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これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

ダヴィデは本物を観てほしい

文化・芸術

 

ミケランジェロ・ブオナローティ、それがミケランジェロのフルネーム。
(出生記録記載名だと、もっと長い名前だけど)
フィレンツェ郊外の村の生まれで、フィレンツェで彫刻家として活動を始めた。

 

私は、実際に目にした多くの西洋美術作品の中ではなぜか、
ミケランジェロなど 彫刻の作品に、いちばん強烈な引力を感じた。

 

観ると心が安らぐのはラッファエッロやアンドレア・デル・サルト、
フィリッポ・リッピらの優しい雰囲気の絵画なんだけど

 

心を強く鷲づかみにされるのは、
大理石で表現される人間(の肉体)の美しさ・・・「彫刻」のほうだった。

 

フランスのルーブル美術館にも作品が収蔵されている
優美なアントニオ・カノーヴァの作品、
ローマのボルゲーゼ美術館にある
息を飲むほどの美しさと緻密さで観る人を圧倒する
ベルニーニなどの作品、
ギリシャの古代彫刻も含めて、
仏教美術とは受ける印象が全く異なる 西洋の彫刻作品は、
たしかに 人間という生き物の持つ
フィジカル(身体的)な美しさというものに、開眼させてくれた。

 

ミケランジェロの作品で個人的に一番好きなのは、
未完の作品で
まるで石の中から自分の意志で生まれ出ようとしているかのような
「奴隷像」なのだけど、
その作品群がある美術館に収められている、フィレンツェにある有名な作品、
ダヴィデ像について少し話したい。

 

フィレンツェ市内には3つのダヴィデ像がある。

 

パラッツォヴェッキオ(ヴェッキオ宮殿)の入り口、 
ミケランジェロ広場、 
そして アカデミア美術館。

 

この像が作られた経緯は興味のある人の自主性に任せるとして、
フィレンツェを訪れた多くの日本人観光客のなかで、
この像の本物(オリジナル)を観た人は、実はあまり居ないと思う。

 

本物は美術館の中にあって、あとの2体はレプリカなので。

 

パラッツォヴェッキオ前のダヴィデが本物だと思っている人もいるかもしれない。 
あの場所はミケランジェロ本人が、
ダヴィデを置くならそこに」と望んだ展示場所だから。

 

たしかによく出来たレプリカだけど、あの像は実際のとこ、観ても
「おー・・・すごいね」 程度で終わらない? 

 

本物の、ミケランジェロ自身が彫ったほうのダヴィデは、オーラが違うよ。


なにかが宿ってる。


大理石の塊のはずなのに、純然たる生命力を放ってる。


「彼」の身体から、本当にそれが広がってるのが見えるような感覚がある。
体温を持っているように感じられるというか・・・・

 

それがなぜなのか、日本人としては文化的な観点から容易に推測できた。

 

毎日直(じか)に手で触り、心を込めて何かを作ったり 使ったりしていれば
ただ無機質な 生き物でない物質・・・たとえば包丁や、トンカチなど 
唯の道具にさえ、 そして 可愛がっている人形や 手でこしらえた何かの作品にすら やがて持ち主の情が籠もり それそのものに命も宿る と考えるのは、
日本の文化では自然なこと。

 

新しい道具に替える時にだって、人によっては
「捨てる」のではなく
「供養する」という文化だから。

 

それに応えるように、日本では、
石で出来たお地蔵さんが 笠をかぶせてくれたお礼をしに
家まで来てくれたりもするものね。

 

ミケランジェロが <敵に向かおうとするダヴィデ>を
おそらくは 自らも同じ心情を重ねながら数年をかけて制作したのだから、
このダヴィデが こんなにも力強いエネルギーを
宿しているように感じられるのも道理。

 

その時代から何百年が経っても
今は 美術館の中にある芸術作品 としての「彼」は、
世界中から集まって来ては
呆けたように口を開けて 彼の姿に見惚れ、
足元をウロウロしている人間どもの目線などガン無視して、
彼が倒すべき敵だけを じっと見据えている。

 

「自分より強い敵を倒せ」
以前日本のCMにあったコピーだけど、
その頃のフィレンツェという一つの都市国家
その気概を表現したこのダヴィデは
今まさにその覚悟を決め、
敵を睨みながら
その行動に移ろうとする瞬間にいる。

 

「この街(国)をお前たちの好きにはさせない」
その意思を、証明してみせるために。

 

ある研究者の言では、このダヴィデのポーズは
動作と動作のあいだで体重移動中の、
本当に「一瞬の」ポーズ(連写写真のなかの一枚みたいな)
を切り取ったものだそうだ。
人間が厳密に再現しようとすると、何秒も静止して立っては
いられないポーズなんだって。

 

筋肉の膨らみや手の甲に浮かび上がる静脈、
目に宿る力強さ、
闘争に入る直前の引き締まった表情の奥に潜む、
微かな不安さえ伝わってくるような・・・・

 

何が驚くって、この彫刻、
頭や四肢を別々に彫って後で組み合わせて完成させたわけじゃなく、
5mもの大きさの大理石の塊を、直に掘り出して制作したっていう話で・・・・

 

いったいどうやってそんな芸当ができるんですか・・・


 
「あ、間違えた★やり直し。」 
が 出来ないわけでしょ?
しかも、下から見上げられることを考慮して、
故意に頭の大きさを若干大きめにしたとか言うし。

 

ミケランジェロは人間じゃない・・・・

 

じっさい同時代人たちにもそう言われていたらしい。
「神の如きミケランジェロ」 って。

 

ダヴィデさんにはご迷惑だったかも知れませんが
私も時々、美術館まで出かけては、
ミケランジェロは本当に、石の中に閉じ込められた人を
救出しているつもりだったのかも知れない(*)
と思わせる奴隷像たちと しばし息を詰めて「見つめ合った」あとに、
一番奥にいる「彼」の足元まで行って、何度
「ほえー・・・・」 
ミケランジェロすげー・・・・」 と眺めていたことか。


(*「なんでそんなに急いで彫るのか」と人に聞かれ、
「早く助けてやらないと、中の人間が窒息しちゃうだろ」と答えた 
というエピソードがある。)

 

ヴァチカンのピエタ像の美しさも比類のないもので、
そちらの作品は、
<人間の持つ尊厳>の神々しさ
<愛情の深さや強さが生みだす静かな威厳>が感じられるし、
ヴァチカンでミケランジェロといえば
システィーナ礼拝堂のアッフレスキ(フレスコ画のこと。Affreschi)は
もちろん必見なんだけど、
ミケランジェロ本人が、注文という命令を受けた時
法王に対してクレームをつけるが如く主張したように(*)
彼は「彫刻家」だったのだから、
やっぱり、彫刻作品の<本物>も、イタリアまで行ったのなら
ゆっくりと時間をかけて目にしてほしいと思う。


(*「私は画家じゃなくて彫刻家なんですが」と文句言ったそうだ)

 

とはいえ

 

システィーナ礼拝堂に行った人は その広さを体感してると思うけど
あの空間の壁画のすべてをミケランジェロは、
人手を頼まず
全部、たった一人でやり遂げたんだよね。

 

しかも彫刻家でありながら畑違いの絵画・・・・しかも              カンバスに描くのとは違う、漆喰を塗って、乾くまでの短時間に          仕上げなければならないという画法で。

 

やっぱりミケランジェロは人間じゃない・・・・・

 

ローマは 法王の命令により仕事のために訪れ、作品を残した街だけど
フィレンツェミケランジェロが幼い頃からそこで成長した街であり、
彼の芸術家としての原点の場所。

 

ダヴィデはその空気のなかで、
その空気を呼吸しながら生きてきたミケランジェロによって
フィレンツェという祖国の存在と自由を守り抜く>
という意思を込めて生み出された傑作なんです。

 

(後年ミケランジェロは祖国の危機に際して、防衛軍司令官の一人として働いたりもしてる。でも歴史の結果としてどうなったか・・・興味のある人は調べてみてください。)

 

アカデミア美術館も観光客がよく入場を待つ列を作っているけど
ウフィッツィに比べればそんなに長い行列ではないし、
美術館内部には、
ヴィオリーノ(バイオリン)やピアノフォルテ(ピアノ)の原型が見られる、
小さな古楽器博物館も併設されているので、
クラシック音楽や楽器に興味がある人にとっても
美術館自体は小さいながらも、特徴的で内容も濃い場所ですよ。

 

フィレンツェまで来たのだったら、ぜひ、
ダヴィデは「本物を」観て行ってください♪

 

 

*蛇足ながら 時々そういう人が居るみたいなので敢えて一言:
西洋美術の裸体作品に対して、変に興奮して(?)落ち着いて鑑賞できない人は、
先ず服を脱いで鏡の前に立ち、
「人間の裸の姿」にじゅうぶん目を慣らしてから、美術館にお出かけくださいね♪
人間の身体って 不可思議で きれいな造形だなって 私は思います。 

 

 

今日の話題: 小池百合子さん 新都知事トップ当選おめでとうございます。

       周りの方々、どうか警護をしっかりお願い致します。