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これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

イタリア男性の理想の女性像

 

 

恋愛関係はないイタリア人の男友達と話してるとき、
ところで君って何歳なの? と聞かれたので
それ聞きますか? と軽く抗議しながらも、
普通に答えた。

 

するとその友達は
あー答えさせちゃって悪いことしたな、 と思ったんじゃないかな(笑)
たぶんフォローするつもりで、

 

「君は、20代の肌と、30代の知性を持っている。
男にとっては理想の女性だよ。」 と言った。

 

それを聞いて 私が
イタリア人男性の理想は、知性を持つ女性なの?
日本と違うね。
日本人男性は一般的に
女性に求めるのは 若さという幼さで
内面の成熟や知性は 重要視されない。
ときどき日本人女性が、たとえ妙齢であっても
どこか見た目や物腰に幼さが見えるのは、
そんな社会風潮に 無意識に迎合してるからかも知れない
と話すと、

 

本当に?信じられないな。
言っておくけど、これは俺だけじゃなくて「イタリアでは」ってことだけど、
普通の男なら、幼い子供に興味はないよ。 
魅力を感じるのは バンビーナBambina(女児)じゃなくて、
知性ある ドンナDonna(女性)のはずだ  と言った。

 

子供といったい、どんな会話が出来るっていうんだ? って。

 

それは彼ら(日本人男性)に聞いてみないと。 
そういって笑って、
でもイタリアでは 成熟はむしろ、
男性の方が したがってないように見えるけど?
と からかったら、
だから尚更、僕たちは女性には成熟を求めるのさ と返された。

 

それもどうなんだろ・・・・?
 

女性のほうだって 子供みたいな男性に興味はないわ、
母親役をさせたいの?

 

特に自分の恋人なら、 比喩的に言えば 
やっぱり「イヤな匂い」は して欲しくない。
青臭い匂いも、
古びた カビ臭い匂いも。

 

「成熟」は、人や 社会との関わりのなかで いろいろと 
恥をかいたり 
反省したり
感謝したり 
考えたり

 

たくさんの 恰好悪くて 泥臭い経験を積み重ねることで
少しずつ なされていくものだと思うから

 

今後ますます 生身の人間よりも
「画面」に向き合うことが多くなるだろう生活形態では、
人の精神の成熟は 置いていかれる可能性がある。

 

これは日本だけでなく
世界全体の問題としても 考えないといけないと思うけど
少なくとも現状、
大人としての成熟を目指し
成熟した人間のほうに より高い価値を置く 
イタリア社会のようなところならまだ
失われていくのは先の話だろう。

 

危ないのは 日本みたいな文化の社会だ。

 

イタリアに住んでたころ 何回も
「日本はひどい男尊女卑社会なんでしょう?」
と聞かれたけど、そのたびに
「そんなことない」 と答えていた。 

 

時代錯誤と言われた気がして気分が悪かったし、
イタリアだって ずいぶんな男尊女卑社会らしい話も、
身近な女友達(イタリア人の)たちから聞いていたし。

 

でも 改めて思い返すと、そう思われるのも道理だと思った。

 

日本社会が求める女性の役割はいまだに、
身の回りの世話役であり、慰安役であり・・・
イタリアでも 若い夫婦なら共働きはあたりまえだけど
家事や子育てに関して 日本ほど女性任せにはなっていないし
女性任せで良いという社会風潮も皆無で
男性も ちゃんと父親、夫としての自覚がある人が多い。

 

飽くまで私の印象なんだけど
日本の社会って
昔からこうなのだから と 現状に疑問を呈することすら
圧殺するような雰囲気があり
異論を口にする者は まず間違いなく攻撃され
意見や 動きを 嘲笑や黙殺など、
不当な手段で封じられる。

 

「愚かな大衆」という言葉があるけど、
自分で物事を判断して答えを導き出せない=愚かな 人間たちが
社会のあらゆる部分を構成し、
自分の頭で考えて行動する人たちが マジョリティになれない、

 

多様性のない、

 

既に「決められた」価値観しか認められず
(それが真に合理的なものであるなら、何も問題はないのだけど)
何か歪んだ、間違ったものに統制されているかのような、
不自然な社会文化をもっている部分が あると思う。

 

どこか子供っぽいものが 社会全体の<主流>を占めているし
(いちいち マンガだとか噛み砕いた表現で説明してやらないと
ものごとの内容を理解できない人間が大勢いるとか)
それがもはや普通で、
「ひょっとして、おかしいんじゃないか?」 とすら
もう誰も思ってないだろうから、うすら寒くなる。 

 

子供の無邪気な幼さは、それが自然だからこそ愛らしい。
年齢と、人間としての成熟度の、つりあいのとれているものだけが
「自然な美」を生む。

 

人は自然に生を営めば、
毎日何かを学び、ろうたけて行くのが本来の姿だし、
精神の成熟からくる 物腰の優雅さや 美しさ
そういう人たちが作り出すであろう 落ち着いた社会文化を
もっと評価したり 求めたりする風潮に
いいかげん 日本もなればいいのにな と思ってる。 

 

日常目にする、目立つところにある文化(たとえばTV)の中では
大人の男女とも 
不必要な大声で 会話でも 対話でもない 
ただの騒音みたいな 下品な話し方をしていたり、

 

エンタテイメントといえば わらわらと集団でやる 
幼稚園児のお遊戯みたいなものばかりで、
それを喜んで観てる大人も大勢いるらしい事実。

 

そういう芸能があること自体は別に良い。

 

似たようなもの「しか」ない っていう、
<画一的な状態> なのが問題であって、
他の、もっと様々な、いろんな価値観に基づいた
文化のバリエーションが、
社会のなかで 「同程度に評価されていないこと」 が、
日本の歪んだ部分だと思ってる。
 

これが売れたー
二匹目のドジョウを狙えー、
以下ループ
お金はそこでしか回らず、
いま一番稼げるものだけが正義で、
それ以外のものに価値があるとは認めない みたいな。 

 

経済活動、投資の問題としてみれば、
今現在流行っていて リターンが確実に見込めるものに投資するのは
理解できるけど

 

文化の層とか将来性とか 質の問題から見たら、
こんなこといつまでも続けてちゃダメでしょ・・・・

 

話がズレましたが

 

とりあえずイタリア人男性は、日本とは違って、
女性に幼さは 求めてないみたいです。
むしろ 知的な人を求めてる。 (遊び相手は別ね★)

 

彼らが <セクシーで、男性として魅力がある> と
他の多くの国の女性たちからも思われてるのは
結局のところ彼らは 
子供っぽいところがあったとしても
精神年齢はちゃんと 大人の女性と釣り合うくらい、
成熟した内面も 持っているからなんだと思う。

 

話してみればわかる。 
政治でも、芸術でも、世界情勢でも、社会問題でも
彼らはどんな話題でも 
きちんと自分の意見を持っているし、
真面目な話題は 真面目に話すよ。

 

イタリア男は全員マザコンで イタリア人は仕事をしない怠け者 という 
日本のマスコミが今だに流してるステレオタイプの嘘も

 

それは本当だろうか という疑問も持たず、
自分の目でものを見る労を惜しむ人や 
自分の頭を使って考える習慣のない人は
まだまだずっと
そのまま 間違った情報を信じ続けるのだろうけど。

 

日本ではただ 精神年齢の幼い 
自分の内面を成長させる努力もしない 怠け者の男性たちが
「その精神年齢に釣り合う女性」を 求めてるだけなんだよ。
(同程度の精神年齢 or 母親のように甘えさせてくれる女性)

 

そんなのが 社会のさまざまな場所で 
世論を形成する権力の分野ですら 多数派だから

 

全員がそうではない ってことが 救いではあるにせよ

 

日本社会全体が どこか幼稚な印象で
だから 「日本の文化では幼さの残る女性が理想」だとすら 
錯覚させられてるだけなんだよ。

 

女性のみなさん、そんなのに付き合ってあげることないよ。

 

女性って生き物は、どうしても、
他の人から「愛されたい」と願ってしまうように心理設定がされてるから 
やっかいなんだけど・・・・・

 

若い人の美しさと 
ろうたけた人の美しさは別のものだけど

 

若い美しさだけを褒めそやす感性って

 

春の花や 新緑だけが美しくて 
夏の濃い緑や 秋の紅葉、 冬の枯葉は 
なんの美しさも 価値もない
と言ってるのと同じで

 

花なら たとえば桜だけを愛でて 
菜の花 藤 かきつばた すみれ すずらん 雪柳 
朝顔 ひまわり コスモス 曼珠沙華 椿 ロウバイ・・・・
それぞれの花の愛らしさや 
美しさの違いを感じることが出来ないような、
貧相な文化レベルの人の言でしかない。

 

そして そんな文化的貧相さは
日本の伝統的な感性からは かけ離れてるのにね。

 

いったいいつから こんな風潮になったんだろう?

 

・・・って 
私は生まれてからずっと その風潮のなかで育ちはしたけど・・・・

 

女性の側の意識の問題としては
自分の年齢を考慮して それ相応に・・・・ 
ということとも ちょっと違うと思ってて

 

とにかく 世間でどう思われるか? を基準にして
自分の 身に着けるもの(服装だけじゃなく)を 揃えようとするより

 

自分の気持ちが 
自然で 居心地良く感じられる 
ファッションや、話し方や、哲学や、物腰をもって 
リラックスして 日々の生活を送るほうが

 

結局のところ実体のない 
目に見えない 「社会」の声や、「誰か」の好みに
無理に自分を合わせて暮らすより ずっと良いんじゃない? 
ってだけの話なんだけど

 

ほぼ 洗脳完了 ってくらいにもう
社会的に良いとされてるもの=わたしの好みもそれです! って
無条件に信じ込むようになってる人多いみたいだしね、この国の人は・・・

 

<みんなと一緒> <みんなと同じ> でなくても良い ってことを 
心の底から信じられるようになれない限り 
この傾向は まだ続くのかもね・・・・

 


と落ち込みかかったので
日本国民、日本社会の子供っぽさに関して
肯定的な考察を試してみるために
この記事を書いてみた という事情があったのでした。 ↓

 

luriha.hatenablog.jp