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これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

夜行列車でフランスへ

生活


フィレンツェ留学中にフィレンツェに飽きて、
とつぜんそこからパリの語学学校に行ったのですが

 

スーツケース1個で移動できる留学生身分


 
という身軽さだったから出来たことだと思うのだけど
今思うと あの場合でも


ただ「滞在するだけ」の旅行者ではなく、
「学校に通う」目的であったなら 一応
イタリアにあるフランス大使館で学生ビザをとるべきだったのか? 


など
私も、いろいろ分かってないままノリで計画し、実行してたことは否めない。

 

まぁ、でも フランス滞在90日は越えないようにしたし、
まだ20世紀でしたし・・・・・・(遠い目)

 

その頃はまだ共通通貨ユーロではなく
それぞれの国ごとに使っている通貨が違っていたから、
出発前に銀行で、とりあえず必要と思われる金額のフランを用意した。


(フランスに到着した後の、ホームステイ先までの交通費とか、
携帯のない時代だから、万一の時の公衆電話用の小銭とか、
お腹がすいた時にパンでも買う用の小銭の必要性が考えられたので)

 

フィレンツェも観光都市だから、外国通貨を取り扱う銀行は多く、
銀行が開いていない土日でも、街じゅうに両替所はたくさんあるから、
その点は不便はなかった。

 

シティバンクを使っていたから、フランスでもシーラス(Cirrus)のATMがあれば
現地通貨で引き出すことは出来たけど、どこにそのATMがあるのかなんて、
旅行者は、行ってみないとわからない。
だからイタリアで当座のフランを調達したわけだけど、
今はユーロだから両替の必要もなく、もっと便利だよね。

 

フィレンツェからパリへは、夜行列車で向かった。

 

その時点でまだフィレンツェに残ってはいたけど
それぞれがもう帰国の予定を控えていて、
数ヵ月後にはお互いバラバラになることがわかってた、
仲良くしてくれてた友達たちが、みんなで私を駅まで見送りに来てくれて
みんなの優しさに感謝したし、とても嬉しかった。

 

実は出発の日当日は、アパートの引き渡しやら書類手続きやらが午前中にあって、
その前の週から、自分の荷づくりとか、アパートの大掃除とか、知り合いへの挨拶とか、
いろいろ準備で てんてこ舞いしていたら
体調を崩してしまい、熱を出してた。 
誰にも言わなかったけど、言ったところで予定変更なんて出来なかったしね。

 

パリに行けることに興奮してワクワクしてたのに、
体調のせいだったのか
いざパリ行きの列車に乗って、窓からみんなと 
手をお互いに振り合っているうちに、
不安や淋しさがむくむくと大きくなってって とても怖くなって、
やっぱりここから降りて、みんなとこのまま
一緒に居たくてたまらなくなって困った。
泣きそうになったし。 (てか たぶん少し泣いてた。バレてたかな・・・)

 

具合が悪かったので、夜行列車内のことはあまり憶えてない、内装とか・・・
チケットは 女性用の、1等車をとったと思う。
2等列車の夜行は危険だから、女性は1等車に乗りなさいって、どこかに書いてあったから。
この旅では全財産(荷物)も一緒だったしね。
普段はどこか別の街に行くときは、2等車のチケットしか買わないんだけど
必要な時には
お金で買える安全は、積極的に買うのが私のスタイルなので、そこはお金かけた。

 

翌朝、着いたのはたしか
サン・ラザール駅か リヨン駅だったと思う。 

 

自分のコンパートメントから出口のドアまで
重いスーツケースをずるずると引き摺りながら、


早くステイ先に着いて安心したいよぉ、と思ってた。


でも実際のところまだ、どんなステイ先で、
どんなホストファミリーなのか未知数だから、
どれくらい安心できるのかは分からなかった。

 

その心配も含め

 

フランスという、違う国。
知り合いなど一人もいない。
初めて降りる駅。
ここに慣れてないと自己申告するも同然に、
英語でしかコミュニケートできない自分・・・・

 

ある種絶望的な不安と緊張、身体の疲れ、おまけに熱はあるしで
気持ちは半ベソなんだけど、
弱みを見せるわけにはいかない状況だったから(安全保障上・・・)


駅のホームに降りて
1等車両の車掌さんに「グラツィエ」と
イタリア語での、最後の挨拶をすると


顔を上げて背筋伸ばして、
「慣れてますけど何か?」的な表情つくって、
力いっぱいスーツケースを引っ張り、
なるべく早足で まっすぐタクシー乗り場へと歩いて行った。

 

「ボンジュール!」と元気なフリしてタクシーの運転手さんに挨拶すると、
ホームステイ先の住所のメモを見せながら
「シィルヴプレ」とだけ、一言言った。

 

あとは メルシィ と オヴォワ だけが私の知ってるフランス語だったので
タクシー内では無言で景色を見る(笑)

 

そこは20区にある、大きな高層アパートだった。


インタフォンを押すと、フランス語で女性の明るい声が答えてくれたあとに
「こんにちはー」と、日本語が聞こえた。
「迎えに行きますから、待ってて下さい!」
その声も、明るい女性の声だった。

 

日本人がいるー!!!

 

もう、どれだけ安心ホルモン(正確には何てホルモンですかね?)がこみ上げてきたことか。
別の意味でまた半ベソ状態になりそうでした。


しかも にこやかに降りてきてくれた日本人の女の子は、二人もいた。
一人は、私がお世話になる家にステイしている子で
もう一人は、そのお友達。
この日の朝、到着する人を出迎えてあげようと、わざわざ来てくれてたそうだ。

 

イタリアで手配をお願いしたところからは
他にも語学学校の生徒がすでにステイしている家だとは聞いてなかったし、
ましてやそれが日本人だったなんて知らなかったから、すごく嬉しかった。
フランス生活の初歩的なことを日本語で教えてもらえるなんて、恵まれてました。

 

大家さんのフランス人マダムも優しくて明るい人で、その家には他にもう一人、
アメリカ人の10代の女の子がステイしてた。

 

用意して下さってた部屋も、清潔で、窓からは太陽の光がよく入る明るい部屋で、
有難いのと、安心したのと、嬉しかったのとで
思わず ふにゃ~ と くずおれそうになりました。

 

その日は、二人の日本人の女性たちにさっそく 近くのカフェに連れていってもらって、
パリでの最初のカフェオレを飲みながら、いろいろとパリの話を聞かせてもらってたら、
熱があることなんてすっかり忘れた。(でも翌日寝込んだ)

 

パリでの様子を教えてねっていう約束をしたフィレンツェの友達たちに
早く絵葉書を送りたくて、うずうずした。
(↑絵葉書で消息を知らせるっていう、そういう時代があったんだよ。
けっこう良い時代だったんだよ、私なんて今だにやってるよー♪)

 


完全に私のノスタルジアで書いてしまいましたが・・・・
書いてると ずっと忘れてたことも 
いろいろ思い出して来るから、おもしろいね。

 

おつき合い、どうもありがとうございました☆ぺこりm(_ _)m