしまうのかというと、
その敵視が 論理的でなく 感情的なものだからだ。

 

「みなさん、妊婦さんに優しく接してあげましょう」
じゃなくて、
「職場の全員が順番に長期休暇をとれるシステムは、どうやったら作れるか?」
という議論のほうが、本質的な解決へと導いてくれるんじゃないだろうか。

 

問題は、個々人の態度を改善させることじゃなくて、
個々人の意識改革にかかってる。
個人的にはそう思う。

 

そして、多くの人の意識改革を いっぺんに、
短時間に 促進させることを目的とするなら、
外側から出来ることは、まるで学級会で
「いじめをなくしましょう」と唱えるだけの
無意味な 意識改革への呼びかけより、
実際的な 制度の改革だと思う。

 

長期の休みは妊婦さんだけじゃなく、働くすべての社員に必要・・・・

 

日本人は 「お互いさま」「おかげさま」 という気持ちを
強く持っている人たちだから、
自分も長期休暇で 長く職場を離れるときもあるのなら、
同僚のときだって気持ちよく送り出すし、
その人の不在時のカバーだって、お互い様でやりこなすと思う。 
それが妊婦さんだろうと 妊婦さんでなかろうと。

 

イタリアの職場でも妊娠・出産休暇、育児休暇はもちろんある。 
ちゃんとお給料も出る長期の休暇。


私自身はこういった休暇をとった経験はないから、
具体的な説明や、マタハラに当たるものがイタリアでもあるのか等の
実例的な話は出来ないのだけど、


妊婦さん社員が休んでいる間の臨時社員の中には、
いろんな職場で、
「臨時社員のプロ」 みたいなスタイルで
働き続けている人もいると聞いた。

 

働くスタイル、
理想の働き方って 人それぞれで、
入った企業でずっと経験を積みながら出世していきたい人もいれば
職種を限定して、その分野の仕事さえ出来れば
いろんな職場を渡り歩いても良い って人もいるし
契約期間の間だけ職場に通勤してお金を稼ぎ、
それ以外は 何か他にクリエイティブな作業や活動をして生きていきたい人
いろいろいる。

 

イタリアでは実際、そんな風に生きている人たちがいたし、
会社勤めの人たちも、話を聞いていると
本業の他に、趣味や副業的なことを、一人や 仲間同士で
楽しそうにやっている人が多かった。

 

更に 家族や、友達たちと一緒に食事をしたり、
おしゃべりしたりする時間は 皆必ず、普通に 毎日持っていた。

 

「どこかに属していないといけない」 という風潮、
派遣社員は非正規だから と保障面で哀れむ風潮が
世の中の主流ではあるけど、

 

「その保障はいらないから、もっと自由な時間が欲しい」


と思ってる人だって 世の中には一定数いるんだから、
もっと 日本のビジネス社会のなかで、
臨時社員の質と 種類を増やして 活用していく方向で、
正社員の人たちも頻繁に リフレッシュの休みがとれるようにしてあげたら、
結局は 会社全体の仕事の効率が 上がっていくんじゃないか?
と妄想してみる。

 

社外秘情報の取り扱い等、モラル面の懸念材料もあるけど、
これは現在 正社員に対しても、
物理的にその職場に居ない人間(サイバー犯罪)に対しても
油断ならないわけだから、
今後 対策やシステムを熟考して作っていけば、
意外とスムーズに浸透してって、
日本の新しい、働き方の社会システムに
組み込まれていくかもしれない。

 

たとえば、いわゆるワークシェアリング
現況の勤務時間と 責任と 報酬が 半分になったら、
自由に使える時間で、
別の活動・別の仕事、新しい場所、新しい仲間、新しい自分が、
じぶんの人生のなかに入ってくる。
(別の仕事から収入を得ることもあるだろう) 

 

IoTやAI、ロボット化の発展で
生身の人間の仕事が減っていく と騒いでいる人たちがいるけれど、
私は 
国全体の生産性(GDP)を 落とさなきゃいいだけの話じゃないの?と
その心配を奇妙に感じてる。(間違ってるかしら・・・)



人件費を払うことなく労働してくれる存在は、
メンテナンス費用を除けば 初期投資回収後は 利益しか生まないわけだし、
高い生産性から生み出される 企業の高収入は
おそらく、やがて政府を通して 全国民に、
ベーシックインカムとして 配分されるようになる。

 

ベーシックインカムワークシェアリング
最低限の生活の保証と
社会構成員としての意識と 責任を確保して、
余暇の時間で
自分自身の自己表現や 楽しみを追及したり、
別の種類の仕事をしたり
(自分の生活費が保証されていれば、無償で仕事を引き受ける人も
中にはいるだろうし)
家族や 誰か他の人のためなど 
自分の時間を 自由に使い
それによって人生を味わい、楽しむ。

 

そういう社会は、どんな文化的発展を遂げるだろう? 
そういう社会に生きる人たちは、今と比べて
幸福を感じることが多いんじゃないだろうか?

 

人間にとって 文化的側面というのは
ふだんの日常生活では あまり意識されないけど


心の問題、人間として生きていくこと というところで
本当に深く影響を受けるし、人間の生活には必要だし


21世紀の今、地球規模で 
文化の次なる発展については 
人類は 行き詰ってる。
生活に直結する経済文化でも
資本主義がそろそろ行き詰ってて
新しい発展、 Break through の手がかりを
どの文化圏でも 模索している。

 

人間を ロボットみたいに
労働にばかり使役している場合じゃない時期に 来てるんじゃないか?

 

人間の頭脳を解放してあげて、自由に遊ばせてあげて、
新しい文化、芸術(頭脳上のものも含む)を
やがて産み出し 創造していける環境を作ってあげないと。

 

古代ギリシャで 哲学などの学問や 文化の興隆があったのも、
日々の雑事や生産活動は奴隷に任せていて、
市民はじゅうぶんな時間があったからだ というし・・・

 


ざっくりと、日本の将来、こんなふうになったら良いんじゃないの?

 

と、妄想してみる。