これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

ユーロ導入直後のイタリア

 

私は イタリアの通貨がまだリラだった最後の時期からイタリアにいたから、
ユーロ導入の現場に立ち会った。

 

最初は両方を併用してた。
ユーロ紙幣や、ユーロのコインが日常生活に流通する1年くらい前から
すでにお店では、
「○○○○リラ (○○ユーロ)」 って値段を併記するようになっていて、
1ユーロ=19XXリラ(←ごめん下2ケタ忘れた)
で固定値が設定されていることなどは、新聞やTVなどでも周知されてた。

 

でも なにぶん世界初の試み。
周りのイタリア人でも、実生活で一体なにがどうなるのかなんて、
きっちり解っている人なんていなかった。

 

なので日本人留学生だってもちろん、わかってるはずがない。

 

「近所のシニョーラに、早く銀行でユーロに替えないとそのリラ使えなくなっちゃうわよ、早く行きなさい、って言われたんだけど、
今から、持ってるリラは全部、替えておいたほうが良いのかな?」
なんて 
ウワサや憶測、誰かから聞いた話 なんてのが、いろいろ出ていた。

 

でもじっさいの導入はスムーズで、
「最初に先ずわざわざ銀行へ言ってユーロに両替」なんかしなくても
自分の持ってるリラで普通に買い物したら、お釣りはユーロでくれる、
という方策が採られてた。 
けっきょく混乱なんてなかった。(私の周りではね)
銀行でのユーロへの両替可能な期間も、年単位でゆったりとられていたと思う。

 

ただ 物価が不自然に上がった。
留学生たちが直撃くらったのはアパート代。
ユーロ導入してからすぐの一時期は2~3倍くらいの値段になってたけど、
半年~1年くらいで落ち着いてきてた(=高騰した値段が落ちて来て、リラの
時代の価値より若干割高、くらいの値段になった)。

 

あとは個人商店などの商品の値段
(革の靴とかバッグ、ジャケット等をはじめ、
観光客向けの、多少高級路線のお土産品)
が、やっぱり同じくらい上がってた。

 

でもこれについては、


「イタリア人、いちいち計算しなおして値札替えるの面倒くさいからって、
ゼロの数だけテキトーに減らして、
リラマーク(₤)をユーロのマーク(€)に変えただけなんじゃないの?」


と まことしやかにウワサされていた・・・・・

(リラの時代はTシャツ1枚=1万5000リラ 
とかだった。←価値としては1000円未満)

 

カッフェが昔、1500リラだったのは憶えてる。
イタリアではカッフェ1杯の値段は国がコントロールしていて、
バールのオーナーが勝手に決めることはできない。
(「この範囲」という幅はもたされているかも?)

 

ユーロになってからは、初期の値段は80セントなどもあったような気がするけど、
私がイタリアに住んでた間はだいたいどこのバールでも
90セント(centesimi チェンテージミ)だった。
だから価格としては、気持ち少し上がった感じ。
(イタリアの基本は立ち飲みなので、立ち飲みの値段ね)

 

2001年に911があって以降、
観光客がぱたっと来なくなり(全世界でだろうけど)
ユーロ導入はその不景気の時期と重なってたと思うんだけど、

 

私はちょうど911の少し前から、通っていた国立の美術学校とは別に
プライベートで彫刻のマエストロの元に通ったり、美術仲間の友達たちから
共同アトリエを借りる話に誘われたので、
「これはすこし継続的に稼がなくちゃ!」
とアルバイトを始めた・・・ばかりのタイミングで、911
不景気になりバイトなくなる(自宅待機)→部屋代と食べるだけで精一杯、
余裕ないからアトリエ私だけ断念(他の人たちは仕送り組だったので無事継続)
という厳しい時期でもあった。

 

貯金なんてそんなにたくさんないし、なるべく減らさないよう、
それまでもちょこちょこと単発のアルバイトをしてはいたけど、
継続的に働こうと思ったタイミングでこれだったから、
不景気がいつまで続くかわからないし、念のため早めに動こうと、
家賃の安い部屋に引っ越したりした。

 

この頃の他の思い出といえば
2002年だったかなあ、もんのすごい熱波の夏があって、
とにかく呼吸する空気、のどに当たる空気が熱くて、
「ここはアフリカかー!!!」 と思った夏がありましたっけ・・・

 

911以降の不景気がなんとなく収束し、観光客が戻ってくる頃には、
その顔ぶれが多少、変わりつつあった。

 

EU圏からの観光客はすごく増えて、
飛行機ではなく車でイタリアに来る観光客は、
不景気のあいだも、実は来てはいた。

 

でも彼らはフィレンツェにとっては、いわゆる観光客として、
お金を落として行ってはくれない人たちだった。

 

イタリア人たちが戻って来るのを待っていた観光客としては、
アメリカ人も日本人も、相変わらず来てくれてたけど
2004~2005年あたりから、
それまではあまりいなかったロシア人と中国人が、急に多くなった。

 

観光客相手のお店では、日本人観光客より
彼らのほうがたくさん買物してくれるからと、
日本語のできる従業員よりも、
ロシア語や中国語を話す従業員のほうが雇われやすくなった。

 

中国人観光客といっても、みんな同じように黒い上着をはおって、
手には小さな水筒を持った男性のグループばかりで、
女性の姿は全くなかったし、家族連れ(子供連れ)も全くいなかったのが印象的。
彼らはイタリアに来ても、食事は全て中華料理レストランですると聞いて、
へんな奴らだと思っていた。(だってそうでしょ・・・もったいない★)

 

フィレンツェには働いている中国人も多くいたのだけど、
ちょうどユーロ導入以降から、彼らは自分たちの中華料理の店があった場所に
SUSHI BAR と看板を変え、
内装も小ぎれいにお洒落っぽくしたお店をオープンさせ、
新たなビジネスを始めた。

 

イタリアはずっと、たしか失業率20%とか言ってなかったかな
(うろ覚えですが)。
仕事の相談(情報収集)を周りの人にしたときに、
「外国人の君のほうが俺たちより、きっと仕事を見つけられるよ」 
と、何人かの若いイタリア人たちに
溜息まじりに言われたことがあったので、
この問題はそうとう深刻なんだろうな・・・ と感じたことを憶えてる。

 

2000年代に入ってからは、それまでよりも、
若い人が仕事を見つけられるようになったみたい。
自分はいまディスオックパート(失業中)だ
と言う人と、会わなくなっていたから。

 

束の間だったのかもしれないけど、
2000年代中頃くらいのイタリアは、希望で明るい空気があった。

 

スペインは好景気だよ、イタリアのほうがスペイン人のお給料より安いんだよ、
という話をする人や、
じっさいに働きに行く人、
働きに来る人、
あんたお金すこし持ってるなら、私がルクセンブルクで増やしてあげるわよ、なんて話をしてくる金融関係で働くイタリア人の女友達なんかもいて、
街の雰囲気も、耳に入ってくる話も、全体的に
活動的な空気はあった。

 

いま、
これからヨーロッパはどうなるのかな・・・・と、
変なたとえだけど
しばらく会ってない友達が病気で倒れて入院した
と、人から聞いたような気持ちでいる。

 

でも、日本も 人のことに構ってなんかいられない。いろいろ・・・・・

 

テロに巻き込まれるだけでなく、どうやらはっきりと日本人を「敵」認定して
狙ってきてるのもいるみたいだし、 ここ最近 尖閣諸島周辺では
シャレにならない状況まで中国人が間合いを詰めてきてるらしいし・・・・

 

経済も
欧米それぞれの事情で日本がとばっちりくってるでしょ?
(米大統領選の年だなんて。しかも候補者不安定要素多すぎだし)

 

ぜんぶ、巻き添えなんだよなぁ・・・・

力学的にそうなってるから仕方ないんだけどさ・・・・

気が沈むなぁ・・・・・(暗)

 


イヤな緊張感を感じて ヤな気分な 
今日この頃なんです。