これまで と これから

海の向こうからおみやげ持ってきた。

過去の亡霊

 

さいきんフラッシュバックがひどい。

 

何の変哲もない日常生活のなかで
悪意のない 誰かの言葉
誰かの行動
私自身にではなく 赤の他人に起こった出来事
時には ドラマか映画の1シーン

 

そんな他愛もないものから

 

私が自覚していないところにある、なにかのスイッチが
偶然 押されると
遠い昔に感じて 
それからは忘れたつもりでいた 
あるいは 静かに心の奥深くに抑え込まれていた
ある負の感情が
眠っていたマグマのように クツクツと目覚め始めて

 

タイミング良くというか 悪くというか
つぎにもうひとつ なにかその物事に関連したことが起こったりすると
感情が
もう私のコントロールを離れて 爆発してしまう。

 

そういう時はたいてい
ひとりで家にこもる。
誰にも会わずに 
電話やメッセージにも 気付かないふりをして。

 

後で何とでも言えるから。
ごめん、寝てた。
ごめん、さいきん携帯の調子が悪くてさ。

 

子供の頃
私は「お姉ちゃん」だったから
代表して 叱られる役割で
代表して 何かを言いつけられ それを弟たちに伝達し、やらせる役割で
家の中では いつも緊張していた。

 

わたしたちが小学生のとき
都心から 郊外のマンションへと引っ越した。
その真新しいマンションのキッチンには
外国のドラマに出て来そうな 大きな備え付けのオーブンがついていて
アメリカ映画で見るみたいな
すてきなお料理が作れるんじゃないかと わくわくした。

 

その家へ引っ越した日の午後、
近所の大型スーパーへ 家族みんなで買い物に出掛けた。
私はもう気持ちが浮き立っていて
ママとお揃いの できたら 可愛いフリルのついたエプロンをつけて
生クリームや フルーツを載せたケーキを作ってみたいと夢見て
丸いケーキ型や 泡だて器なんかを 売り場で見つけてきて
「ママ、これ」 と 少し照れながら 母に差し出した。

 

母は見るなり
「なにそれ、要らないわよ。 ケーキなんて、あんた作れないでしょ?
私はやらないわよ。 作りたいなら一人で作りなさい」

 

私は元にあった場所に それらを返しに行った。

 


こっちは 中学にあがった頃のことだったと思うけど
私の学校は ミッションスクールだったので 土日が休みで
その日、休日の午前中、 父と弟たちはみんな外へ出かけて
家には母と 私だけがいた。

 

ベランダに近い床に座り込み 私は本を読んでいて
母は ダイニングテーブルに新聞を広げて 読んでいた。

 

良いお天気で 鳥のさえずりが聞こえていた。

 

ふと見ると ぷっくりとした可愛いスズメが うちのベランダに降りてきていた。
ちょんちょんちょん と 小さなステップを踏むように ぴょこぴょこ飛び跳ねて
くちばしで 床をついばんでいた。

 

かわいい♡
そう思って 母にもこの可愛い子を見せてあげようと思って
「ねえ」 
と、スズメを驚かさないように 控えめに 
でも 早くしないと逃げちゃうから 声にちからを込めて呼びかけた。

 

母からは うんともすんとも 何の返事も
何の「音」も 返って来ない。

 

「ねえ、ママ」
私はスズメを見つめ続けながら もう一度呼びかけた。
ママに見せるまで このスズメを逃がしたくなくて
もし私が見つめ続け 目を離しさえしなければ この子は逃げて行かない気がして
ママ、はやく。 逃げちゃうよ?
そう思いながら でも少し焦りながら 呼びかけた。

 

「んー?」 でも 「なあに?」 でも、 なんでも良かったんだ。
ママが 私が呼びかけたことへ なんらかの反応を
返してくれさえしたら。

 

自分が人に なにか言葉を投げかけたとき
それが相手に届いて 向こうからも 何か反応が返ってくる、
その時間的な「間」というものには たいてい リミットがある。
数秒~十数秒くらいの。

 

そのリミットを過ぎても 相手から何も返って来ないと 
納まるべきところに 納まるべきものが 収まってない という気持ち悪さや
調和を乱されたような 不快感が残る。

 

無視された という、悲しみが襲ってくる。

 

母は沈黙を続けた。

 

「ねえってば!」
三度目に呼び掛けたとき、私の声は苛立っていた。
どうして返事してくれないの?
そう母には言わなかったけど 心ではそう問いかけていた。

 

母はやっと返事をくれた。
「なにようるさいわね! さっさと言いなさい!!」

 

私は一瞬 殴られたようなショックで固まる。 

 

もう 可愛いスズメはどうでもよかった。
母の強い声に驚いて 飛び去ってしまったと思う。
私は無言で素早く立ち上がり、
本をつかんで、ドスドスと
ワザと足音を立てて部屋へ行き、ドアを閉じた。
バタン! と大きな音を立てられないドアであることが うらめしかった。

 

薄暗い部屋のなかで いっしょうけんめい呼吸を整えた。
泣くもんか。
ぜったい、泣くもんか。
あいつなんかに 私は泣かされない。

 

でも すぐに限界は来る。
はっと息を吐き出すと同時に、涙もあふれ出る。
せめて声だけは、音だけは漏らすまいと
必死に声を押さえ込み 早く「これ」を終わらそうと 
私は息を整えることに集中した。

 

夕方になり、父たちが帰ってくる
夕食の支度を手伝いなさいと もうすぐ私に言ってくるはずだ。
その時が 唯一無二のチャンスだった。
私がいまどんな気分でいるかを 彼らに知ってもらう
唯一無二のチャンス・・・・・

 

ノックも無しに 急にバタンとドアが開けられ、
「何やってんだ、お母さんを手伝え!」 と 父が顔をのぞかす。
「やだ!」
ふだん小声でしか話さなくて 小さいころから
「もっと大きな声でお返事しなさい」と言われがちな私が 大きな声で反抗した。
なんでだ って聞いて欲しかったから。
どうして嫌なんだ? って。

 

理由があるの。 訳があるんだよ。
昼間、お母さんにこんなこと言われたの。
かわいい小鳥をみて、いっしょに 「かわいいね」 って、
そう言って、笑顔を交わし合いたかっただけなのに。

 

でも誰も 私の気持ちなんかに関心を持たない。

 

「おまえはどこまで我儘なんだ、ほんとに出来損ないだな!」
父はそれだけを言うとキッチンの母のところへ行き
「なんだあいつは!」 と 文句を言っている。
「ごはん要らないんでしょ」 母は落ち着いて そう答えている。
もちろん 皆と一緒にご飯なんて 食べたい気持ちにはなれなかった。
お腹も空かなかった。

 

家族全員がお風呂に入り終わると
私はこっそりと部屋を出て、お風呂場へ入る。
ドアに鍵をかけて 
家族たちがTV番組を夢中で観ていることに安心して
シャワーのノブをひねる。


家では顔にシャワーを当てて、よく泣いていた。
いちばん「開放的に」泣けたのは、顔にシャワーを当てながら泣く時だけだったから。
運が悪いと
「水道代を考えろ!」という声が、ドアの外から聞こえてきたけど。

 

 


本当は 一度はもう こんな子供時代のことは忘れていた。
どこかでヒーラーをしているという女性と
そんなことは何も知らずに話をしていて、
偶然 私の子供の頃の話になって 
(いつの間にか自分のことを語らされてたカンジ)
その人が
「その頃のあなたが ご両親からいちばん聞きたかった言葉は何ですか?」
と質問されて、
少し考えたら
「どうしたの? って、聞いて欲しかった。 やさしく・・・」と 呟いてた。

 

イタリアでも 
かわいらしい子供たちが 目の前で遊んでて
イタリアの子たちって、本当に子供らしくてかわいいというか
明るい笑顔で 芯から無邪気で
生きてここにこうして居るのが、嬉しくて楽しくて幸せ!
みたいなオーラを、全身から出していて
見てると思わず涙ぐみそうになったこともある。

 

愛おしく 微笑ましく見ていたら 
急に巨大な悲しみが襲ってきた。

 

いきなり 頭から波をかぶったような感じで、
自分では何も考えてなかったし、
ただ子供たちを 可愛いなあ と見てただけだったのに

 

どこか遠い地底の奥底から
どうして私はこんな子供時代を過ごせなかったの
私はなにか悪いことでもしたの
みたいな、
誰も呼んでないのに私の頭の中に入って来て
そんなことを勝手に感じさせるヤツがいた。

 

いちど記憶の中から蘇ってしまうと
折に触れ そのときの映像や 感情が 日常生活で顔を出す・・・
知らないうちに スイッチが押されると。

 

そして そのたびごとに
新たに いちいち哀しくなって 感情が乱されるので
もうコントロールするのはあきらめて 逆に
この時の私は よっぽど傷ついたらしいな と認めてあげる。

 

なんで思い出したのがこのエピソードだったんだろう と不思議に思う。
他にも もっとひどく悲しんだ出来事だってあったのに。

 

私は 子供が欲しいと思ったことがない。
むしろ 怖れてた。
特に 女の子の母親になるのが怖かった。

 

まだ十代くらいの時は
「私がしたような想いを じぶんの子にはさせない」 と自分に誓っていて
きっと私は 自分の子供とは良い親子関係を築けるはずだと信じてた。

 

でも 家族をつくるには 男の人の存在というのがあると気づいて
その人次第で 私の心は 殺されたりもするんだという事実に気づくと
最初から 手を出さないに限る という結論に至った。

 

私の将来のパートナーが
私の父みたいに
娘に何の関心も示さず 自分の妻だけを愛して大事にしてくれる人なら
私の人生の帳尻は合うはずだけれど

 

そんな人はめったにいないし
そんな父親は稀。

 

もし 私のパートナーが 私よりも
娘の方を可愛がり 私をさしおいて 娘にいつも味方するような人だったら
そのとき 私の心は どこに行けば良いのか わからなかった。
寂しさで 狂気の向こう側へ行ってしまうことだって あるかもしれなかった。

 

子供のときからずっと
大人になれば 私のパートナーが現れて 私を守ってくれ
私をいちばんに愛してくれるんじゃないか
とりあえず その可能性はゼロじゃない
そういう 細い糸みたいな 一縷の希望が
無いこともなかった。

 

うちの親は お前みたいな無愛想で可愛げのない人間が
男性に愛されるはずがない。 結婚なんて一生できない。
と 私が物心つく頃には言い聞かせていたから
じぶんの将来に 期待はしてなかったと思うし
余計な夢など見ないで済んでいた・・・・ とは思うのだけど、
それでも もしかしたら って。

 

それに そこがクリアできても
女の子が生まれてくることを怖れていた母親に対して
娘は どんな感情を抱くだろう
二分の一の確率で生まれてくるかもしれない女の子。
私と 私の親との確執は 彼女には何の関係もない。
巻き込まれたら かわいそうだ。
なら 最初からやめておいたほうが良い。

 

クラスメートには ご両親がお別れして
片親と生活していても 親子がとても仲が良くて
楽しそうな子たちもいた。

 

両親がそろっていて きちんと学校や 習い事にも行かせてくれる生活で
親に不満を持つなんて 
私は 心の汚れた 醜い人間だと そういうふうに評価されていたと思う。

 

友達に 親との確執を相談しても
「お父さんはきっと 心配してるんだよ」
「お母さんは あなたのことを大事に思ってるよ、母親だもの」
そういう一般論を早々に機械的に告げられ
私が何を どう感じているのかなんて 関心を持つ人などいなかった。

 

さいきん 表面的には「まともな」家庭に育ったはずの人たちでも
自らは 家族をつくろうとせず
中には そういう 精神的な問題を抱えている人もいる ということに
やっと市民権が与えられ始めた。

 

あたりまえのように 恋をして 家族を作り 子供を育てる・・・
そんなふうには自分の人生を 考えたり 想像したりしていなかったから
私は 自分は「まとも」じゃないことはわかってた。

 

でも 努力して普通の顔をして 社会生活を送ってきたと思う。
今も 努力して 普通の人のフリをしている・・・・心身ともに 健康な。

 

あのとき 行き場のなかった、
誰にも受け止めてもらえず 
存在すら気づいてもらえなかった 悲しみが
消えて無くなったわけではなく
そのままそこで 
目を開けたまま 
乾いてミイラになってただけ。
そのミイラの「想い」は どうやら消えてくれてないことを
今まで何度か
思いがけなく自分の身に起こった現象から 思い知らされた。

 

「頼むよ、大人しくしてて。 私を 困らせないで」
そう願いはするけれど
ときどき 昔の亡霊が 甦ってきて 暴れ出す。 
悲しかったんだ 寂しかったんだ と 泣き叫び始める。

 

そのとき 私は無力なんだ。
なにも できない・・・・理性的な対応が。
大人なのに 子供みたいに反応してしまうことだってある。
しばらくしたら 落ち着くけれど。

 

 

 

離れるなら 離れてって。
構わないよ、 ずっと独りだったもの。 慣れてるし。

 

 

 

 


ここでも まともなフリしてたのにね(笑)

 

でもまぁ、迷ってはいたから いっか。